双面天翔姿絵(ふたおもてあまかけるすがたえ)



半兵衛は、ぷりぷりと怒っていた。
「今日という今日は、我慢の限界だよ」
「まあ、そう言うな。あれはあれなりに理由があるのだろう」
「理由!」
 憤慨しながら足早に歩く。その姿は、逆毛をたてて膨らんだ猫のようだった。
「この馬鹿げた仕業に、一体なんの理由がいるんだい。そもそも、そうやって君たちが甘やかすから……」
 本人はたいそう立腹しているようだが、いかんせん、秀吉の体格からすれば半兵衛は小さい。
 あたりかまわず噛みつく様は、ふわふわの和毛を精一杯に逆立てた、小さな子猫を思わせた。微笑ましいこと、この上ない。
「秀吉!聞いてるのかい!」
 笑う気配を察したか、半兵衛はくるりと振り向いた。普段は何の色もない白い頬に、淡く朱がさしている。
 あからさまな感情を良しとはしない半兵衛の、こんな表情は初めてだ。
 どうやれば、半兵衛をこんな風に怒らせることができるのかと、秀吉は感心しきりだった。



 事の起こりは、暇をもてあました前田慶次が、秀吉の家に押しかけたことに端を発す。
 だが、あいにく慶次と違って秀吉は多忙だった。しばし待てと言われたものの、これが一向に終わる気配をみせない。
「なあ、秀吉。まだ終わんねーのかよ」
「すまぬな。もうしばらく待ってくれ」
「それ、さっきも言ってたぜ。四回目」
「でもね。やっぱり、ここは多少の無理をおしても、人を募るべきだと思うんだ」
「うむ……しかしな、半兵衛。報償が割に合わぬと思えば、簡単に兵は散るぞ。時期尚早だと思うがな」
「なあ、ってば」
「いずれは必要になるんだ。今から戦場の振る舞いを仕込んでおくにこしたことはないよ」
 秀吉が率いる一党の、平時の生活全般を取り仕切るのは、ねねの役割。
 戦において必要となる具足や兵糧、荷駄の手配や練兵を仕切るのが半兵衛の役割だ。
 その半兵衛と秀吉は、何やら小難しい顔で額をつきあわせ、慶次をそっちのけで話しこんでいる。
「なあ。もう、ホントいつ終わるんだよ」
 慶次は、ふて腐れた。
 その様子を、ちらりと横目でにらんで半兵衛は立ち上がった。
「おっ、やっと終わり?」
「………君、邪魔だよ」
 その一言と同時に、何故か家の中で帯刀していた半兵衛は、関節剣を抜きはなった。
 一振りで縁側の障子を開け放ち、戻る刃で慶次の襟首を引っかける。二振りで軽く慶次をブン回し、三振りで庭へと放りなげた。
 狭い屋内でよくぞと妙技を讃えるべきなのか、あまりの横着ぶりに憤るべきなのか。
 あぜんと見上げた目の前で、伸縮自在の刃の裏が器用に障子を閉めるにいたり、慶次は何だか物悲しくなってしまった。
「………なんだよ二人して。つっまんねーの」
 呟く声に、返事はない。ぴたりと閉ざされた障子に、慶次はがっくりとうなだれた。



 しかし、捨てる半兵衛あれば拾う家康あり、だ。閉め出しをくって、とぼとぼと歩きだした慶次に声をかけたのは、顔なじみの徳川家康だった。
「よう。景気の悪い顔をしているな、慶次」
「お!竹千代、ひさしぶりだなあ。どうしたんだよ、こんなところで」
 家康は、遠く三河は浜松城の若き主である。幼名を竹千代といい、慶次の叔父である前田利家とも親しい。
「うむ、所用があって忠勝に乗ってきたんだが……着地に失敗してしまってなあ。やむを得ず、ワシだけで用件をすませてきた。その帰りよ」
「忠勝って、あの本多忠勝か?戦国最強っていう」
 慶次は首をかしげた。
 常勝不敗の最強武士、本多忠勝に………乗る?
「おうよ。そういえば、慶次は忠勝に会ったことはなかったか」
「ないんだよな。やっぱ、秀吉みたいに、大男だったりすんのか」
「ううむ、秀吉も大きいがなあ。角があるぶん忠勝の方が上だな」
 家康は得意気に胸をはった。慶次は、再度、首をかしげた。
 本多忠勝に………角?
「えーと……じゃあ、どういう奴なんだよ」
「口で言うより、描いた方が早ぇな。こう、頭に角が二本、背中にはバーニアと盾、砲門を二つ背負って……」
「ちょーっと待った!」
 小枝をひろって地面に図を描きだした家康を、慶次はあわてて止めた。
 そろりと、秀吉の家を振りかえる。
 往来の真ん中に落書きしても、きっと秀吉は怒るまい。もちろん、ねねも怒るまい。けれど……半兵衛は、怒りそうな気がする。なんとなく。
「なんだ、どうした?慶次」
「いやー、その……あ、そうそう。俺、描くもん持ってくるわ。それに描いてくれないかな」
 以前、軍神・上杉謙信の陣に乗りこんでイタズラした時に使った、大きな白い布が余っている。そこに描いてもらえば、これが戦国最強・本多忠勝でござい、と他の人にも見せることができて一石二鳥だ。
 慶次は大急ぎで家に帰り、布を抱えてとって返した。
「これに描くのか……よし、よく見てろよ。忠勝はな、目が二つで口が一つ、電磁形態になると背中が開いて……」
 家康は、大きな筆でぐいぐいと線を描いた。なかなかの達筆である。
「すげーな、これ、ホントに人間か?」
「せっかく描いてやったのに、おめぇもたいがい失敬だな。ところで慶次、秀吉は在宅か?」
「いるけど、取り込み中だぜ。何か用だったのか」
「秀吉のところに、噂の今孔明がいると聞いたぞ。どんな御仁か、ひと目見ておくのも悪くねぇと思ってな」
「あー、駄目駄目。止しといた方がいいぜ、すっげーおっかないし、細いし白いし変な仮面つけてるし」
「仮面?そんなものを着けてるのか」
「まあな。こーんな感じの……」
 慶次は筆をとり、忠勝の図解の横に半兵衛の似顔絵を描き足した。
「ん、まあまあ上手く描けたんじゃねぇの」
 満足げな慶次の隣で、家康は腕を組んで唸った。
「……慶次。これ、人間か?」
 布の上には、のたのたとした手蹟で判別不能の図形が広がっていた。


「じゃあ、この配分で進めて構わないね。秀吉」
「うむ、頼んだぞ」
 顔を上げた秀吉は、そこでようやく友人の姿がないことに気がついた。
「半兵衛、慶次はどうした?」
「え?」
 広げた書状や硯箱を片づけていた半兵衛は、僅かに動きを止めた。
「………騒がしいから、外に出てもらったけど」
 何食わぬ顔で、しらを切る。少なくとも、嘘は言っていない。
「そうか、ずいぶん待たせてしまったからな。ヘソを曲げておらねばいいが」
「……………そうだね」
 いくぶん後ろめたい気持ちで、半兵衛はうなずいた。曲げるもなにも、絶対、拗ねているに違いない。
 その時だった。
 凄まじい轟音が鳴り響いた。
「な……っ!」
「何事だ!」
 衝撃に障子や柱がびりびりと震える。秀吉は庭へと走り出た。
「何だ、あれは………」
 同じく、縁側に出た半兵衛も、呆然と空を見上げた。
「すごいよ、秀吉。人が空を飛んでる……」
 果たして、それを人と呼んでも良いものか。
 背に負うバーニアから爆炎を噴きあげて、戦国最強の鎧武者が大空を飛行していた。



 同時刻、慶次は大いにはしゃいでいた。
「おぉーっ!高いなあ、人が豆粒みたいだぜ」
「ははは、どうだ慶次。これが戦国最強・本多忠勝の力よ」
「あ、あれ秀吉じゃねぇ?こっち見てんのかな。おーい!」
「……おめぇは、つくづく人の話を聞かねぇな」
 家康を迎えに飛んできた忠勝を見て、慶次はいたく納得した。
 着地に失敗したとの言の通り、膝上まで泥だらけではあったものの、その偉容は確かに絵姿のままだったのだ。
 帰ると言って忠勝の肩に乗った家康を、慶次は全力で拝み倒した。
 絵姿が本当なのだから、これはもう、いちど乗ってみない手はないだろう。
「え?何か言ったか……って、おわ!ちょっ!」
 上機嫌で乗せてもらったものの、空の上は風が強かった。きちんと巻いて腰にたばさんだ白い布が、強風にあおられ大きく翻る。
「おっとぉ!」
 間一髪、布の端を両手で捕まえた。慶次の腕を竿にして、まるで旗指物のように布が靡く。
 晴れた空にひらひらと、謎の絵姿がたなびいた。


 それは事情を知らない者にとっては、何の変哲もない布だった。
 近隣でも名の知れた悪童が、また傾いたことをしてのけたと、ただそれだけに過ぎない。
 けれど、それを見上げた半兵衛には分かってしまった。
 あれは、僕に対する挑戦状だと。

 他の誰にも伝わらないのに、本人だけには自分の事だとわかる。
 慶次の絵心は、どうやら不幸な星回りにあるようだった。

 ………そして経緯は今に至る。



 怒りさめやらぬ半兵衛と轡をならべ、秀吉は馬を走らせていた。
 何故に半兵衛が怒りだしたのか、秀吉にはわからない。空に掲げた絵姿の、片方が飛行する鎧武者本人であることはわかったが、隣の墨のかたまりが何であるのかまでは判別がつかなかったのだ。
 わかるのは慶次を見たとたん、半兵衛が噴火したという事だけだ。
 まあ何につけ、性格の異なる二人のことだ。ささいな諍いは日常茶飯事だった。
「半兵衛、どうする気だ」
 慶次を乗せた鎧武者は、上空を大きく旋回していた。どうやら遊覧飛行のようだ。
「………立葵の紋。と、いうことは一緒にいるのは三河の若武者か……」
 鞍上から空を睨みあげていた半兵衛は、手綱をとって馬の首を返した。
「方向としては、こちらだね。この先に、広くて人がいなくて慶次君が知っている場所はあるかな」
「昔の戦で使われた柵塁が残っているな。家出をした時など、仮の宿に使っているそうだ」
「ふうん、それは都合がいいね……」
 腹立ちも峠をこえたのか、半兵衛は静かに笑った。目が据わっている。
 どうする気だ、と再度たずねるのは難しそうだ。
 晴れた空を悠然と飛ぶ天下無双の影を見上げ、雲行きの怪しさに秀吉は眉をよせた。



 よもや行動を読まれているとは露知らず、慶次はまんまと砦跡にたどりついた。
 石垣の上に組まれた櫓のてっぺんに、ひょいと飛び降りる。
「ありがとうなー!また遊びに来いよー!」
 屋根の上で手を振ると、空にくるりと円を描き、徳川の主従は遠ざかっていった。
 みるみる小さくなる後ろ姿を見送り、物見台へと降りる。
 床板に足をつけたと同時に、跳ね上げ戸の下から、ぬっと太い腕が突きだした。
「間に合ったようだな」
「秀吉?なんで、ここに」
「我だけではない、半兵衛も来ておる」
「え、どこに?」
「うむ………」
 秀吉は指で下をしめした。実を言えば、梯子を登る途中で半兵衛は足をすべらせ落ちてしまったのだ。
 誰を恨む筋でもないはずなのだが、その不覚は半兵衛の怒りに火に油を注いだようだった。
 小柄な分、階下で半兵衛はもたついている。確認するなら、今のうちだ。
「慶次、お前はいったい何をやらかしたのだ」
「何って、なにが?」
「半兵衛が怒っておるぞ」
「え!だって、俺なんにもしてねぇよ。何で?」
 慶次はちょっと青ざめた。よくわからない事で半兵衛が怒りだすのは毎度のことだが、さすがに此処は―――逃げ場がない。
 動揺した慶次が思わず落とした白い布に、秀吉が目をとめる。
「この絵姿が最前の鎧武者なのはわかったが……こっちの模様は何だ」
「ああ、それ。半兵衛の似顔絵。似てるだろ?」
「は………」
 秀吉は絶句した。全然わからない。
 と、同時に、事の次第はどうにか飲みこめた。
 他人の絵姿を掲げて空を飛ぶ慶次も慶次だが、完膚無きまでに判別不能な似顔絵を、瞬時に理解した半兵衛も半兵衛だ。
 なんだか秀吉は、互いに対極を向いた非常識のちょうど真ん中に、自分が立っているのだという気がしてきた。
 どうも、首筋あたりが落ち着かない。
「とりあえず、謝っておけ」
「だから何でだよ。俺は何にもしてねぇって」
「こういうのは、理屈ではないのだ」
 しごく真面目に、秀吉は言った。おそらく半兵衛の頭の中には、理路整然とした筋道があるのだろうが、それを理解するのは困難だ。故に、とにかく謝ってしまうのが一番だという―――既婚者の経験と勘だ。この件に関しては、あながち間違ってはいまい。
「なあ……半兵衛って、そんなに怒ってんの」
「うむ……まあ、な」
 秀吉は嘆息した。可能なかぎりの努力は試みた。あとは運を天に任せるのみだ。
「見ての通りだ」
 肩をすくめた秀吉の背後で、ようやく梯子を登りおえ、跳ね上げ戸から半兵衛が姿を現した。
「慶次君……見つけたよ」
 ゆらり、と小さな身体から闘気が立ちのぼる。
「………さようなら、哀れみをもって君を葬ろう」
「葬るって、いきなりそれかよ!ちょっと待っ、半兵衛ぇぇ!?」
 一歩、後退る慶次を、一歩、半兵衛が追いつめる。
「そう、逃げるのかい。ふふふ……どこまでも逃げるがいいよ、できるならね」
「怖ぇ!笑顔が怖ぇよ!」
 無論のこと、狭い物見台に逃げ場はない。相対し、じりじりと間合いを計る両者をよそに、秀吉はそっと梯子を下りた。
 これでいて二人とも、明日にはケロリと過去を忘れて日常に戻るのだ。
 行き過ぎないよう骨折りするのは友の務めだが、それ以上は付きあうだけ無駄骨だ。
 地上に降り立ち、秀吉は櫓を見上げた。
 半兵衛が何事かまくしたてた、次の瞬間、慶次の身体が吹っ飛んだ。きれいな弧を描いて、近くの雑木に落下する。
 それなりに手加減はしたのだろう。襟首を枝に引っかけて、怪我ひとつなく慶次が不平の声をあげている。
 馬の背にくくった荷の中から、薬酒の小壺をとりだして、秀吉は笑った。
 時は流れ、人は変わる。
 けれど、今日この時この出来事を、きっと自分は忘れまい。
 ささやかに過ぎゆく諸行を愛おしみ、秀吉は友の傍らへと歩みよった。




□ END □

友垣アンソロジー「友垣Festa」に寄稿した作品です。
完売から随分たちましたので再録させていただきました。
今思い返しても楽しい一冊でした。友垣万歳。