一雨
遠くで雨が降りつづいている。
さわさわと青く竹林を鳴らして続く雨垂れの音。
陰鬱に天を閉ざす長雨が、熱に浮かされた頭を重くする。
物心ついたころから病弱で、季節の変わり目には決まって床に伏せていた。
ひどい寝汗にぐったりと目蓋をひらけば、昼の光に天井が明るく滲んでいる。
「―――夢をみたんだ」
枕元に付き添う影に、半兵衛は訴えた。
「夢のなかで、血を吐いてた。とてもたくさん」
熱を出すと、いつも奇妙な夢をみる。それは脈絡も無く楽しいこともあれば、身をしぼるように怖ろしいこともあった。
嫌な夢は、口にだせば逆夢になるという。
良い夢は、誰かに話せば正夢になるという。
いったい、どちらが正しいのだろう。大人たちが言うことは、筋の通らない虚言ばかりだ。
「息ができなくて、つらくて、悲しかった。苦しくて、もう、動けなかった」
なだめるように、そっと、額に冷たく濡れた布が当てがわれる。
寝込んでいるときは、いつでも誰かが側にいてくれた。目が霞んでよく見えないが、かたわらの影は母だろうか。
それとも、何かと自分の世話を焼きたがる二つ下の弟だろうか。まさか、父や兄ではあるまい。二人とも、鶴山の戦に出かけたきりのはずだ。
温かく乾いた大きな手が、汗で貼りついた髪をゆっくりと梳く。
気遣わしげなその様子が申し訳なく、半兵衛はかすれた喉を奮わせた。
「でもね、すごく満ち足りた夢だったんだよ。僕は、どこかを目指して走っていた。その先になにか、素晴らしいものが待っているって、わかってたんだ」
だから、心配しなくていい。
途中で倒れてしまったけれど、夢のなかで、自分は一人ではなかったから。
こころ優しくも力強く頼もしい、誰か。その誰かと共にした苦難の道程は、誇らしく、深く切ない喜びに満ちていた。
たぶん今も、彼は夢のなかを走りつづけているに違いない。いつか道の果てにたどりつく、その時まで。
「もう一度眠ったら、夢の続きを見れるかな……」
髪をなでる大きな手が心地よく、やすらかな眠りを誘う。
そういえば、この手の感触は、他の誰よりも夢のなかの彼に似ている。
か細く震える息を継ぎ、半兵衛は、ほんの少し笑みを浮かべた。
不思議なこともあるものだ。
ぽたり、ぽたりと。
部屋のなかに雨がふっている。どこからともなく滴り落ちる、一降りの涙雨。
降りそそぐ雨のなか、最後の息を吐いて半兵衛はゆるやかな眠りに落ちた。
夢のつづきが見れたなら、きっと、彼に伝えよう。
逆夢でも正夢でもいい。この夢が、幸せだったということを。
□ END □
ひとしきり降る雨のことです。