たけのこ



 かつて、私はたけのこだった。
 笑いたくば笑うがいい。だが、私にとって『たけのこ』であることは何にも替えがたい誇りだった。
 新緑の頃、厚く積もった笹葉の下から天へと芽吹く筍。
 昼夜を問わずみるみると伸びる若い芽に鍬を打ちこみ掘りおこし、皮ごと釜で茹であげれば、香ばしい湯気が四方に漂う。
 それはまさしく、この時期しか楽しめぬ旬の味わいだ。
 ただし、旬を逃せば、筍は『竹の子』ではなく竹になる。
 『たけのこ』でいられる時期は、ほんの僅かなのだ。
 ああ、いや、話が回りくどいと刑部が文句を言いそうだな。まったく、彼奴の舌鋒は味方に対しても容赦がない。
 要するに、私は理解していなかったのだ。
 『たけのこ』だったあの頃が、どれほど貴重で尊い時間であったかを。

 かの御方が常に秀吉様の隣におられた、あの頃。
 
 城に上がったばかりの私は、まさしく『たけのこ』だった。
 精一杯に背伸びをして、ようやく土の上に頭を出す、小さなとんがりに過ぎなかった。






[ 1 ]

 近頃、城の台所に半兵衛が食べ物をねだっているらしい。
 そう聞いて、まず秀吉はおのれの耳を疑った。
 豊臣の軍師・竹中半兵衛といえば、戦のたびに熱を出しては食が細くなる一方で、ここ最近は鳥の餌かと思うほどしか食べていなかったからだ。
 それが急にどうしたのか。首をかしげた秀吉は、真相を知って頭をかかえた。
「何故そうなるのだ……半兵衛」
 問いただされ、半兵衛は肩をすくめた。
「食べたら食べた分だけ、大きくなるかと思ったんだよ」
 いっこうに悪びれた様子のない半兵衛の手には、竹皮で包んだ握り飯が二つある。
「あの年頃は、みるみる成長するというし」
「竹の子でもあるまいに。雨あられと食わせたとて、人の子が簡単に大きくなどなるものか」
 その言葉に、半兵衛が小さく唇をとがらせる。
 しぶしぶと語られる事の顛末に、秀吉は溜め息をついた。




 西の空に淡く雲がたなびく薄暮の時刻、ふと、半兵衛は馬の歩みを止めた。
 何処からか、剣を打ち交わす音が聞こえる。
 見れば、数人の兵が城門前の広見で武術の稽古に励んでいた。
「もうすぐ日も暮れるというのに、熱心な事だね」
「半兵衛様、これから下城ですか」
 馬を寄せた半兵衛に、古参の兵が顔をあげた。
「野暮用で屋敷に戻るところだよ。まったく、仕事が山積みだっていうのに………ん?」
 気さくに応じかけ、半兵衛は眉をよせた。
 視線の先で、小柄な影が木刀を振るっていた。
 否、振るうというより、木刀に振りまわされているというべきか。剣の長さが身の丈に合っていないのだろう。重心の定まらない切っ先が、右に左に揺れている。
「あれは、三成君かい?」
「ここのところ、よく鍛錬に顔を出しますな。なかなか筋は良いようで」
「ふうん……」
 なんとなく興味をひかれ、三成の奮闘を見守る。やがて、半兵衛は静かに吐息をもらした。
「あれで、筋がいいと言えるのかい?」
「その……剣を振るうには、少ぅしばかり腕力が足りませぬが」
 兵は頬をかいて苦笑した。
 秀吉に仕える小姓達のなかでも、とりわけ三成は細身だった。
 身が軽いのは結構だが、いかんせん背丈ばかりが伸びて手足が長く、体つきは頼りない。
「まあ、育ち盛りですからな。今はあれでも、よく食べてよく励めば、いずれ秀吉様のような偉丈夫になるやもしれませんぞ」
「秀吉のようになる―――三成君が?」
 半兵衛は、思わず兵の顔を凝視した。
 三成の身長は秀吉の半分にも届かない。体重にいたっては、三成が三人集まっても及ぶまい。
 よく食べ、よく励めば、などと言うが、あんな子供が秀吉のようになるものだろうか。
「―――…………」
 一心不乱に木刀を振り下ろす三成は、こちらに気づいた様子もない。
 半兵衛は無造作に鞍を降りた。馬の手綱を兵に預け、三成に歩み寄る。背後から射す影に、何事かと少年が振りむいた、その瞬間、
「―――むぐぅ!」
 電光石火、半兵衛の指がひらめき三成の口に突っこんだ。
「な!な、な、なんですかこれ。半兵衛さま!」
 悲鳴じみた声をあげて、三成は飛び退いた。口の中に、正体不明の丸い塊がある。
 おろおろとうろたえる三成に、半兵衛は素っ気無く答えた。
「南蛮の菓子だよ。金平糖というらしい」
「こんぺいとう?」
 おそるおそる舌で舐め、三成の顔がほころんだ。
「……すごく甘いです」
「だろうね。堺の商人が献上したものを、秀吉が僕にくれたんだ」
「秀吉さまが、って、えええええ!」
 三成は仰天した。ただでさえ高価な南蛮菓子、しかも主君からの下賜の品を、こんなふうに他人の口に入れるなんて畏れ多いにも程がある。
 あわてて金平糖を吐き出そうとした三成の口を、
「うぐっ!」
 素早く半兵衛の手のひらが塞いだ。その上、ご丁寧にも三成の首に腕をまわし、がっちりと頭を固める。
「むー!むー!むー!」
 逃れようにも逃れられず、三成は混乱した。
 助けをもとめて見回した兵たちは、皆、笑いをこらえるばかりで動いてくれない。
 そのうち、業を煮やした半兵衛に鼻をつままれて、三成は観念した。
―――………ごくり。
 飲みこんだ途端、ぱっ、と半兵衛が手を放す。
「ぷはぁっ!」
 ぜいぜいと息をつく三成を、しげしげと見下ろし半兵衛は言った。
「大きくなったかな?」
「……はい?」
 半兵衛の言葉に、たまりかねた周囲の兵がどっと笑う。
「いやいや、いくらありがたい南蛮菓子でも、それは無理でしょう。半兵衛様」
「金平糖は滋養があると、秀吉が言っていたんだけどね」
「一粒で三成が大きくなるなら、我々など、とうに巨兵揃いになっておりましょうよ」
「なるほど。問題は質より量ということか」
 ふむ、と思案をはじめた半兵衛に、三成は嫌な予感をおぼえた。
 何が何だかさっぱりわからないけれど、とんでもない事になったような気がしてならない。

 翌日、三成の予感は的中した。


 まず、手始めは握り飯だった。半兵衛は大量の握り飯を用意して、せっせと三成に食べさせだした。何事かと尋ねれば、前田家方式を試してみると、訳の分からない答えを返されて三成は困惑した。
 山のような握り飯は、食べても食べても一向に数が減らない。満腹で気が遠くなりかけたところで、半兵衛が所用に呼ばれて事なきを得た。
 次の日、ふたたび半兵衛の手に握り飯を目撃した三成は、声をかけられる前に走って逃げた。
 逃げた三成を、即座に半兵衛は追いかけた。情けも容赦も大人げもない、なりふり構わぬ全速力だ。
 三成は震えあがった。
 顔色ひとつ変えず、全身に闘気をみなぎらせ、凄まじい速さで半兵衛が迫ってくる。
 あまりの怖さに足が鈍ったところを捕えられて、結局、握り飯を口に押しこまれた。
 三日目は、廊下の角で出会い頭に大きな饅頭を突っこまれた。
 四日目は、離れた場所から飴玉が飛んできて喉の奥に命中した。
 五日目に、三成は悟った。
 半兵衛の姿を目にしてからでは間に合わない。気配がした時点で、すみやかに逃亡を開始すべきだ。
 しかし、まともに剣すら振るえぬ少年が、百戦錬磨の軍師の勘に敵うはずもない。
 精一杯に注意を払っても、何故だか毎回あっという間に見つかってしまう。
 広大な大坂城の城内を右往左往に逃げまどう、そんな日々が続いた、ある日のこと。


 三成は走っていた。
 迫り来る半兵衛の魔手から逃れるべく、今日も必死に足を動かす。
 大人と子供、歩幅の差こそあれ、三成と半兵衛の脚力は互角だった。
 今のところは連戦連敗だが、とにかく一生懸命に走り抜けば、いつか逃げきることだって出来るはずだ。
 夢中で走っていた三成は、表御殿の門前で急停止した。門の外は、二の丸と馬出し曲輪、そして城の防衛線である惣構だ。これ以上走れば本丸から飛びだしてしまう。荒い呼吸をなだめながら、三成は後ろを振り返った。
「―――やった!」
 半兵衛がいない。
 とうとう完全に逃げきったのだ。小さく拳を握りしめ、ささやかな勝利を噛みしめたのも、束の間。
「あれ?」
 水堀沿いの長い土塀の端、ぽつりとうずくまる影に三成は眉をひそめた。
 額を地につけ、激しく咳こみ肩を震わせているのは―――
「半兵衛さま!」
 駆け寄った三成に、半兵衛はのろのろと面を上げた。額から、大粒の汗が流れ落ちる。
「大丈夫ですか、すぐに御医師を……」
「少し、目眩がしただけだよ。それよりも三成君」
「はい」
「口を開けて」
「へ?」
 この期に及んで、まだ半兵衛はあきらめていないらしい。あんぐりと呆れて開いた三成の口に、半兵衛は小さな欠片を放りこんだ。
 午後の日射しにきらめいて、淡く透きとおる不思議な欠片。大人しく口に含んで、三成は言った。
「甘いです」
「石蜜だからね。砂糖よりも、ずっと味が濃いはずだよ」
 糸を垂らした壷で蜜液を養うと、蜜が結晶して石のような固い塊になる。これを石蜜といい、その滋養の高さから、甘味というより薬として大陸から輸入されるのだという。
「これも、秀吉さまが下さったのですか」
「よく分かったね」
 美味しいかい、と満足そうに笑う半兵衛の顔色は、ひどく青ざめている。
 三成は、だんだん腹が立ってきた。
―――ぜんぜん美味しくない。
 こんなふうに高価なものを、こんなふうに無理矢理食べさせられて。
 滋養があるからと、なにより滋養をとるべき人間が、血の気の失せた頬で笑ったとて。
―――美味しいなんて、思えるわけがない。
 どうしてそれが分からないのか。言葉にならない悔しさに、涙がにじむ。
「半兵衛さま、俺は―――半兵衛さま?」
 半兵衛の身体が、ぐらりと傾いだ。呼吸が浅く切迫している。ゆっくりと閉じた瞼の下には、青黒い隈が浮いていた。
「目を開けてください、半兵衛さま!」


 結局、半兵衛は人目のある表御殿から奥御殿へと移されて、そこで医師から絶対安静を言い渡された。
 表向きには軽い夏風邪と伝えられたが、重臣たちの間で密かに囁かれる本当の病名など、小姓にすぎない三成が知るよしもなかった。


 その頃、三成は書院の隅でぽつりと一人、膝を抱えて悩んでいた。
 大人には大人の事情があるように、子供にも子供なりの事情があるものだ。
「……どうしよう、俺のせいだ」
 病人が全力疾走することの是非はさておき、半兵衛が走るのは三成が逃げるからだ。半兵衛が倒れた責任は自分にあると、少年は己を責めた。
 けれども、素直に食べれば話が済むほど、事は単純ではない。
 甘葛煎を粉で練った唐菓子や砂糖羊羹、南蛮渡来のかすていら。ぎっしり餡のつまった饅頭に、ほんのりと軟らかく丸めた飴。半兵衛が三成に与えたがる食べ物は、小姓ごときがおいそれと口に出来ない品ばかりだった。
 なにしろ、ありあわせの握り飯や餅でさえ、雑穀の混じらない上等な白い米で出来ているのだ。
 おかげで、近頃どうも小姓仲間の視線が冷たい。なぜ三成ばかりがと、妬む気持ちは分かるのだが。
「半兵衛さまは、どうして俺に食べさせたいんだろう」
 寵を受けている、とは思えない。
 そもそも、可愛がろうという気があるのなら、いきなり口に突っこんだりはしないはずだ。
 しかめつらしく眉根を寄せて、三成は唸った。
 戦国最高と評される天才軍師の思惑など、考えたって推して量れるものでもない。
「……とにかく、走るのは却下だ。半兵衛さまが倒れられたら、秀吉さまが悲しまれるし」
 理由はともあれ、風邪が治ったら、また半兵衛は三成を追いまわすに違いない。
 どうしたら、半兵衛を走らせずに逃げられるだろうか。
 考え続けた三成は、ひとつの結論を出した。


 それから数日後。寝ついていた半兵衛が、ようやく医師の許しを得て軍務に復帰した朝。
 三成は、みずから半兵衛の元に赴いた。
「俺は決めました。もう、走って逃げません」
 少年の宣言に、半兵衛は面食らった。床払いも早々に出鼻をくじかれ、なんとも言えない顔つきで続きをうながす。
「それで、どうするつもりなんだい」
 三成は胸を張った。めいっぱい重々しい口調をつくり、厳かに告げる。
「走らないかわりに隠れます。だから、半兵衛さまも走って追わないでください」
 この提案に、半兵衛は無言で目をみはり、やがて唇に小さく笑みを浮かべた。


 かくして、今度は大坂城を股にかけた「かくれんぼ」が幕をあげたのだった。






[ 2 ]

 大坂城の本丸は、大きく二つの区画に分かれる。
 政務の中心である表御殿、そして生活の場である奥御殿。この二つを隔てるため、土塀を高くめぐらせてあり、さらに本丸の敷地自体が下ノ段、中ノ段、詰ノ丸と段差をつけて複雑に仕切られている。
 すぐそこの建物でも、段を上がるためには塀をぐるりと回りこまねばならず、慣れぬ者なら城内で迷子になりかねない。
 かくいう三成も、城仕えを始めた当初は散々に迷ったくちだった。
 ゆえに、誰も知らない築垣の隙間や(門が見つからず無理やり通った)通り抜けられる床の下(うっかり中庭に迷い込んだ時ここから脱出した)など、三成だけの秘密の道がいくつもある。
 だから自信があったのだ、「かくれんぼ」には。
 しかし敵も然るもの、と言うより城の防衛に関して、軍師の半兵衛を出し抜けるはずがない。
 三成が知る城の秘密など、もとより承知の上なのだろう。ひとつひとつを確かめながら、着実に追ってくる半兵衛に、三成は作戦変更を迫られた。
 ただ隠れるだけでは駄目だ。
 相手の裏をかき、意表をつく場所でなければならない。
「普通は人が隠れないところ、とか……」
 はやる気持ちとは裏腹に、三成の足取りは遅かった。半兵衛に無理をさせては、意味がないのだ。たとえ何があろうとも、走るつもりは断固としてない。
 ないけれど、本音はやっぱり捕まりたくない。
 どうしたものかと、上の詰所へ通じる小径をのぞきこんだ三成は、ぎくりと身を固くした。
 石段の先、まばらな影を落とす楓の葉を透かして、ふわふわと白い髪が見えかくれする。
「―――まずい……」
 石段を降りてくる半兵衛の視線が、こちらを向くのは時間の問題だ。
 下ノ段と中ノ段をつなぐ石段は、くの字に曲がった両の道が、継ぎ手のように交差して出来ている。継ぎ目にあたる通用門には、隠れる場所がどこにもなかった。
 こうなったら、一か八かだ。
 三成は手早く草履と足袋を脱ぎすてた。裸足で門をよじのぼり、屋根を支える梁に取りついて、思いきり手足を突っ張る。
 段や坂を降る者は、通常、目線を下に落として歩く。
 門をくぐった半兵衛が振り返って上を見ない限り、ここは見つからないはずだ。きっと、たぶん、そうだと思う。
 祈るような思いで身を反らした三成は、次の瞬間、
「―――あっ」
「何だ?」
 石段を登って来た青年と、ばっちり目があってしまった。
 青年は、目を丸くして三成を見上げている。
 さもありなん、段を下る側からは見えずとも、段を上がる側からは三成の姿が丸見えなのだ。門の屋根に人が横になって張りついていたら、誰だって驚くに決まっている。
 もはや万事休す、だ。三成が覚悟を決めた、その時、
「おや、家康君じゃないか。どうしたんだい、こんな所で」
 石段を降りてきた半兵衛が、青年に声をかけた。
 ほんの一瞬、三成に力強く目配せを投げ、青年はさりげなく向きを変えた。
「忠勝を待たせているんだが……相変わらず、あっちこっち面倒な造りの城だな。迷子になりそうだ」
「詰所だったら、この上だよ。ところで、君、このくらいの背丈の銀髪の子供を見なかったかい」
「ああ、それなら」
 うなずいて、青年は面白がるように眉を上げた。
「この階段を下りていったぞ。そうか、あれが噂の『たけのこ』か」
「たけのこ?」
「知らないのか?あの竹中半兵衛が子供を追い回していると、もっぱらの噂なんだが」
 屋根組みにぶら下がった三成は、息を殺して会話を見守った。緊張に、背筋をじっとりと汗が伝う。
「三成君を、そこらの子供と一緒にしないでもらおうか」
 半兵衛は、つん、と顎を上げた。あと少し上を向いたら、屋根の端が目に入ってしまうと、気が気ではない。
「この僕が全力で追いかけて、逃げきることが出来たのは、あの子だけだからね」
「全力で、ねぇ……それはまた大人げねぇな。道理で必死に逃げてるわけだ」
「何とでも言い給え。じゃあ」
 軽く手を上げ会話を打ち切り、半兵衛は足早に立ち去った。
 その背を見送り、しばらく様子をうかがって青年は門を仰いだ。
「もう、降りてきても大丈夫だ」
 それを合図に、三成は門から飛びおりた。懐から草履と足袋を取り出し、きちんと身なりを整えてから頭を下げる。
「ありがとうございました」
「ああ、そんなに畏まる必要はねぇぞ。儂は、いわば敗軍の将だからな」
 大人びた苦笑をうかべる顔は、意外にも若い。年頃は、三成とそう変わらないようだ。
 将というからには、どこかの武家の総領だろうか。飾り気のない出で立ちだが、着ているものは品がよい。
 何者だろう、豊臣の将には見えないが。
 怪訝に思う三成に、青年は笑って言った。
「お前さんも、なかなか大変な御仁に見込まれたな」
「……はあ」
 三成は溜め息まじりに肩を落とした。


 しかし、この「かくれんぼ」は、あっけなく終わりを迎えた。
 城中を駆けめぐる二人の攻防が、とうとう秀吉の耳に届いたのだ。




 詳細を聞き終え、秀吉は沈黙した。
 さすがに後ろめたくなってきたのか、気まずそうに半兵衛が身じろぐ。
「怒っているのかい、秀吉」
「いや」
 秀吉は静かに首を振った。
 人間は、ものを食べて大きくなる。それは確かに間違いではない。
 半兵衛の頭には、まどろっこしい経過をすっ飛ばして、原因と結果だけがあるのだろう。
 いきなり結論に達する極端さは、ある意味、天才の天才たる所以でもある。頭ごなしに叱るわけにもゆくまいが。
「仲がよいのは結構なことだ。ただ、お前は大切な事を忘れておる」
 きょとんと首を傾げ、半兵衛は秀吉を見上げた。
「何のことだい?」
 言わねば、半兵衛は止まるまい。
 けれども、まるで分かっていない無邪気な瞳が、あまりに哀れで胸が痛む。
「子の成長に一番必要なもの―――それはな、飯や菓子ではない」
 秀吉は、沈痛な面持ちで告げた。
「時の流れ、だ」

 どれだけ食べようとも、どれだけ鍛錬しようとも、それが血となり肉となるには時間がかかる。
 日々の営みを積み重ねるなかで、ゆっくりと少しずつ大人になってゆく。子供とは、そういうものだ。
 
 だが、病に蝕まれた半兵衛に、それを見届けるだけの時間は残されておるまい。

「―――………そうか、そうだね」
 二度、三度と、長い睫毛が瞬いて、
「僕としたことが、当たり前の事を失念していたよ。ありがとう、秀吉」
 半兵衛は寂しげに微笑んだ。 






[ 3 ]

 それ以来、三成へのちょっかいは、ぱったりと途絶えた。
 あれほど三成を困らせたことも、綺麗さっぱり忘れたかのように、穏やかな日々が流れてゆく。
 淡々と職務をこなし兵を指揮する半兵衛は、忘れたついでに、自分の食欲まで何処かに忘れてしまったようだった。
 ますます食が細くなり、粥すら喉を通らないまま夏が過ぎ。
 半兵衛が再び倒れたのは、秋も半ばの頃だった。




「半兵衛さま、殿からの御言付をお持ちしました。お加減はいかがですか」
 作法の通りに一礼してから跪座のまま膝行し、三成は素早く襖を閉めた。
 城下に居を構えた、竹中家の屋敷の一室。南向きに間口をきった座敷には、柔らかな光が満ちていた。
 秋も深まるこの季節、風は少し肌寒い。冷たい外の空気が入らぬよう、注意深く閉ざしたものの、やはり部屋の主の咳は止められなかった。
「申し訳ありません。風が当たりましたか」
「大丈夫だよ、気にしなくていい」
 言いつつも、甲高い咳をこぼす半兵衛の背を、三成はそっとさすった。
 本来、主君からの使いがある場合、家臣は身を整えてこれを迎えなければならない。それが病人であっても、礼式とはそういうものなのだが、今の半兵衛には身を起こすことすら酷だった。
 三成は逡巡した。決まりは決まりだ。けれど、病人が無理をおしてまで、儀礼を尽くす必要があるだろうか。
 手のひらに伝わる痩せた背中の感触に、三成は心を決めた。
「どうか、横になって休んでください。お身体に障ります」
「そういう訳にはいかないよ。君も、それが仕事だろう」
「今回は特別です。それに、その方が殿の言いつけ通りにしやすいんです」
「言いつけ?」
「お願いします、半兵衛さま」
 いぶかしむ半兵衛を、拝みたおして寝床に戻す。
 横になった半兵衛の枕元で、三成は居住まいを正した。背筋を伸ばし、うやうやしく秀吉からの見舞いの品を差しだす。
「我が殿より半兵衛さまへ、お見舞いでございます」
 それは、小さな壺だった。蓋がわりの鳥の子紙に、凝った細工の水引をかけて封がされている。
「なお、殿より御言付けがございます。一壺すべて平らげるまで登城に及ばず、と」
 かしこまって口上を述べた三成は、そこで迷うように目尻を下げた。
「それで、その……すみません、失礼します」
 下げ渡したばかりの壺を、三成は勝手に開けた。中から一粒つまみ取って、半兵衛の唇に押しこむ。
 突然のふるまいに驚き、半兵衛は顔をしかめた。
「……甘いね。何だい、これは」
「金平糖です」
 三成は、小さく溜め息をついた。
「やっぱり、ご自分では召し上がったことが無かったんですね」
 秀吉が与えた菓子を、半兵衛は片っ端から三成の口に突っ込んでいたらしい。薄々そうではないかと思っていたが、こうなるともう、畏れ多いを通りこして、あきれるより他にない。
 甘い菓子は、薬でもある。それを教えた当人が、菓子にこめられた想いに気づかないとは、どういうことだろうか。
 秀吉さまのなされようは、まったく正しい。三成は、胸の裡でひとりごちた。
 食べぬならば、確実に食べるよう手段を講じるまでのことだ。
「秀吉さまのご命令で、俺が毎日、この壺をもって通うことになりましたから、よろしくお願いします」
 ようやく秀吉の真意を悟ったのだろう、半兵衛は小さく苦笑を漏らした。
「それで、食べさせやすいよう僕を寝かせた訳か。君も、なかなか策士だね」
 からかいまじりに笑った半兵衛は、ふと、三成を招いて囁いた。
「そういえば、家康君から聞いたよ。あの時、君は僕の真上にいたんだって?」
「あ、あいつ……!」
「そう怒ることもないだろう。大胆不敵だと、君のことを褒めていたよ」
 寝そべったまま壺を取りあげ、半兵衛は金平糖を手にとった。
 濃い黄金色と淡い菫色の、小さな粒が二つ転がり出る。ちょうどいい、と半兵衛は目を細めた。
「君と家康君に、ご褒美だ。二人で食べたまえ」
「そんな!駄目です。これは、半兵衛さまにと秀吉さまが」
「この話を聞けば、秀吉も褒めてくれると思うよ。だから、これは秀吉と僕からの二人分だ」
 そこまで言われては、受け取らないわけにもゆかない。
 三成は、広げた懐紙の上に金平糖を押し戴いて、そっと懐にしまいこんだ。
「あの、半兵衛さま」
「何だい?」
「秀吉さまから聞きました。半兵衛さまは、俺に大きくなって欲しかったんですか」
 三成の問いに、半兵衛はバツが悪そうに首をすくめた。
「秀吉みたいに大きくならないかな、と思ったんだよ」
「秀吉さまぐらい大きく、ですか」
 無理です、と言いそうになる口を、三成はあわてて塞いだ。
「俺だって、なれるものなら、そうなりたいですけど……」
 毎日素振りを欠かさぬ手のひらは、潰れた血豆で固くなっていた。半兵衛と走り回ったせいか、足腰にはしっかりと肉がついてきたし、腕も少しは太くなった。
 それでも剣の重みに負けて、ふらつくことがたまにある。
 何事も、一朝一夕にはゆかぬものだ。
 けれど、望んでくれる人がいるのなら、応える努力には価値がある。
「もし、俺が大きくなれたら。その時は、もう一度、ご褒美をいただけますか」
「金平糖でいいのかい」
「はい」
 半兵衛は長々と息を吐き、疲れたように目を閉じた。
「その日が待ち遠しいね。君も知っての通り、僕は気の長いほうじゃない」
「一生懸命がんばります。だから半兵衛さまも……」
 養生してください、とは言えなかった。
 頻繁に下賜される、薬としての甘味。その多さが、半兵衛の病はただの風邪ではないと告げている。
 きっと、そう何年も半兵衛は待てないのだろう。それをあえて、気が短いと言ってのけた半兵衛の意地に、三成は口をつぐんだ。
 丁寧に壺を包みなおし、しおしおとうなだれて、いとまごいを述べる。
「三成君」
 去り際に、半兵衛は三成を呼びとめた。
「また明日も来るんだろう?待っているよ」
 口調は照れたように素っ気ない。ただ、三成を見上げる瞳は、笑みを含んで優しい色を浮かべていた。
「――はい!また明日、参ります。おやすみなさい」



 城へと戻る、帰り道。
 三成は、懐を守るように背中を丸めて歩いた。
 懐には、ご褒美の金平糖が二粒。壺のなかには、甘い薬がたくさんある。
 
 また、明日。
 そう言えるのは、いつまでだろう。

 それまでに、自分は大人になれるのだろうか。
 
 約束の印を大切に胸に抱き、三成は帰路を急いだ。
 早く大人になりたい。叶うなら、今すぐにでも大人になりたいと、願いながら。




□ END □

夏に朦朧としながら書いたので文章がひどい。朦朧としすぎて己に正直な妄想がダダ漏れです。
子三成と半兵衛で疑似親子が好きなんです。ええ。