光とは



 誰かに呼ばれたような気がして目を開けると、秀吉の顔が見えた。
 こんな明るいうちから見舞いにくるなんて、珍しい。
「すまん、起こしてしまったな。大事ないか、半兵衛」
「……ん、だい…じょ……う、ぶ」
 喉がひりひりする。声は情けないほど掠れていた。
 身を起こそうとすると、額に手を置かれて止められた。
「熱は下がったようだな」
 温かく乾いた大きな手のひらが、心地よかった。寝汗を大量にかいた僕の身体はこごえていて、人肌の熱ですら有り難い。
「……大丈夫、だ、か……ら」
 嘘ばかり。でも、今度はどうにかましに言えた。
 どうせ発作が始まれば、また声は出なくなるのだろうけど。
 喉を灼く激しい咳の発作。夕暮れが近づくにつれ、消耗した身体が燃えるように熱くなる。高熱にうなされて見る夢は悲しいものばかりで、眠ることが怖ろしくて仕方がない。明け方に少しだけまどろんで、冷たい汗に目が覚めれば、昨日よりも息が細くなっていることに気づく。
 毎日、その繰り返し。
 死病というものが、これほど身に迫るものだとは思わなかった。
「何を笑っておるのだ、半兵衛」
 たいした事じゃあないんだよ、秀吉。
 ただ、この期におよんで未だ知らざることを知るのかと思うと、滑稽だっただけだ。知識など、このさき何の役にも立たないというのに。
 秀吉は困った奴だとでも言いたげに、僕の髪をなでた。
「お前が気にしておった、播磨の件だがな。やはり、出兵することになりそうだ」
「…………そ…う」
 城内ではもう、僕に外の情勢を語るのは秀吉ぐらいのものだった。
 命の短いものに話したとて、意味のないことぐらい誰にでもわかる。
 わかっていないのは秀吉だけ。いずれ来たる僕の死を知らないのは、秀吉だけだ。
 秀吉は決して魯鈍ではないのに、どうしたことだろう。
 明るく澄んで赤みの強いその瞳に、映る僕の姿はくっきりと死相が浮かんでいる。
 おのれの目に映る現実に、なぜ秀吉は気がつかないのか。
 それだけが、どうしても不思議だった。
「おそらく、周辺の支城を連携して抵抗してくるだろう。こちらの布陣としては……」
 指折り数えあげる陣容は、文句のつけようもないほど見事だった。
 僕と出会った最初の頃、戦といえば力まかせだったあの秀吉とは思えないほどに。
「……まあ、そんなところか。月が変わる頃には、出陣することになるであろろうな」
 そう、秀吉は締めくくった。
 この布陣で問題はないだろうか?でもない。
 この戦にお前も参ぜよ、でもない。
 秀吉は、僕のいない戦を想定している。
 僕のいない、未来の話をしている。
「どうかしたか?」
「なんでも……ない……よ」
 そうだよ、ぜんぜん、たいした事なんかじゃない。
 秀吉は未来だけを見るべきだと、進言し続けてきたのは、他ならぬ僕だ。
 秀吉の目に映る未来に、僕がいないことなんて自明の理じゃないか。
 秀吉は、それほど遠い未来に目を向けているのだと。
 喜ぶべきだ。
 言祝ぐべきだ。
 すべての幸いが、このひとの上にありますようにと。
「半兵衛?」
 冷たい滴が、ひとすじ頬を流れた。
 かすむ瞳を懸命にこらして、秀吉を見上げる。
 眩しい昼の光のなか、その輪郭は黒々と際だって大きく見えた。
「……大丈夫。目を……閉じてばか、り、だった……から、少し、眩しいだ、け…だよ……」
 光とは。
 目をそらせないほどに眩しく。
 容赦ないほどに正しく。
 そのために命を擲っても惜しくないほど、尊くて。
 秀吉は、小さく笑ったようだった。
「何故だろうな。お前が年老いて、我と茶を飲む姿など想像ができぬ。常に力強くしなやかに、闘う姿しか目に浮かばぬのだ」
 それはきっと、君が知る僕が年老いたりはしないからだ。
 君が照らす光輝のなかに、僕の姿はないからだ。
 けれど君が望むならば、いつまでも、僕は君が望む姿でいよう。
「ひで、よ……し」
「うむ?」
「お願い、が……ある、んだけ、ど」
 闘えというならば、命絶えても闘いつづけよう。


 君という光が僕のいない未来を揺るぎなく暴きだす、その時がくるまでは。





□ END □