とはずがたり
この手鎖をかけられたのは、小生がまだ豊臣にいた頃のことだ。
え?お前は今でも豊臣の将だろうって?
馬鹿を言うなよ。小生には野心がある。ついでに凶王三成とは仲が良くない。
よって、小生は豊臣配下ではない。太閤が死んだ今では、だがな。
野心があって何が悪いんだ?この乱世に男として生を受けたからには、誰だってそういうものだろう。
それを謀反と言われても、小生には三成の考えこそが分からんよ。
まあ、それで、いつの戦の後だったか。
恩賞で揉めたあげく、不遜だ危険だと罵って、三成が小生の腕を封じるべきだと言い出したのさ。つまらない言い争いに、いいかげん太閤も持て余したんだろうな。
手鎖で済むなら、それも良かろうと言われて、この有様だ。
仕方なく、小生は待った。
お前さんも、名前ぐらいは知ってるはずだ。
この手鎖をはずせと、太閤に向かって意見が出来る唯一の人間。
豊臣の軍師・竹中半兵衛の帰還を。
ところが。
戦地より帰還した竹中半兵衛は、黒田官兵衛の姿を見るなり爆笑した。
「なぜじゃぁあ!なぜ笑う!」
思惑がはずれ、官兵衛は大いに憤慨した。
平らに整えられた城門前の石畳を蹴りとばし、地団駄を踏む。
「は、は、あはは、だって、―――ふ、ふふっ、似合ってるよ黒田君」
息も絶え絶えに喉を震わせ、半兵衛は身体を折った。
豊臣の勝利に終わった戦の始末に、半兵衛は後詰めを率いて戦地に残っていた。
ゆえに、諸将よりは一足遅れての帰還となったのだが、城に戻るなり、この爆笑はあんまりではなかろうか。
「事情くらい聞いてから笑え。小生はな、この三成に……」
「城番に聞いたよ、恩賞でもめたんだろう。ああ、苦しい。笑いが止まらないじゃないか」
笑い転げる半兵衛に、官兵衛と並んで出迎えに参じた三成が目を剥いている。
敵を欺くには、まず味方から。
通常、軍師の職にある者は、おいそれと感情をあらわにはしないものだ。
三成はおろか、周囲の兵や立ち働きの下人までもが、何事かと驚くなか、
「竹中、知っているなら笑ってないで小生を助けろよ」
「助ける?どうして?」
けろりと笑いをおさめ、半兵衛は顔を上げた。
「小生を自由にするよう、進言できるのはお前さんだけだろうが」
「進言、ねぇ」
揶揄を含んだ声色で、わざとらしく首を傾げてみせる。
「正直、君に必要な事とは思えないけれど」
「どこがじゃ!何処からどう見ても、小生は不自由だろうが」
「じゃあ、聞くけどね。君が謀反を起こすなら、何のために天下を狙うのかな?」
「半兵衛さま!」
この言葉に眉を吊り上げた三成を、半兵衛は手を振って制した。
不承不承、引き下がる三成を鼻先で笑い、官兵衛がニヤリと答える。
「もし小生が天下を狙うとしたら、か?そうだな、それこそ自由のためとでも言っておくかね。気にくわない奴に頭を下げて一生暮らすなんざ、ごめんだからな」
「そう言うと思ったよ。だからね、三成君」
官兵衛の答えにうなずき、半兵衛は三成を振りかえった。
「黒田君に、謀反を起こす予定はないんだよ。今のところは」
「何故ですか、半兵衛さま」
むっと眉をよせた三成を、柔らかく諭すように続ける。
「それを自由というなら、天下人になる必要なんかないからさ。隠居して、仕官をやめればいい」
秘蔵っ子と呼ばれ、物心ついた頃から豊臣に仕える三成には、主君を選ぶという発想がない。
みずから豊臣に参じたばかりの官兵衛に、秀吉への叛意があるはずもないのだが。
「………………………」
三成の表情は、不満げなままだ。
「それにね、三成君」
この強情に肩をすくめ、半兵衛は言葉を足した。
「黒田君の自由を封じるのなら、手鎖なんかじゃ足りないよ」
官兵衛の腕を縛める手枷は、木枠をかませた頑強な造りだった。重りとして下げた鉄球は、子供の身の丈ほどもある。
これだけ厳重な代物を、あっさりと否定されて三成は困惑した。
「では……半兵衛さまならば、どのように?」
「そうだね。首を刎ねるか、深い穴に落として蓋でもしておくかな」
「おい、そんなことをしたら小生は死ぬだろうが!」
「そうでもしなければ、君の自由は奪えないということだよ。話に聞いて、さぞかし苦労してるだろうと思ったのに……君ときたら、何事もなく手鎖に馴染んでいるし。あまりに可笑しくて、咳が出たよ」
半兵衛の口調は呆れ気味だった。
つまり半兵衛の見地によれば、官兵衛の腕を封じることに意味はなく、不自由だと叫ぶ官兵衛の主張は誤りであり、自由であるからには謀反を起こす理由もない。
よって、秀吉への進言も必要が無いということだ。
ずいぶんと詭弁くさい理屈だが、三成は真面目に受けとめたらしい。
「よく分かりました、半兵衛さま。肝に銘じておきます」
「うん、三成君は理解が早くて大変よろしい」
何やら真剣に考えこむ三成に目を細め、半兵衛は踵を返した。
率いた兵に解散を告げ、秀吉の待つ表御殿へと足を向ける。
その背を、官兵衛は慌てて追いかけた。
急な動きに、手鎖に引っぱられた鉄球が、ごりごりと石畳を削る。
「待て、竹中」
「まだ何か?黒田君、僕は忙しいんだけれど」
舗装を砕きながら歩く官兵衛に、半兵衛は軽く顔をしかめた。
「お前、面白がっているだろう」
「まあね、三成君らしいと言うべきかな」
「おかげで小生はとんだとばっちりだぞ」
城門を抜け軍師二人、肩を並べて歩く。視線を上げず、半兵衛はひっそりと笑った。
三成や配下の兵には、決して見せない類の薄い笑みを浮かべ、低く問う。
「実際、手鎖のせいで出来なくなった事でもあるのかい」
「出来なくなった事なんざ、星の数ほど……いや、待てよ」
問われて、官兵衛は首をひねった。
不自由だと叫んでみたものの、確かに出来ないことは何もない。
衣服は手鎖を通さずに着替えられるよう、工夫をしたので支障はない。不便だと思っていた厠や入浴も、慣れてしまえばそれまでだ。
それどころか、手鎖に吊した鉄球が、思いのほか武器として重宝すると気がついたのは、腕を封じられて三日目のことだった。
なにしろ、堅牢な門扉も一撃粉砕なのだ。これがあれば、いちいち戦場で攻城器を組む必要もなくなる。
沈黙した官兵衛に、半兵衛は言った。
「ないだろう?秀吉だって、問題ないと思ったから手鎖に反対しなかったんだよ。それに――」
一拍おいて官兵衛を見上げた瞳は、不穏なほど愉しげに輝いている。
「格好いいじゃないか、その手鎖」
「どこがだ」
「刀や槍より、見た目に迫力があるしね。敵に与える威圧感は、格段に強くなると思わないかい」
「威圧感……ねえ。そういうものか?」
言われてみれば、悪い気はしない。
まんざらでもなさそうな官兵衛を横目に、半兵衛はそっと息を吐いた。
「まったく手間がかかるね、君たちは。僕はもう行くよ、秀吉が待ってる」
じゃあね、と歩み去る半兵衛の背を見送り、官兵衛は呟いた。
手枷に繋いだ重い鎖がじゃらりと鳴る。
「……本当に格好いいのか、これ……」
それっきり、小生の腕は封じられたまま今に至るという訳だ。
結局、舌先三寸で煙に巻かれてしまったのさ。小生も、三成の奴もな。
竹中半兵衛っていうのは、そういう男だ。
格好いいと褒められた?あのな、竹中の好きなものといったら、太閤に滅騎に本多忠勝、どれも馬鹿みたいにデカイんだよ。
鉄球の大きさに慣れすぎて、気づかなかった小生も迂闊だったが、まったくもって竹中とは趣味が合わん。
おまけに三成め、あの時の竹中の言葉を覚えていたんだろうな。
太閤が世界に目を向けている隙に、小生をこんな穴倉に落としやがって。
そこで、だ。
お前さん、小生と一緒にここを出る気はないか?
豊臣には義理もあるが、凶王三成を主君に選んだ覚えはないからな。
小生は、この穴倉を出る。今度こそ、あの天窓の先の箒星を掴んでみせる。
天下をとって、自由になってみせるのさ。
□ END □
半兵衛と官兵衛は、お互いを認めてるからこそ腹黒い顔も全開で見せられる、そういう仲だといいなと思います。逆に三成は、半兵衛にとって「ウチの子」だから怖い顔は見せません。