春のかたみ



 梅が枝の先に、小さな紅いつぼみが綻びかけていた。
 一枝折りとり見舞いに差し出せば、春も初めの匂いがすると、床に伏せたまま半兵衛は笑った。
 病にやつれ肉の削げた頬は、名残の雪より白かった。



 半兵衛が病に倒れたと、秀吉からの文を慶次は京の都で受けとった。
 訣別し、互いに歩み寄る余地はないと拒絶しておきながら、こんな時だけは報せをよこす。
 頭にきた慶次は、文を破いて竈で燃やした。
 燃やして、灰を始末して、旅支度をととのえて、気がつけば逢坂まで足を運んでいた。
 まったくもって、タチが悪い。
 自ら選んだ道をゆき、こちらを顧みようともしないあの二人に振りまわされるのは、いつだって慶次ひとりなのだ。
 城を離れて療養する半兵衛の、閑雅な庵の前に立ち、慶次は自分の人の好さに腹を立てていた。
―――この見舞いを済ませたら、もう二度と本当に、あいつらとは関わるものか
 しかし、その憤懣も、病の床に案内されるまでだった。
「不調法ですまないね。先に使いをだしてくれれば、ちゃんと床を上げておいたんだけど」
 臥したまま慶次を迎えた半兵衛は、少し困ったように微笑した。
 当然のことながら、その顔にいつもの仮面はない。
「いや、悪いのはこっちだ。宿をとらずに直接、来ちまったから」
 謝りながら、慶次は眉をひそめた。
 病が篤いと、確かに文には書いてあったが。
―――どうしてこんなに、命の気配が薄い
 もとより淡い風貌に加えて、消え入りそうなほど印象が儚い。
 素顔の半兵衛は、慶次の胸に暗雲を漂わせた。
「ああ、いい匂いがするね。君にしては、気のきいた土産じゃないか」
 かすれた声で身を起こした半兵衛は、紅梅の香りに軽く咳きこんだ。
「おい、無理すんなって。寝てろよ」
「……大丈夫。今日は、調子がいいんだ」
 そう言う半兵衛の顔色は、お世辞にも良いとは言えなかった。厚く綿を入れた上掛けを羽織ってなお、細い身体の稜線が見てとれる。
 喉の苦しみを慮ってか、火鉢の上で鉄瓶が蒸気をあげていた。部屋のなかは、温かく湿っている。
 湯気に溶けて漂う梅の香に、半兵衛は薄く笑った。
「それに、この香りを肺の奥まで吸いこめるなら、咳をするのも悪くない」
「そんなに匂いが強いか、この梅」
 道中のうちに慣れてしまったのか、慶次には香気がわからなくなっていた。
「君は鼻が慣れてるんだよ。こうやれば……」
 すい、と伸びた指先が慶次の鼻をつまんだ。
「なにすんだ、おい!」
 慶次は軽くのけぞった。
 指が離れたとたん、馥郁とした豊かな香気が鼻の奥に流れこむ。
「ね、いい香りがするだろう」
 くつくつと、半兵衛は喉で笑った。
「お前な………おい、そんなに笑うなって」
 身を折って肩を震わす半兵衛に、慶次は憮然と唇を曲げた。背けた顔の表情は読めないが、忍び笑っているのは間違いない。
「何がそんなに可笑しいんだよ、いいかげんに……」
 慶次が声を荒げかけた、その時。
 ごぼ、と半兵衛の喉が鳴った。
「半兵衛?」
 ごぼり、ごぼり、と苦しげに身体が波打つたび、梅の紅より鮮烈な、血の紅がこぼれ落ちる。
 ひときわ大きな血痰を吐きだして、呼気が通じるようになると、さらに激しい咳が後に続いた。
「半兵衛、お前…!」
「ごめ……ん、せっかく、来てくれ、た、けど今日は、もう……」
 切れ切れの息の合間に言葉をしぼり出し、半兵衛は瞼を閉じた。


 控えていた小者に後を委ねて、慶次は庵を辞した。
 来た道を戻る途中、枝を折った梅の下で立ち止まる。
 花の紅、血の紅。
 噎せかえるような芳香に混じる、肺腑の匂い。
 くらくらと頭を酔わせる暗い予感に、拳を握りしめた。

 間違いなく、あれは死病だ。

 労咳は、養生すれば長らえることも可能だが、決して治ることのない病気だ。
 ましてや、半兵衛は血を吐いている。
 余命は幾許か、いずれ迎える最期は明らかだった。
「………………ねね…」
 冷酷だと面罵したこともあった。許せないと今でも思っている。
 けれど病と聞けば心が揺らぎ、その死相を目の当たりにして、こんなにも胸が痛む。
 ねね、秀吉、半兵衛、そして自分。
 二度と戻らない思い出だけの存在に、新たに半兵衛が加わろうとしている。
 それが、辛くてたまらない。
 奥歯を食いしばり、慶次は嗚咽を噛みころした。



 それから毎日、慶次は半兵衛の庵に通った。
 何をするでもなく、顔を見て雑談をかわし、時には手土産をたずさえて。
 紅梅、白梅、唐梅に福寿草。春の息吹の前触れに、寒気のなかで咲き初める花々。
 凍てつく風にも負けず、凛々しく芽吹く草花を、半兵衛は何より喜んだ。
「君に、そんな才能があったとは知らなかったよ」
 平らかな片口鉢に水を満たして花器に見立て、枕元で活けてやる。
 低く張り出した梅の枝は、枕に頬をつけた半兵衛の目線と同じ高さだった。
「見よう見まねだ、ちゃんと習ったわけじゃねぇよ」
 この数日、半兵衛はずっと寝たきりだった。身を起こして話すことすらしない。
 声にも瞳にも力が無く、下がらぬ熱に朦朧と目を閉じてしまうこともしばしばだった。
 その事実に、あえて慶次は無視を続けた。
「藍雪に言わせれば、俺の活け方は野っぱらに咲いてるのと変わらねぇらしいし」
「ふふ、言い得て妙だね」
 ぱちり、と枝を詰めて慶次は顔をしかめた。
「悪かったな下手くそで」
「ほめてるんだよ。野趣にあふれるとでもいうのかな」
 熱っぽい息を浅く吐き、半兵衛は笑った。
「秀吉ならわかるんだろうけど、僕は華も茶もさっぱりでね。こっちの方が、ずっといい」
「お前って、昔からそうだったよな」
 優美な見てくれとは裏腹に、半兵衛は風流や情緒というものに全く無頓着だった。
 かたや、武骨な偉容の秀吉はといえば、慶次の酔狂につきあえる程の趣味人だ。
「覚えてるか?昔、秀吉が茶道具をそろえるって言い出してさ」
「ああ、あの古田殿の」
 二人を並べて見比べるに、内外のあべこべさに笑いがこみあげる事件も多かった。
 ぽつりぽつりと思い出話に花を咲かせながら、枝に鋏を入れて仕上げてゆく。
 ささやかな会話の端々で、半兵衛はよく笑った。
「僕の顔に何かついてるかい?」
 あまりの珍しさに、つい、手を止めた慶次に首をかしげる。
「いや……お前でも、そんな顔して笑うんだなと思ってさ」
「―――?どんな?」
「どんなって、そんな感じの」
 曖昧な返答に、半兵衛は鼻に皺を寄せた。
「君の言うことは、相変わらず意味不明だね」
「るせーな。鏡みろ、鏡!」
 口調は常と変わらず嫌味だが、表情は悪戯っぽく朗らかだ。
 能の小面は、見る者の心によって表情を変える。
 冷たく感じていた仮面の下で、もしかしたら半兵衛は、いつもこんな顔をしていたのかもしれなかった。
 ただ、自分がそうとは思わなかった、それだけで。
「ま、こんなもんか。出来たぜ、半兵衛。……半兵衛?」
 野生のまま鉢に漲る花々に、応える声は無かった。
 力尽きたように枕に沈む細い頸。先程まで笑っていたことが嘘のように、浅く速く、苦しげな呼吸。
「………………」
 時間は、もうそれほど残されてはいない。
―――俺に出来ることは何だろう……
 眠る半兵衛の傍らで、慶次は黙考した。 
 和解とは程遠い。けれど訣別した時のままでもない。許すことはできないが、憎んでいるわけではない。
―――俺は、どうしたいんだ?
 どれほど考えても、答えは容易に出そうにはなかった。



 数日後、いつものように庵を訪れた慶次は、ちょうど土間から運びだされる遺骸に行きあたった。
 戸板の上、菰の端からだらりと落ちた手足は、べったりと血に塗れている。
「――――――!」
 駆け寄った慶次は絶句した。
 庵のなかは、ひどい有様だった。
 突き倒された衝立。桟の折れた障子には禍々しく尾をひいて、血の跡が繁吹いている。
 激しく踏み荒らされた室内に、主の姿はなかった。
「半兵衛!半兵衛、無事か?!」
「……ああ、慶次君。すまない、今は取りこんでいるから日を改めてくれないか」
 細い声に振り返れば、庭先に半兵衛が立っていた。下男に肩を支えられてはいるものの、どこにも怪我はないようだ。
「んな事言ってる場合か。この馬鹿」
 下男を手伝って、半兵衛を濡れ縁に座らせる。いくぶん熱は下がっているようだが、顔には疲労の色が濃い。
 つらそうに柱にもたれた半兵衛の肩に、慶次は自分の長羽織を落とした。
「一体、何があったんだ」
 されるがままに長羽織にくるまれて、半兵衛は低く自嘲した。
「刺客だよ。放っておいても先は見えているというのに、ご苦労なことだ」
「お前、そういう言い方すんのは…」
「死んだ者には、本当にすまない事をした。でも、城を離れれば必ず誰かが動くと、最初から分かっていたんだ。驚くには値しない」
 慶次は眉をよせた。
 確かに、この庵で働く者は皆、壮健な男ばかりだ。下働きにありがちな、老人や女子供は一人もいない。
 それが、あらかじめ襲撃を見越した備えなのだとしたら。
「秀吉は、この事を知ってんのか」
「言う必要はないよ」
「無いわけねぇだろうが」
「……君と別れた、あの時から。僕に、暗殺者の影が無い日はなかったよ。今さら言わなくたって、秀吉もわかっているさ」
「だったら!あいつは知ってて、お前を放って置いたのかよ!」
「秀吉だって、常に命を狙われている」
 ゆっくりと目を伏せ、半兵衛は長く息を吐いた。
「僕らがしてきた事は、そういう事だと非難したのは君だろう」
「戦を、やめる事は出来ないのか」
 どこか他人事めいた言いぐさに、慶次は怒りをこらえて短く問うた。
「無理だね。それに、たとえ天下を統一しても危険がなくなるわけじゃない。戦が終われば、秀吉は国の基を変えるよ。あらゆる土地を測り、度量衡を一つに定めるつもりだ」
 升や尺といった度量衡は、土地や人によって変わるのが通例だ。ゆえに、年貢の徴収にだけ特別な升が用いられる国も少なくない。
「既存のやり方で利権を得ていた者たちは、こぞって秀吉を恨むだろうね」
「そんなこと、する必要があるのかよ」
「各地で産する黄金や、石見の銀。異国が目の色を変えるものが、この日の本にはある。国の基盤を整えて、民を富ませ、強兵を育てることにしくじれば、いずれ……」
 南蛮異国に対する警戒は、たびたび秀吉と半兵衛が口にしてきた事だった。
 それはまた、慶次が二人に感じる遣るせなさの一因でもあった。
 彼らが抱く異国への疑心は、そっくりそのまま、兵力を増す豊臣と諸国の構図にあてはまる。それでは、どこまでいっても戦が終わることなど有り得ない。
 険しい表情の慶次を見上げ、半兵衛は語りを止めた。
「君が、僕らの考えを好まないことは知ってるよ。わかってくれとは言わない。君は君の望むように、生きればいい」
 眩しいものを見るように、柔らかく目を細める。
「ただ、ひとつだけ、君に頼みがあるんだ」
「……何だよ」
「憎んでいてもいい。恨んでいてもいい。お願いだから、君は秀吉より先には死なないでくれないか」
「は?」
 あっけにとられた慶次に、半兵衛は小さく笑った。
「長谷堂城で戦った時、秀吉は真っ先に君を追った。……わかるかい?秀吉にとって、今でも君は大切な人間なんだ。その手で滅ぼさずにはいられない位に」
「何だよ、それ……わかんねぇよ」
「一度目はどうにか耐えた。二度目もきっと……大丈夫だろう。でもね、三度目には耐えられないよ。秀吉は、君が思うほど無情ではないから」
「な……っ」
 一度目は耐えきれずに逃げ出した。二度目は今なお心を決めかねている。なのに。
―――秀吉秀吉って、あいつの事ばかり言いやがって
 悲しむことなどないと、思われているのが癪にさわった。
―――それでも、これが
 だったら悲しんでやるものかと、意固地に思う自分に泣き笑いがこみあげる。
―――俺が半兵衛にしてやれる最後のこと、か
 腹に力をいれて感情を抑え、慶次は半兵衛を見据えた。
「それで、いいのか」
「うん」
「本当に、それでいいんだな」
「うん。ああ、でも、叶うならもうひとつだけ」
「お前な……今度は何だ」
 無邪気に言葉を足した半兵衛に、慶次は脱力した。
「どうか君は健やかで幸多いよう、祈ってるよ」
 穏やかに言って、半兵衛は本当に綺麗に微笑んだ。


 それが慶次の知る、今生で最後の竹中半兵衛の笑みだった。





□ END □

異国云々の理屈は、確か小説版で半兵衛が口にしてたような気がします。
ゲーム本編の半兵衛は、思いっきりザビー城に無関心なんでイマイチ確信がもてませんが……