誰にも、何にも
泣いて泣いて涙も枯れるほど泣いて、それでようやく視界が乾いて前が見えた。
どこをどうやって歩いてきたのかも覚えていない。
気がつけば、見慣れた家までたどりついていた。
空が青い。
お日様が、明るく眩しい。風は暖かく穏やかで、何もかもが嘘みたいだった。
あんな事があったのに。
どうして太陽は昇るのだろう。
どうして夜は明けるのだろう。
どうして、ここには誰もいないのだろう。
どうして、自分はここにいるのだろう。
彼女は死んでしまったのに。
昨日まで、彼女が暮らし日々を愛した家は閑散と静まりかえっていた。
「慶次?そこにいるのは慶次ですね」
「まつ…姉ちゃん」
のろのろと顔を上げれば、垣根の向こうに叔母の姿があった。
城下を飛びだし一昼夜、ただそれだけなのに何故かひどく懐かしい。
「慶次…!よくぞ無事で………」
嗚咽をこらえるように口元を抑え、まつは慶次に駆け寄った。
「犬千代さまもわたくしも、どれだけ心配したことか」
「……まつ姉ちゃん、俺……」
「よいのですよ、慶次。みな承知しております」
いたわる言葉と共に、優しく抱きしめられる。いつもは気丈なまつの背が、小さく震えていた。
子供のように手を引かれて、我が家へ帰る。
門の前で、利家が待っていた。いつもは陽気なその顔が、厳しい色を浮かべていた。
なんだか本当に嘘みたいだ。
普段と様子が逆の叔父夫婦。誰もいない隣の家。
周りのすべてが奇妙に思えて、現実感が希薄になる。
「慶次、お前ひとりか?」
「犬千代さま!どうか今は……」
「秀吉と半兵衛を追討せよと命が出た。二人の行き先に、心当たりはないか」
「……俺、知らない……」
「慶次、それがしを信じてくれ。今ならまだ、手はあるかもしれん」
「…………本当にわかんねぇ、わかんねぇよ!だって!」
激昂したとたんに、ぽろりと涙がこぼれた。
あんなに泣いたのに、まだ続きが流れるなんて人間の身体は不思議だ。
「……あいつら、俺に何にも言わなかったんだ。どうしてなのかも!どこに行くのかも!」
鼻の奥がツンと痛む。
嘘じゃない。
どんなに認めたくなくても、事実は変わらない。
絶ち切られた絆の望み薄さに、慶次は拳を握りしめた。
ある晴れた日。落涙は、天気雨のように降りつづけた。癒えがたい傷心を洗って。
そして二人は姿を消した。誰にも言わず、何にも言わず。
□ END □