金の種、地に蒔いて
「なんでだ!なんで、こんな非道いことさできるだ!」
幼い少女が声をあげて泣いている。たなびく黒煙。燃え尽きた家屋。鋤や鍬を力なく地に立てて、うずくまる人々。
踏み荒らされた大地は、泥と雪が混じり合い、ひどくぬかるんでいた。
圧倒的な力に蹂躙された、人と大地。
―――遅かったか。
馬を引き、小高い場所から村を一望して竹中半兵衛重治は嘆息した。織田の手勢は大半がすでに引き、甲冑の音も居丈高に、しんがりの兵が今まさに村を去ろうとするところだった。
尾張の魔王、織田信長が刃向かう者に対して苛烈であることはつとに有名である。
しかし、領土を接しているわけでもない、遥か遠い最北の村に何故に軍勢を向けたのか。
細作よりの報告を受け、単騎にて探りに出たものの、一足遅かったようだ。すでに村は焼け、雪の下で田畑は軍馬に踏みにじられていた。
危惧した通りだと、半兵衛は仮面の下で目を細めた。
―――春が来ても、この地はもう芽吹くまい。
闇を知る者には、天魔が地に残した痕跡が、はっきりと目に映る。
―――秀吉、君の言う通りだ。
―――織田を倒さぬかぎり、この国は病み衰えていつか力尽きる。
かの魔王が天下布武を行って、その先をどのように考えているのか、推し量ることは何人にも出来ない。
だが、布武の成るあかつきには、地に屍が満ち瘴気をあげて国土は沈みゆくだろうと、想像するに難くはない。
―――急がねば。
仮面の下、額の央がうずく。
豊臣秀吉と出会い、同じ理想を胸に歩みはじめて五年。精兵は育ちつつあるが、なお織田に抗するには足りず、その先にある夢を具現するには、何もかもが不十分だ。
この国は強く在らねばならない。
外つ国に対して兵は強くなければならず、兵を支えるには商が興らねばならず、商が振るうには地が豊かでならねばならない。
しかして眼下の現状はといえば。
再度、重い息を吐いた半兵衛と、顔を上げた少女の目線が交わった。
「あんた、誰だべ?」
丘の下で少女が誰何した。
「あのお侍たちの仲間だべか?そんな所で何してるさ、さっさと村から出てけ!」
「…………」
応えず、半兵衛は丘を降りた。少女の声に反応して、村人たちが鍬をかまえ、じり、と半円を形づくる。
「君たちに、聞きたいのだけれど」
答えのわかりきった事ながら、半兵衛は問うた。
「織田の兵は、この村で何をした?家を焼き、田を荒らして米を奪い、逆らう者を切り捨てて帰って行った。それだけかい?」
村の有様を見るだけなら、出兵の理由は略奪に他ならない。
しかし、北条・武田・伊達の領内を抜けて、こんな辺境まで手を出すのは利が無さ過ぎる。
「それだけだと?それがどんなに非道いことだか、お侍には分からねぇだな!」
「いつきちゃん、やっちまうべ!」
「んだ!こいつを見逃したら、また仲間が来ちまうべさ」
周囲の声に押されて、少女は大槌の柄を握りしめた。
「んだな。前にも来た恐ぇお侍は飽きたって言って帰っちまったもの。気が変われば、また村さ荒らしに来るかもしれねぇ」
「飽きた……そうか、信長公は飽きたと言ったのか」
「そうだ!絶対ゆるさねぇんだからな!」
では、出兵は単なる気まぐれだったわけだ。半兵衛は天を仰いだ。この稚気というには残虐な行動を、計算に入れて策を献じることが出来るだろうか。
「アンタの名前は何だ?おらはいつきって言うだよ」
ぶん、と風を切って大槌が鳴る。
身の丈と同じほどの巨大な武器を、少女は半兵衛に突きつけた。
半身を引き、半兵衛もまた剣の柄に手をかける。
「名前……?やれやれ、武器を持って対峙しようというのに、悠長なことだね」
「前に青いお侍が言ってただ。こういう時には名前をきくんだって。さあ、名乗らないだか!」
話の脈絡がつかめない。呆れるというよりは、諦める心持ちで半兵衛は名を告げた。
「竹中半兵衛重治」
身を切るような寒さの中、告げる名乗りには既視感があった。
そう、あれは。
秀吉と出会い、美濃の山奥から外の世界へ出たばかりのころ。
初めて、信長公に目通りがかなった時のことだ。
あの時も、春だというのに凍えるような冷たい気配が辺りに満ちていた。
「お目もじつかまつり、恐悦至極にございます。美濃国不破郡岩手、竹中重元が一子、重治と申します」
面を上げよと声がかかり、身を起こして半兵衛は息を飲んだ。
思わぬ至近距離に、自分を睥睨する二つの瞳があった。射すくめるなどという生易しいものではない。凄まじい覇気が、圧力となって身体をその場に縫い止める。
恐ろしい、と思ったのは初めてだった。人の視線が、ここまで力を持つものなのかと。
「そちが稲葉山城を寡兵で落とした竹中半兵衛か。あの時、余の招聘を拒んでおきながら、猿めに靡くとはな」
音もなく上座を降り立つ信長から、目をそらすことができない。
「……非才の身なれば、策を献じることより他は何も。武勇智謀を兼ね備えたお方には無用かと」
背筋を冷たい汗が伝う。
稲葉山城を明け渡して臣に加われとの信長の誘いをはねつけ、あまつさえ元の城主に無血で城を返還し、美濃から逐電してしまったのだ。
出自経歴にこだわらず有能な人材は高く買うと秀吉は保証したが、勝算は五分だと半兵衛はふんでいた。
だが秀吉の傍らに在るためには、この対面を避けるわけにはいかない。
「……ふん。猿には足りぬ頭がそちだと申すか。小賢しい」
言葉と同時に腕が伸び、額を突かれた。
「――――ッ!」
信長の指が触れた途端、激痛が額をはしった。呻く半兵衛に、魔王が嗤う。
「では、そちに必要なのはこの頭のみであろう。腕をそぎ、足をもいで猿めに下げ渡してくれようか?」
逃れようと身を捩ることも、苦鳴の声をあげて痛みを散らすこともできない。たった一本の指から、容赦なく精気を吸い上げられる。額の先に、底知れない虚無を感じる。
―――これは、駄目かもしれない
全身が震え、歯の根が噛みあわない。脂汗が額を流れて目に染みた。
―――秀吉、君の見る未来を一緒に
―――見たかった、のだけど
苦しい。くるしい。くるしいくるしいくるしい。もとからもろくよわいからだなのに、
いのちが。
もぎとられてすいとられて消えてゆく。
意識が遠のき奈落へ落ちる一瞬、目蓋の裏に光が瞬いた。
―――秀吉!
地の声を聴き人心を慰撫し、豊かに揺るぎなく輝く強き国土。あるべき来し方の、理想の姿。
今まで誰一人として見ることが出来なかった、自分の予測を遥かに超えた夢。
―――見たい。
―――見たい。
―――どうしても、見たい。
半兵衛は目を開いた。目に塩辛い痛みを感じる。曇る視界のなか、精一杯に前を見つめた時、不意に圧力が和らいだ。
「……くだらぬ。飽いたわ、どうでも好きにせい」
つ、と指が離れて、半兵衛は前のめりにくずおれた。
それから、どのようにして対面を終え、別間で控える秀吉の元まで帰り着いたのか、まるで覚えがない。
次に記憶しているのは、熱の下がらぬまま朦朧と、自分に仮面をあつらえてくれと頼んだ時の、秀吉の表情だ。
そこには傷も痣も、目に見える徴は何もない。
けれど気配に敏い者ならば、必ず眉をひそめるだろう。
額から鼻筋にかけて、半兵衛の面には天魔の痕跡が残っていた。
「たけなかはんべえしげはる。お侍の名前って長ぇだな。でも、ちゃんと覚えたべ」
わずかに顎をそらし、少女は得意気に言った。
真っ直ぐに大槌を構えた立ち姿は、りりしいながらも微笑ましい。
「……おらたちには夢がある。でっけぇ夢だ。悪いお侍がどれだけ邪魔したって、おらたちは絶対、あきらめねぇ!」
叫ぶと同時に、よこ殴りの重い一撃が繰りだされる。
「夢、ね」
紙一重で軽くかわし、半兵衛は後ろへ退いた。二撃、三撃と続く大槌の合間に、周囲をかこむ農民たちの鍬と鋤が振りおろされる。
泥と煤を涙で流し、まだらに汚れた地の民の頬。
どの顔も倦み疲れ、どこか捨て鉢な殺気が漂っていた。
さもあろう。この季節、たとえ兵に殺されずとも彼らを待つ運命は死でしかない。
「どこさ向いても、ずーっと黄金色の稲穂の海がある。みんなで笑って米をつくれる、そんな世の中が来るまで、おらたちは戦うべ」
「そうだ!だから、侍は俺たちの土地から出てけ!」
剣を抜く間合いを計りかねて、防戦一方の展開に、半兵衛は内心で舌打ちした。
殺意をもって武器をふるう相手に、躊躇するいわれはない。けれど、どうしてか手酷くあしらう気が起きなかった。
夢、という一語を聞いてしまったせいか。
―――甘いな、僕も。
あるかなしかの微かな苦笑が、唇に浮かぶ。
「それで?」
あえて口調を抑制し、淡々と問う。
「侍を追い払い、蹂躙されたこの土地で君たちは、ただ死に絶えてゆくのかい」
「何だとう!」
気色ばむ男衆たちに、少女が手をあげて制す。
「確かに、おらたちの村は荒されてしまっただ。けど、おらたちは農民で、ここが故郷だ。春になったら種をまき、苗を植えるのは当たり前のことだべ」
「この土地は、もう芽吹かないよ。無駄なことだと思うけど」
「それでも、おらたちは耕すべ。何度でも、芽がでるまであきらめねぇ。そのために、田の神さまから授かった力があるんだもの」
「……そう、それなら」
退いた足を差し戻し、剣を抜く。刀とは違う奇怪な形状の得物に、とまどう暇も与えず、ひと息に薙ぎ払った。
「みんな……!!」
しなやかに宙を舞う関節剣が、武器と人とを搦めとり、鮮やかな弧をえがいて地に叩きつける。
さらに容赦なく加えられた連撃の後、雪の上に立つ者は、少女ひとりになっていた。
「許さねぇ、許さねぇべ!」
怒りに燃え立つ少女の細身を取りまいて、きらきらと輝く白い凍気が渦をまく。
冬は浄化の季節。あらゆるものが一度絶え、再生の春を待つ。
それは確かに、人知を超えた何者かが、天から授けた力だ。
「許す必要はないよ、君の夢と僕の見る夢は違う。だけど」
足元の泥を凍らせる強い気配から跳躍して逃れ、懐から目当ての物を引き出して投げる。
「詫びる気がないわけじゃない。僕はここへ、戦いに来たわけではないからね」
ゆるく山なりに飛んだそれは、少女の手のひらに、すとんと収まった。
「……何だべ、これ」
子供の手に握りこめるほどの、小さな布袋。見た目に反して、ずっしりと重い袋の口を解けば、中には
「黄金色の……種?」
「地に蒔いて芽がでるなら、そうするけどね。あいにく、それは粒金だ」
とまどうように、少女は顔を上げた。
「これ、おらにくれるだか?」
「信用のおける相手を選んで、春までしのぐ備えを購うといい。心当たりはあるかい」
「なくはねぇ、けど……」
少女は心底、困惑した表情で手のひらの布袋と半兵衛を交互に見た。
「いいお侍には見えねぇけど、悪いお侍ともちょっと違う……へんなお侍だべ」
「……変…………」
身も蓋もなくそう言われては、格好のつけようもない。少々気をそがれて、半兵衛は踵を返した。
村のはずれ、板を打ちつけただけの粗末な門までたどりつき、騎乗する。
寒々しい強い風が、馬上の身を震わせた。
仰ぎみれば戦火に煙る空、どんよりと厚くたちこめる雲の向こうで灰色の陽が暮れかけている。
「へんなお侍さー!」
半兵衛の背を追い、少女の声が雪野原に大きく響き渡った。
「おらたちいつか必ずー、そっこらじゅう黄金色の稲穂の海にしてみせるべー!!だからきっと、また見にくるだぞ~!」
沈みゆく国土に根をはって芽吹き、天へと頭を上げる黄金の稲穂。
それは同じ夢ではないけれど、自分の望む夢を形づくる、大切なひとかけらだ。
たとえ目蓋の裏に見る光景に、自らの姿は映らぬが道理としても。
―――悪くはない。
戦塵の名残を漂わせて吹く冬の風に、一抹の春の気配を感じて半兵衛は頬をゆるませた。
□ END □
いえ、その、理由が単に「趣味で」とか言われたらどうしようかと思って、必死に考えたんですが。
豊臣の主従が織田に仕えてた時代を入れるとBASARA公式ではアウトなんですよね……史実なんだけど。
それ以前にイロイロ問題がありますが(笑)