六曜後日譚



 この世でいちばん怖いもの。それは叔母の説教だ。
 説教の何が怖いのかという輩は、一度かの人の前にうなだれ滔々と説かれる目にあってみればいい。
 はい、と素直に返事をすれば真面目に聞けと説教が延びる。
 はいはい、と右から左に聞き流せば箒が風を切って飛んでくる。
 そこに直れと正座をさせられ、さらに説教が延びる。足が痺れても倒れてはだめ、厠に行きたいなどとは口にも出せない。延々と終わりなく説教が続く、無限地獄だ。
 これに匹敵するものなど無いと思っていたのに、と前田慶次は心底戦慄していた。
 笑う半兵衛。
 しかも、ふふふと笑いながら仮面の下の目が据わっていて、おまけに命の限り!とか言いながら延々と追っかけてくる竹中半兵衛重治だ。
 慶次は全力疾走していた。捕まったら何されるかわからない。自軍の兵士にまで、想像の外をゆくなどと言われている天才軍師だ。本当の本気で何をするつもりか得体がしれない。
「ふふふふふ………待ちたまえ慶次君!」
 足の速さはほぼ同等、あるいは半兵衛が慶次をやや上回る。
 京の都大路を走り抜け、慶次はちょっと半泣きだった。


 が、この追走劇は意外にあっさりと決着がついた。
 途中で体力の底が尽きた半兵衛が、ふらりと足を滑らせて、堀に落ちてしまったからだ。

 天は二物を与えずというが、明晰な頭脳に華麗な剣技、ついでに人目をひく容姿や絶対的な理解者など、二物も三物もてんこ盛りに与えられた竹中半兵衛であっても、神様は人の身に完璧を許してはくれないものらしい。
 稀代の天才として名高い豊臣の軍師は、結構どうでもいいところでドンくさかった。
「慶ちゃーん!お見事やったねぇ」
「おかげで、えろう儲けさせてもらったわ」
 走る慶次と半兵衛を、させー!まくれー!と京の町人達は大声援で見守った。短時間のうちに賭まで行われていたようで、ほくほく顔の遊び仲間たちに、慶次はげっそりした。
「あー、ほんと死ぬかと思った。で、半兵衛のヤツは?」
「ああ、あの白い髪のお人なあ。………あれ、お堀から浮いて来ぃへんで?」
「……え?」
 慶次は何だか嫌な予感がした。半兵衛は結構ドンくさい。それも、どうでもいい事で致命的にドンくさい。
「沈んでから大分たつけど……慶ちゃん、まさかこの人、泳ぎが苦手なんてこと」
「どどど、どうだっけ?」
 思わず返事に声が裏返る。半兵衛の生国は山深い美濃だ。もちろん河川や池はあるけれど、水運や川渡しを生業にしているのでもない限り、水練が得意になる機会はあまりないのではないだろうか。
 もし、このまま半兵衛が浮いてこなかったら。
 慶次の脳裏に、怖ろしい思い出がよみがえった。
 むかしむかし、慶次が叔父夫婦と暮らしていて、隣の家に秀吉とねねが住んでいた頃のこと。
 くだらないイタズラで、秀吉を本気で怒らせてしまったことがあった。逃げる慶次を、秀吉は無言でどこまでも追いかけた。
 どこまでもどこまでも、日が暮れて夜になって空が白んで朝になり、昼になって再び日が沈んでも、ひたすら無言で追いかけてくるのだ。
 かなり怖かった。何しろ足が少々遅くとも、秀吉の体力は無尽蔵だ。こちらの力が尽きるまで、絶対に追いかけてくるに決まってる。
 清洲の城下を十六周して、とうとう慶次は降参した。捕まる前に謝ったのは、後にも先にもこの一度きりだ。
「やっべ……」
 ここで半兵衛を死なせたら、今度こそ秀吉は怒濤の勢いで追ってくる。
 泣いて謝って土下座しても、あの大きな手でガッチリ掴まれて、生きた撲殺道具にされてしまう。
「わりぃ、誰か俺の武器あずかっといて!」
 愛用の槍を鞘ごと投げて、慶次は堀に飛びこんだ。

 不幸中の幸い、水に沈んだ半兵衛はすぐに見つかった。
 聞けば、落ちた瞬間に咳の発作がおきて、お堀の水を大量に飲んでしまったらしい。
 ドンくさい上に間も悪いのかと、慶次はこっそり嘆息した。


「………それで?何で俺を追っかけて来たんだよ、お前は」
 京でのねぐらにしている長屋へ半兵衛を連れかえり、濡れた衣服を干してやり、代わりの小袖を貸してやって慶次は聞いた。
 なにしろ都の通りを歩いていて、向こうから歩いてきた半兵衛と目があった、次の瞬間には爆走していたのだ。理由なんて考えているヒマもなかった。
 だがこの質問は、半兵衛のお気に召さなかったらしい。
「へぇぇぇぇ。君、自分に心当たりがないのかい。本当に?」
 寒いと言って頭からくるまった小袖の下、地獄の底から這うような声があがる。濡れたまま歩いたせいで身体が冷えて、常よりさらに顔色が悪く唇からも血の気が引いているものだから、下手をすれば本当に死人が呪っているように見えなくもない。
「……秀吉を殴っただけでも許しがたいのに」
 ぼそぼそと、半兵衛は続けた。
「城にあった軍資金を根こそぎかっぱらって」
 ぎく、と慶次の肩が跳ねあがる。
「そそそそれって」
「あまつさえ、それを全部、祭りの神輿からまいただなんて……!」
 半兵衛は拳をにぎっていた。奥歯のすきまから、きりきり歯ぎしる音が聞こえてきそうだ。
「いやホラ何か、むやみに大金持つのも良くねーっていうか、お前らの金って縁起悪そうっていうか、なんとなく厄落とし的に」
「へぇ、そう。何となく、ね……その金のせいで何人死ぬのか、君には想像できないんだろうけど」
「ええ!あれホントに呪われた金?!」
 慶次は思わずひるんだ。
「違うよ金を呪ってどうするんだよ!呪うなら君を呪い殺してるよ!」
 なかば叫ぶように憤慨した半兵衛は、途端に大きく咳きこんで苦しそうに身体を折った。
 ごほ、ごほ、ごほ。
 咳が咳をよぶのか、なかなか治まらない。時折、ひゅうと喉が鳴る。
「おーい?大丈夫か?」
 稲葉山でも大阪城でも、剣を交えた直後に半兵衛が咳をしていたことを思い出す。あの時は軽く乾いた咳だったのに、この咳は重く湿った嫌な音がしている。
 背中をさすってやると、いやに骨ばった感触が手にのこった。
 人を寄せつけない冷徹な態度や、尊大な言い回しにまどわされて見落としがちだが、実際の半兵衛は武将というには華奢で細い。けれど、こんな片腕で抱えられそうなほど、小さかっただろうか。
「堀から引っぱりあげた時も思ったけどよ、半兵衛、お前ちゃんと食ってるか?」
「うる、さい……!そんな心配するくらいなら、最初から金なんか盗むんじゃないよ」
 切れ切れの息の合間に吐き捨てて、半兵衛は慶次の手を振りはらった。
「べっつに。お前の心配なんかしてねぇ、けどさ」
 目の前に苦しむ人がいれば見捨てられない、それが人情というものだ。
 言外の声を察したのか、半兵衛は軽蔑をこめて慶次をにらんだ。
「目先の情に流されて、自分の行動の結末を考えない……君の、そういうところが嫌いなんだよ。僕は」
「ああ、そうかよ。俺はお前の、目的のために足元をかえりみないところが大ッ嫌いだぜ」
 売り言葉に、買い言葉。
 しばし無言でにらみあい、先に視線をはずしたのは半兵衛だった。
「……あの金はね、先の戦で勝ちとった土地に、普請をおこすための資金だったんだ」
 普請とは主に土木工事のことを指す。新興勢力である豊臣が、築城や塹壕掘りといったこの種の作業を得手とする話は、慶次も耳にしたことがあった。
「ちょうど河が合流していて氾濫しやすい場所だったからね。今の時期から人足を集めて堤を築きにかかれば、来年の長雨には充分間に合うはずだったのに」
 悔しそうに唇をかむ半兵衛を、慶次は黙って見つめた。
 農民出身の秀吉や、一族の総領として領地を采配していた半兵衛と違い、慶次は地を耕す暮らしに対して知識が乏しい。友人は皆、町人か士分の家柄だ。
「君の殴りこみのおかげで、着工が大幅に遅れてる。このままだと来年の春には、餓死者が出るだろうね」
「どういう、ことだよ……?」 
 つわもの同士の戦いならばいざ知らず、餓死とは聞き捨てならない。
 表情を険しくした慶次に、そうか君は戦より喧嘩が好きなんだったね、と半兵衛は首をふった。
「国取りの戦の常道だよ。攻めてきた敵軍が、現地で兵糧を調達できないように、田畑をあらかじめ刈り払う。時間がない時には、火を放つ。当然、その年は米がとれないからね。たとえ税を免除したって、食べるものがなければ農民は飢えて死ぬよ。種籾まで食いつくせば、次の年には田畑も死に絶えることになる」
「それはお前らが、くっだらねぇ戦ばっかやってるからだろ」
 慶次の厳しい指摘にも、半兵衛は動じなかった。
「その通り。だから普請をおこし、人足を雇うんだ。治水が成れば、翌年からは必ず実りがあがるようになる。それまで食いつなぐことができれば、誰ひとり無駄に死なずにすむ」
 半兵衛はため息をついた。
「京に来たのは金策のためだよ。君を見つけた時には、捕獲して長曾我部のマグロ漁船に乗せれば、いい稼ぎになると期待したんだけどね」
「………なにげに非道いこと考えてんな、お前」
 ばったり会った瞬間に、そんな計画をひらめいていたとは。道理で、目の色を変えて追いかけてくるはずだ。
「まあ、それはあきらめたよ。当初の予定どおり、米相場を売り抜けてから出兵する。君のお仲間にも、商売をやってる人がいるだろう。巻きこまれないように言っておくんだね」
「また戦かよ」
「堺の出方にもよるね。米は価格が乱高下しやすいし、僕らが売り抜けた後はそれが顕著になるだろうから、圧力をかけてでも平常の範囲内に戻す必要がある」
「わかった。忠告は、ありがたくもらっとくぜ」
 農民のことはわからなくとも、さすがにこれはわかる。
 堺を牛耳る豪商たちならともかく、身ひとつで細々と商う慶次の仲間や町人にとって、市場の混迷は死活問題だ。
「気持ち悪いな。君が素直に礼をいうなんて」
「武器ちらつかせて商売するような、あくどい誰かさんと違って、俺は真っ当な人間なんだよ」
 慶次の皮肉に、半兵衛は微かに笑った。
 目的のために手段を選ばない彼らは、善人ではない。けれど非情をつらぬく彼らの理想そのものは、けっして悪ではないのだろう。
「……言っとくけど、俺はまだお前らを許したわけじゃないからな」
「それは、僕が君に言いたいことなんだけどね……」
 彼らを責めないでほしいという、ねねの最期の願い。
 自分を殺した相手を、なぜ彼女は許したのか。おぼろげながら慶次にもわかり始めていた。
 


「ところで、ひとつ聞きたいんだけど。君、鍋を沸かして何やってるんだい」
「ああ、これ?裏のじいちゃんニワトリ飼っててさ。卵もらったから、こうやって」
「玉子酒?って、ちょっと!待ちたまえ慶次君それ間違って……」
「あれ?」
 鍋で燗をした酒に溶いた卵を流しこんだ途端、卵は千々によじれて固まった。
「?おっかしーな、ちゃんと混ざんねぇや」
「……おかしくはないよ、燗が熱すぎるんだろ。普通はぬる燗か、先に酒と卵を混ぜておいて湯で温めるんだよ」
「半兵衛、お前よく知ってるな」
「恋だの何だの言いながら、いつ見ても君の周りには女手がないよね」
 だから知らないんだろう、と図星をさされて慶次は赤面した。
「うっせぇ!お前には関係ねぇだろ。黙って飲めよ。飲んで暖まって服が乾いたら、とっとと帰れ」
「……見れば見るほど醜悪な飲みものだね」
「卵と酒と砂糖なことには変わりねーよ。お前もうちょっと栄養つけた方がいいって、ほら」
 差し出された湯呑みを受けとって、半兵衛はふうと息を吹いた。
「本当に、君ときたら」
「何だよ」
「矛盾してる……そういうところは変わらないね、昔のままだ」
「まあな。それが、俺の取り柄ってやつだからさ」
「ふふ、よく言うよ」
 慶次が笑うと、つられて半兵衛も静かに笑った。
 
 なんだよ、まだ在るじゃないか。その顔を見て、慶次は詰りたくなった。
 自分で自分の顔が見えない半兵衛には、わかるまい。
 鋭い皮肉や冷たい怒りを含まない、穏やかな笑み。
 昔、なんの屈託もなく友でいた頃と同じ、まるで変わってなどいない。
 ただ、彼らが自分で捨てたと思いこんでいるだけだ。


 対決して、訣別して、今なお許し難く。
 それでも、変わらぬものがあるかぎり、友であることを止める日はこないだろう。
 たとえ、彼ら自身が変わらぬ自分を忘れてしまったのだとしても。




□ END □

慶次のストーリーモード後あたりで。
半兵衛がドンくさいのはプレーヤーの私の腕がドンくさいからです。
長谷堂城追撃戦の隠し通路の吊り橋で、半兵衛は5回、羽目板の外れた隙間から河に落ちました。
半兵衛ごめん……