誰にも、何にも
「一体、どうしたのです。慶次」
「え、なに?まつ姉ちゃん」
「何ではありません。食事の最中にぼんやりするなど、らしくもない」
言われてようやく、慶次は自分が動きを止めていたことに気がついた。
夕餉の席、血の繋がらない叔父と叔母が、心配そうにこちらを見ている。
「んー……」
唸りながら、箸を運ぶ。炊きたての白米を口に放りこんだとたん、頬の内側に熱さがしみた。
やっぱり、口の中が切れている。舌で探ると、ほんの少し血の味がした。
「どうした、慶次?腹でもこわしたか?」
上座で一心に飯をかきこんでいた利家が、茶碗から顔を上げた。食が基本の前田家の主は、すでに八杯を平らげていた。
「違うよ。利と一緒にすんなって」
「それならば、良いのですけれど………その調子で、ちゃんとお隣の方をご案内できたのでしょうね?」
空になった利家の茶碗に素早く飯を盛りつけ、まつは眉をよせた。
「ああ、うん……したよ」
目をそらした慶次の内心を知ってか知らずか、利家が身をのりだす。
「隣というと、秀吉のところの?」
「ええ、竹中様とおっしゃる方で。清洲のご城下は初めてというので、慶次をお供させたのです」
「おお!噂の今孔明か」
「いまこうめい?」
「何だ、知らんのか?信長さまが手を焼いておられた稲葉山城を、たった十七人で落とした、美濃でも屈指の切れ者だぞ。確か、菩提山の城主だったか」
「へぇぇ……って、ええ?!あいつ、城持ちなのかよ!」
隣家の主である秀吉は、身分で言えば足軽大将。逆立ちしたって、城持ちよりは身分が下だ。
「うむ。それが秀吉の配下につくと言って、信長さまにもお許しをいただいたのだからなあ。城じゅう、噂で持ちきりだ」
驚く慶次に、利家もうなずいた。
それは噂にもなるだろう。誰がどう聞いても、おかしな話だ。
「っつーか、それじゃ、あいつって歳いくつ?」
「さあ、それがしにもわからんが……お前の歳には家督を継いで、国境の戦に出ておったはずだ」
「俺より年上……嘘みてぇ……」
利家は首をかしげた。
「慶次、さっきから変だぞ。竹中殿がどうかしたのか?それがしはまだ会ったことはないが、どういう御仁なのだ」
「えっ、と」
思わず、慶次はまつと顔を見合わせた。
小さくて細っこくて髪が真っ白で変な仮面をつけてるだなんて、言ってよいものだろうか。
とてもじゃないが、利家の言うような戦歴の持ち主には見えない。
口の中の切り傷は、件の今孔明とやらに失言して殴られたときについたものだ。
それも、油断していてうっかり口を開けていたから切れたのであって、痣も残らぬようなへなちょこの拳を打つ男が、本当に城をひとつ落としたとは、慶次には信じられなかった。
「一体どうしたのだ、二人とも」
沈黙の降りた食卓に、ひとり、訳のわからない利家が取り残された。
翌日。
鰯雲が点々と青い空に散り、ぽかぽかと暖かい陽気の下。
掃除を始めた叔母に、邪魔だと庭に追いだされた慶次は、隣家の垣根ごしに真白い頭を見つけた。
「よう、何してんの」
年上だとわかっても、いまさら口調を改める気はない。
振り向いた半兵衛は、しらじらと冷たい視線で慶次を見上げた。
「君には関係ないよ」
言って、くるりと背をむける。毅然とした足取りで去ってゆく背中に、慶次は頬をかいた。
―――こいつ、まだ怒ってるよ
昨日のことは、その場でちゃんと謝ったし、半兵衛も怒りをおさめたはずだったのだが。
―――ま、いいや
慶次は気楽に考えた。
まだ怒っているのなら、何度でも謝ればいい。つまらない体面にこだわるなんて、疲れるだけだ。
垣根の破れ穴から隣家へ踏みこんだ慶次は、母屋の横で井戸から水を汲む半兵衛に追いついた。
井戸に釣瓶を投げいれて、引き上げる手つきが何やら少々あぶなっかしい。
見れば怪我でもしたのか、片手が布でぐるぐる巻きになっていた。
「右手、どうかしたのか?」
「……………」
答えはない。慶次は腕を伸ばして、代わりに釣瓶を引きあげた。
「ほらよ、その桶に入れんだろ?」
手渡された桶に冷たい水をあけて、井戸端に釣瓶を戻す。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
不本意そうに礼を言う半兵衛に、慶次はにやりと笑って応えた。
あらためて向きあうと、やはり竹中半兵衛は華奢だった。
白い髪、白い肌、淡い唇。どこまでも儚い色彩のなか、瞳だけが鮮やかに黒い。
他に類をみない異相だが、仮面がなければ文句なしの美貌であることも間違いなかった。
―――これでホントに、俺より年上で城持ちで歴戦の猛者?
本人を目の前にすると、どうにも納得しがたいものがある。
「この水どうすんだ。よかったら運ぶけど」
「いいよ。このままここで使うから」
言って、半兵衛は桶に砥石を沈めた。井戸の脇に平らな板を一枚置く。その隣に、次々と見たこともないような道具が並んだ。
「研ぎ道具?」
「凛刀の刃がだいぶん鈍ってきてるからね。城下で腕の良い研ぎ師が見つかればいいんだけど」
ため息をつきながら鞘から抜かれた刀は、刀というより禅寺の坊さんがもつ警策に見えた。反りもなければ鎬もない。ぐるりと一周すべてが刃の直刀に、鍔と柄がついている。
「ふーん、これがお前の刀?」
「そう。扱いの難しい得物だから、下手なところには預けられない」
柄を握った半兵衛の手元で、カチリと小さな音がした。
「へ?」
同時に、刀身がバラバラに分解して慶次は目を丸くした。矢絣の形をした刃が、蛇腹のように連なって長く延び、地に垂れている。
「うわ、すっげー!どうなってんだこれ」
しげしげと眺め指をのばした途端に、ぴしゃりと手を払われた。
「勝手に触らないでくれ」
「いってぇ。なあ、これどうやって使うんだ」
「…………」
半兵衛は返事をしなかった。またもや無視だ。目を細め、刃先を念入りに確かめている。素っ気ない態度に、いいかげん慶次も慣れてきた。
「ちょっとだけ。ちょっとでいいから使ってみてくれよ」
「…………………」
「なー、いいじゃねぇかよ。見せたからって減るもんじゃねぇし、って……うっへ!」
慶次は何が起きたかわからなかった。
ひゅん!と風を切る音がしたと思ったら、宙に放り投げられていたのだ。
「まったく、君は落ち着きがないね」
凛刀を引き戻し、半兵衛は苛々した様子で立ち上がった。
「扱いが難しいと言っただろう。こっちは真剣なんだから、少しは静かに……」
文句を半分も言い終えず、半兵衛は口をつぐんだ。
むく、と起きあがった慶次が、全身のバネを使って跳ねるように立ち上がり、目をキラキラさせながら迫ってきたからだ。
「今の、もういっぺんやってみてくれ!」
「………は?」
「あ、いや、今がダメなら刀の手入れが終わってからでもいいし!俺ん家で手合わせしようぜ。な?」
「君、いま自分が何をされたか分かってるのかい?」
「全っ然!わかんなかった」
何が嬉しいのか、満面の笑みで力いっぱい首を振る。面食らった半兵衛は、打ち所が悪かったのだろうかと慶次の頭を危ぶんだ。
「俺、こういう武器つかうヤツとやりあったことないし、絶対、利も見たがると思うんだよな。駄目か?」
「つまり君は、この僕と手合わせがしたいと言ってるんだね」
うなずく慶次に、半兵衛は冷ややかな目を向けた。
「どうして僕と?君も昨日言ったとおり、僕は飾っておいた方が人の役に立つような人間なんだろう?」
正確には、他人の目の保養になる、だ。
涼しい顔をして、半兵衛はかなり深く根にもっているようだった。
慶次は両手をあわせ神妙に頭を下げた。
「それは本当に悪かったって。この通り」
だからお願い、と拝む慶次にも半兵衛はほだされない。
「おまけに今度は、武器が珍しいからだって?悪いけど、見世物になる気はまったくないね」
「そんなんじゃねぇって」
慶次は唇をとがらせた。
「俺、戦は嫌いだけど、やっぱ喧嘩は強いヤツとやんなきゃ面白くねぇしさ」
それに、と慶次は半兵衛に真摯な目を向けた。
「お前、強いだろ」
嘘や世辞ではないのだろう。若さ故にか幼さか、慶次の言葉は、意地をはるのも馬鹿らしくなるほど真っ直ぐだった。
ため息まじりに、半兵衛は自分の負けを認めた。
「なるほどね。それで君は、秀吉と年じゅう拳を交わしているわけか」
「まあな。なあ、頼む。一度でいいから、手合わせしてくれよ」
「……仕方がないね」
呆れ気味に肩をすくめて半兵衛は、ふと、表情を和らげた。
「……僕にそんな事をねだるのは、久作ぐらいだと思ってたけれど」
その呟きは空気に融けるほど小さくて、慶次の耳には届かなかった。
「やっりィ!」
慶次は大喜びで拳を握りしめた。大げさな身振りに、半兵衛が顔をしかめる。
「じゃあ、俺」
後で迎えにくる、と慶次が言いかけた時、
「まつ~!慶次~!いま帰ったぞー!」
耳に痛いほどの陽気な声とともに、何かが塀の向こうを通過した。
「あ、利だ。なんだ今日は早いな」
「…………」
呑気にそれを仰いだ慶次の隣で、半兵衛は硬直していた。
塀の上に突き出しているのは、荒々しく跳ね踊る巨大な……
魚の尾、だ。たぶん。
「まつ~!見ろ、この活きの良さ!」
「まあ、何と見事な。わたくしも腕のふるいがいがござります」
「うぉおお~!今日の夕飯が楽しみだあ!」
盛り上がる隣家の夫婦に、ようやく半兵衛が口を開いた。
「…………あれ、なに?」
「カジキマグロ。お前見たことないの」
「ない」
考えれてみれば当然だった。美濃は四方を他国に囲まれた、海のない国だ。遠洋を泳ぐ魚に縁がないのも無理はない。
「じゃあさ、今晩、俺ん家に食いにくる?まつ姉ちゃんの料理うまいぜ」
「……行く」
半兵衛の目線は、まだ塀の上を向いていた。
気のせいか、こころもち頬が赤く染まり、目がうっとりとしているように見える。
なんだかちょっと、子供っぽい表情だ。
「ええと」
―――もしかして、こいつって大きいもの好き?
身分の違いもかまわずに臣に下った相手は、あの秀吉だ。可能性は大いにある。
「俺、まつ姉ちゃんにお前がくるって言ってくるわ」
「うん。じゃあ、後で」
半兵衛は、まだ上の空だった。慶次を振り返りもしない。
慶次は声をたてずに笑った。この愛想の無さも、だんだん面白くなってきた。
―――なんとか仲直り、出来そうだよな
天気は上々の秋の日和、今夜の飯もきっと美味い。昨日、殴られた相手とは、今日、仲直りできそうだ。
軽い足取りで、慶次は自宅へと駆けもどった。
□ END □
慶次って、生まれた年に諸説あるらしいですね。下手すると、秀吉と同じ歳だったりするらしく。
ウチの友垣は、年の差設定でよろしくお願いします。