面影/de-ja vu
双子には、産まれながらに共鳴する力があるという。
同じ時刻に同じ思考をし、同じ行動をとり、同じ運命を辿るのだという。
それは何も同腹であることが条件ではない。
同じ時刻に産まれ同じ星宿を頭上にいただく者であること。これを≪星の双子≫と呼ぶのだと、昔何処かで聞いたことがある。
それならば、私と姉は双子ではないのかもしれない。
同じ母から同時に産まれ出で、同じ星宿の元にあるというのに。
私は、姉に共感したことがない。
「暑ちー、あぁ、もう、やってられねーぜ」
姉・雪乃がいつものように騒ぎ出したのは、龍山先生の庵へお祖父様からの預かり物を届けた帰り道だった。
夏の日差しが鬱蒼とした緑を突き抜けて、私と姉との頭上にふりそそぐ。
「ヒナ、プールに行こうぜ、プール」
「今日はもう遅うございますわ、姉さま」
時刻は既に午後三時を指していた。今から自宅に戻って水着の支度をしても、プールに居られる時間はわずかでしかない。
姉はいつもこうだ。物事を深く考えず、思うままに行動する。
「ちぇ。じゃぁ、明日な。ヒナも予定は無いだろ?」
「ええ、大丈夫です」
姉は屈託無く笑った。
「じゃ、明日。絶対だぜ」
子供のように指を差しだしてくる。
私は仕様が無いな、と胸の内で思いながら小指を絡めた。
その時だった。
その人影が目の前を横切ったのは。
ほんの一瞬の交錯。
私たちは息を飲んだ。
「…………………涼浬!?」
指切りのまま動きの止まった私たちの目の前を、その人は横切り、吸いこまれるように街並みの中に消えていった。
まるで夏の陽炎のような、現実味のない一瞬だった。
「………今の、見たか」
姉は乾いた声で呻くように言った。
「……はい、姉さま」
私の声は震えていた。
「………涼浬、だ。間違いない」
「でも、姉さま。そんな筈は……涼浬さまである筈がありませんわ。だって……」
だって、死んでいる方ですもの。
その一言を私は飲みこんだ。怖い。
姉は身を翻した。
「ヒナ!追うぞ!」
「ま、待って。姉さま!」
私は崩れそうになる膝をもつれさせて、姉の後を追った。
涼浬という人物は、私たち姉妹の記憶の中にしかいない女性だった。
初めに気づいたのは姉。
二人で同じ映画を見たかのように、姉と私は同じ女性の一生を記憶していた。
その女性の名を織部葛乃。私たちと同じ、織部を名乗る巫女。
そして葛乃の傍らで、共に闘っていた女性が涼浬だった。
たかだか十数年しか生きてはいない私たちの中に、一人分の一生の記憶が、それも寸分違わず同じ記憶がお互いのなかに有るのだと気づいた夜、私は怖くなって泣いた。
姉はお祖父様には内緒で家系図を探り、葛乃の名を見つけた。
遡ること七代。
生没年は不明なものの、織部葛乃は実在の女性だった。
それでも私たちの記憶が葛乃のものであるという、確かな証拠はどこにも無い。
偶然に良く似た夢をみたような、あいまいな秘密だけが私たちの胸に残って。
私たちは、それ以上の詮索をしなかった。
知るのが、怖かったのかもしれない。
新宿の雑踏はいつも、飲まれるように流れが速い。
後を追った姉と私は、辛うじてその人影を見つけた。
「ヒナ!早く!」
姉が遅れそうになる私の手を引く。私たちは手を繋いで必死に走った。
行き交う人波にもまれ、見失いそうになっては強引に割りこんで。
「姉さま、駅に!」
「ヒナはどのホームに出るか見てて!オレは切符を」
私は駅の構内に目を凝らした。見失ってはと、焦れば焦るほど、誰も彼もが同じ人に見えてくる。
…………………いた。
見間違いようもない、光を吸いこむような漆黒の髪。
「どっちだ、ヒナ」
戻ってきた姉が、私の手に切符を押しつける。今度は私が姉の手を引いた。
「こちらへ!」
駆けこんだホームには既に電車が停車していた。涼浬が乗りこむのを確認して、私たちも手近なドアから滑りこむ。
車両を移動して、そこで初めて私たちは涼浬の顔を間近に見ることができた。
張りつめた表情の、端正な面差し。
私たちの記憶の中の涼浬と、瓜二つの横顔。
「…………姉さま」
姉は無言でその顔を盗み見ていた。唇を固く引き結んで、私の呼びかけが耳に入らない様子だった。
人違いでは、という言葉を続けられずに私は困惑した。
私たちが追いかけたその人物は、男性だったのだ。
高校生なのだろう。白いシャツに臙脂のタイ、グレーのスラックスのその制服は、確か北区の学校だったように思う。
涼浬であるはずがない。
そう、同じ人物であるはずがないのだ。何故なら葛乃は涼浬の死に様を………………。
「ヒナ、あいつが降りる」
物思いに沈む私を、姉の声が引き戻した。
「行くぞ」
ホームに吐き出された人波にまぎれて、再び彼の後を追う。
急ぐ姉に手を引かれて、私は走りだした。
思えばこんな事態は初めてではない。
今は真神学園の弓道部部長をつとめる桜井小蒔と出会ったときも、私たち姉妹は驚き、かつ密かに探りを入れたのだ。
何故なら彼女もまた、葛乃の記憶にある小鈴という女性にそっくりだったから。
けれども彼女は私たちの探りに全く反応を見せず、開け広げに明るく振る舞い、いつしか親しく友人と呼べる間柄にまでなって、それで私たちは探ることを止めたのだった。
他人の空似ということも、あるのだと。
今もそうでしょう、姉さま。
よく似てはいるけれども、彼が涼浬であるはずがないのです。
なのにどうして、そんなに必死に追いかけるのです…………?
やはり私は、姉と想いを分かちあうことができない。
似ない双子だと、周囲から散々言われてきた言葉が胸をよぎる。
彼の背中を追いかけて、私たちは走る。
いつしか陽は傾き、辺りは夕日の朱に陰影を濃くしていた。
芝・増上寺の近く、人気の無い並木道にさしかかった、その時だった。
前を行く彼が、ふいに私たちを振り返った。
正面から向かいあった彼の瞳は、突き放すように鋭い。
冬の瀧のように厳しく清冽な≪氣≫を、彼は身に纏っていた。
私たちは気圧されて立ち止まった。
姉が隣でつぶやいた。
「…………涼浬」
彼は目を細めて私たちを見つめ、はっきりと言った。
「…………僕は涼浬じゃない、織部の」
「!」
一言、言葉を発して彼は背を向け、歩み去った。
私たちは動けなかった。
遠ざかるその背を、呆然と見送る。
私たちは名乗らなかった。名乗らなかったのに、彼は「織部」と呼んだのだ。
それは、つまり…………。
照りつける夕日のなか、私たちはいつまでも凍りついたように立ちつくしていた。
翌日、姉は朝から機嫌が悪かった。
居間の卓に頬杖をつき、見るともなくTVのワイドショーを見ている。
卓上には、何を調べたのか黄色いタウンページが放りだしてあった。
「姉さま」
声をかけたが返事がない。
長刀の試合に負けた時のような機嫌の悪さだ。
姉は相当な長刀の使い手で、ほとんど誰にも負けたことが無かったが、何故か真神学園が会場の試合だけは、必ずひどい負け方をするのだ。物事の割り切りが早い姉だが、この時ばかりは一日中ふさぎこむ。
「姉さま!」
強い調子で呼びかけて、そこでようやく姉は私に顔を向けた。私は用意した鞄を姉の胸に押しつけた。
「出かけましょう、姉さま。芝までは時間がかかりますもの、早めに出かけるにこしたことはありませんわ」
「………芝じゃねーよ。北区だ」
やはり、姉はタウンページで何かを見つけたようだ。私はため息をついた。
「芝にはプールがありますわ」
姉はあっけにとられて私を見た。
「ヒナ?」
「約束しましたでしょう?昨日」
小指を差しだしてみせると、姉は小さく苦笑した。
「………そうだよな。行こうか」
昨日あんなに走った道のりを、私たちはゆっくりと歩いた。
芝プールは休日であることも手伝って、人が溢れていた。元来賑やかなことが好きな姉は、次第に機嫌が良くなった、かに見えた。
「ヒナ、水に入るな」
姉が厳しい顔で言ったのは、水着に着替えてプールサイドに出た時だった。私はうなずいた。
「水が…………こんなに淀んで。一体何が」
私も姉も巫女として修練を積んだ身だ。他の人々には何でもないプールの水が、ひどく淀んだ≪氣≫をしていることは、一目で知れた。
「あいつ…………それで芝まで出向いてたのか」
「昨日の………あの方が?」
「今日も、きっと来てる。涼浬は≪水氣≫を司る玄武の一族だっただろ。あいつはきっと何かを知ってるんだ」
姉は、私の手を取った。
「探そう、ヒナ」
姉の瞳には強い光が宿っていた。姉は生まれつき≪陽の氣≫が強い。私の目には燃えるような姉の光の≪氣≫が眩しく映った。
「探して、ちゃんと聞こう。涼浬のこと、織部のこと、オレたちの記憶のこと、それに何の意味があるのか、きちんと知ろう」
「………はい」
真っ直ぐな姉の瞳に、私は思わず答えていた。
けれども本当は、心の裡で問いかけずにはいられなかった。
全てを明らかにして、姉さまは怖くはないのですか…………。
人気アイドルのグラビア撮影があるというので、プールは混雑していた。
涼浬を捜して歩くうち、私はいつのまにかはぐれて独りになっていた。
そこで、私は見つけてしまったのだった。
ごく普通の、高校生らしき三人組。見上げるように大きな体格の男性と、木刀とおぼしき長い包みを抱えた男性と、もう一人、際だって≪氣≫の明らかな男性と。
私は彼らの顔を知っていた。
雄慶、京梧、そして…………。
彼らはどうなのだろう。私を一目で「織部」と見抜くだろうか。
涼浬が「織部」と呼んだ瞬間を思いだし、私は膝が震えた。
私は姉のように、ストレートに記憶の中の名で呼びかける勇気は無い。だから、できるだけ何気なさを装って彼らに近づいた。
「あの、私に良く似た女性を見かけてはいらっしゃいませんか………」
「見てないよ」
答えたのは明らかな≪氣≫を纏った彼だった。それは何の屈託も無い態度で。
後ろの二人も同じ反応であることを確認して、私は安堵のあまり泣きたくなった。
「ヒナっ!」
探していたのだろう、向こうから姉が駆けつけるのが見えた。
「探し人?あれ、さっきの人じゃん。あんまり似てないと思うけどなぁ」
彼が姉を認めて肩をすくめた。
「でも、良かったね。じゃぁ」
「ありがとうございます」
私は礼をしてその場を離れた。駆け寄る姉に小さく首を振る。
姉は何も言わずに彼らに頭を下げた。
「ヒナ、さっきの連中に何て言ったんだ?」
帰り支度をしながら、姉が聞いた。
「私に良く似た女性を見かけませんでしたか…………と。怖かったのですもの」
ぷっ、と姉は吹き出した。
「姉さま!笑うなんてあんまりですわ」
「あはははは、ご、ごめん。でも、オレもさ、あいつらを見つけた時に聞いたんだよ」
姉の目には涙が浮かんでいた。
「オレに良く似た女の子を見なかったか、って…………怖かったからさ」
私は姉の顔をまじまじと見た。
「姉さまでも?」
「何だよ、オレでも怖いんだぜ。………全部知ったらどうなるのかと思うとさ」
姉の涙は笑いのために浮かんだのではないのだと、私は気づいた。
怖かったのだ。姉も、私も。
「さっきの方に、私たち、あまり似てないと言われましたの。でも………」
私は笑った。目頭が熱くなって涙が滲んだ。
「同じですわね、私たち」
「同じだな」
私たちは互いの潤んだ瞳を覗きこんで、声をたてて笑った。
「涼浬さま………会えませんでしたわね」
「うん。ヒナ、明日骨董屋に行こう」
「骨董屋さん、ですか?」
「北区にあるんだよ。如月骨董品店、創業は元禄。今朝調べた」
「如月………まさか」
「涼浬の店も如月骨董品店だったよな。子孫なのかもしれないぜ。オレたちみたいに」
そうと決まったワケじゃないけどな、と言って姉は眉を寄せた。
「さっきの三人組、それに小蒔。オレたちみたいに記憶を持ってるワケじゃなさそうだけど、やっぱり普通の奴とは≪氣≫が違うよな」
「そして涼浬さまに似たあの方も」
「それから、オレとヒナも」
姉は目尻を指で拭って、いつもの不敵な表情をつくった。
「そんな連中が増えてきたのは、爺さまが言ってた龍脈の活性化と関係があるのかもな。爺さまに今晩話してみるか」
「ええ。そして明日は骨董屋さんへ」
「うん、一緒にな」
姉は照れたような笑みを浮かべて、手を差しだした。
私はその上に手を重ねた。
「はい」
全ての意味を知ることは、今も怖い。
それでも、同じ想いを分かちあえるのなら支えあうことができる。
夕暮れのなか、私たちは子供のように手を繋いで家路についた。