スケルトン・ゴースト 01/GHOST
それは自分じゃどうにもならねェ流れの中にあって、
自分以外の唯つことに全てを奪われた者の、
傷を舐め合うような、つまらねェ感傷だったのだろう。
今にして思う、近親憎悪。
新宿区中央公園へ、と呼び出されて現地に向かう。
闘いの中に奴はいた。
深々と澄み渡る冬空の下、白昼堂々とそこに佇む、
幽霊。
仲間だ、と言われてソイツを紹介された時には、思わず目を疑った。
「村雨は炎属性で、技は遠距離型だろ。だから水属性で、近接戦闘型の如月と組んで。如月、こっちはこの前仲間になった村雨。敵の属性がまだわかんないから、二人で組んでくれるかな」
引きあわされて、とりあえず手を上げて挨拶する。
「…………よぉ」
「……………………」
案の定、相手は無言だった。すんげぇ目付きで俺を睨む。
二人の間に流れる冷え冷えとした空気を察して、先生が口ごもった。
「えーと、あの、もしかして。知り合いなのか?」
知り合い。まぁ、間違いではないよな。友達と言われたら、何が起こるか想像するだに恐ろしいぜ。
如月が、腕を組んで静かに言った。
「タツマの仲間だというのなら、仕方ない。当面、過去のことは忘れよう」
「………へぇへぇ、ありがたい仰せで」
先生が、何があったの?ってな視線を投げてくる。
先生、アンタ知ってるか?
水剋火って言ってな、火と水は相性が悪いんだぜ。最悪。
戦闘はしょっぱなっから混戦模様だった。
結界に閉ざされた公園内に、あふれる鬼。
個々に討って出ているうちに、次第にメンツがバラけていく。
おまけにこの霧だ。
「おい、コイツはマズいぜ。先生」
隣の先生まで霞んで見える。
「わかってるって。だけど………あー、もう。京一のヤツ、一人で突撃しちゃってるし」
先生は俺の側に寄って首をかしげた。
「村雨。如月は?」
「あん?」
いない。
「そっちも一人で深追いさせちゃったワケ?」
「んなコト言っても仕方無ェだろうが」
如月は中距離から近距離でしか技を繰りだせねェし、俺は遠距離かイチかバチかの至近距離でしか札を放てねェ。
どうしたって、闘ってりゃ如月の方が先に進んで行っちまう。
向かってきた鬼を、巫炎でたたんで先生がさらに問う。
「………仲悪い?」
「如月に俺のコト聞いてみな。十中八九、敵だって答えるだろうぜ」
「ふうん?で、村雨はどう思ってんの」
俺は掌の上に喚んだ札を放った。霧の奥で鬼の絶叫があがる。
「ま、麻雀する時なら敵だな」
先生はムフフとよくわからん笑い方をした。アンタ、今何か誤解しただろ。
巫炎の構えを解かずに、先生がこちらを振りかえる。
目に光が無ェ。
「呼ぶつもりはなかったんだ。でも、如月は強いし、俺は力無いし。呼ばないと消えちゃいそうだし、さ」
意味の読めねェ言葉。感情の無い瞳。こういう時の先生は得体が知れねェ。
「心配なんだよ。もしかして、俺の所為で………」
ぱん、と両手を合わせる。
「頼むわ、村雨。如月追っかけて」
片目をつむった先生は、いつもの顔に戻っていた。
「先生の頼みならな。わかった」
「サンキュ。俺は京一追っかけて、態勢立て直すから。後で合流しよう」
手を振って、先生は霧の中に消えた。
累々と転がる鬼の屍をたどって、如月の後を追う。
わからねェのは、何故ヤツが闘っているのかということだ。
そもそも隠密と言うワリにゃ、如月の一族は名が知れている。
現代まで連綿と引き継いだ隠密の技。強大な水氣≪玄武≫の力。
そして≪玄武≫の宿星を血族の頭上に留め置く独自の秘術。
母系で名の残らねェ俺の実家と違って、強固な父系、つまり≪家≫でそれらを受け継ぐ飛水家のネームバリューたるや、こっちの世界に関わりの無ェ一般人にも知ってる人間がいるくらいだ。
ついでに未だ徳川の遺志を護って何者にも与しないことや、宿敵があることも、ある程度この世界に足を突っこんだ奴なら、誰でも知ってる話だ。
それでも、ちょっかいを出さずにいられねェ事情があったのが、俺や御門の敗因なんだろうが。
木立を抜けたところで、俺の目の前を光が走り抜けた。如月だ。
「奥義、瀧遡刃ッ」
昏い紫紺の燐光を放つ≪氣≫の奔流が、鬼を押し流す。
が、いかんせん≪水氣≫は陰の氣だ。外道には効きにくい。俺がフォローに動くより早く、
「如影斬!」
手前の放った流れにのって、如月が鬼の眼前に迫った。軽く斬り伏せて、トドメを刺す。
強ェ。
確かに如月は、先生の言うように強い。
そういう≪家≫に産まれ落ち、目的のためだけに育てられたいわゆるエリートだ。
つい最近闘うことを覚えた先生やその仲間から見りゃ、踏んでる場数も半端じゃねェ。
俺がわかんねェのは、その如月がどうしてこんな頼りねェ先生たちと、一緒に闘っているのかということだ。
飛水の宿敵、鬼道の長である九角家が倒れたってェ噂を耳にした。
そこらじゅうにあった≪鬼道門≫は全て閉塞期に入ったと、御門が確認している。
目的のために産みだされたものは、果たせば消える。
もう会うことも無ェだろうと思ってたヤツが、先生の隣にいるところを見た時は、真面目な話、目を疑った。
いるはずの無ェものを見たような。
そうやって、戦闘中によそ事を考えたのがマズかった。
「村雨!」
如月の声に我に返る。俺の右前方に、敵。
近くも遠くもねェ、中途半端な距離だ。遠距離の技は放てねェ。
一太刀受けるのは仕方が無ェか。大急ぎで掌に≪素十九≫の札を喚ぶ。
鬼が醜い爪を振り上げた、その時、
「地天斬ッ!」
影が割りこんだ。無理な体勢で放ったせいか、全く威力が無ェ。
俺が受けるはずだった一撃を受けて、如月が横殴りに吹っ飛ぶ。
「畜生!喰らえッ、絶場・素十九ッ!」
掌で札の呪力を解放する。怖気のはしるような怨念の塊。これを喰らってタダでいられるヤツはまずいねェ。
凄まじい負の氣に、鬼が砕ける。
「如月、無事か」
振り返ると如月はちょうど、血震いをして忍び刀を納めるところだった。
俺が仕留めたのが、最後の一匹だったらしい。
結界内の霧が薄れてゆく。
「終わったのか………?」
「そうらしいぜ。結界が解けてやがる」
如月は満足げに目を細めて微笑した。
血泥に汚れて闘い乱れた姿だけに、どうにも凄艶の一語に尽きる。
戦闘の直後にこんな笑い方が出来るヤツは、マトモじゃねェって事を先生たちは知ってて仲間にしてんのか?
知らねェのか、見せてねェのか。わかんねェな。
「何笑ってんだよ」
「別に。殲滅戦だったからね。無事で何より」
「先刻はスマン。助かったぜ。正直お前がフォローに入るとは思ってなかったけどな」
「タツマがお前を仲間だと言ったんだ。当然だろう」
仲間、ねぇ。
「ただし、お前や御門家の思惑がどうあれ、タツマの意を妨げるなら容赦はしな、い」
言葉尻で突然、如月は大きく咳きこんだ。
ごぼ、という嫌な音と共に、唇の端から血が漏れる。
「如月!」
「大、丈夫。た、い、した……事じゃ、ない………」
ぜぇはぁ息をつきながら言われたって説得力が無ェ。まさかとは思うが、先刻俺のフォローで受けた一撃で、肺をヤッちまったんじゃねェだろうな。
ヤワすぎる。
「チッ。俺はこれしか回復の札が無ェんだがよ………」
無いよりはマシだろうと思って月見酒の役札を喚んだ、が。
俺は札を放てなかった。
どこから出してきたんだか知らねェが、如月は血に濡れた手のひらにざらざらと、てんこ盛りに丸薬をあけた。口を開いて無造作に流しこむ。
薬を飲む、ってェよりは喰うに近い。
如月の手が俺の腕をつかんだ。
「タ……ツマに、他の仲間に、絶、対に、言うな。絶対………」
震える手が、ギリギリと力をこめて俺の腕を締めあげる。
「言えば………………殺す」
何だってェんだ一体。
確かにこっちの世界の人間は、他人に弱味を見せることを嫌う。
しかし見せちまったなら、今の如月の台詞じゃねェが口を封じちまえばいい話で。大体、先生たちは味方で、後ろを見せりゃ襲ってくるような敵じゃ…………無ェ、だろ?
ふいに如月が顔を上げた。
虚空を睨んだ目の焦点が、力を失ってぼやける。
「……………………タツマが!」
後で人に聞いた話だが、それはちょうど先生が≪凶星の者≫に斬られた、その時刻のことだったらしい。
反応したのは如月と大将と、金髪の嬢ちゃんとガンマン。
四神。
俺はその時の如月の顔を見て、柾希に置いてかれたあの時の自分がどういうツラだったのかを、初めて知った。
真夜中の病院は陰気臭くてかなわねェ。
まして手術の成否もわからずに、閉め切られた治療室のドアを睨んで過ごすなんてのはやりきれなさすぎて嫌だ。
思い出したくもねェ古傷が疼く。
気を紛らわすつもりでいたら、すでにそこには先客がいた。
「…………何の用だ」
如月は視線だけで俺を認めた。灯りを落とした廊下の薄闇に、溶けこむように微動だにしない。
存在感がえらく希薄だった。
「別にお前さんに用がある訳じゃねェが、他は禁煙でね」
俺が指した壁には張り紙。
「………喫煙コーナー」
「そういう事だ」
あきらめたように息をついて、如月はベンチの端に身を移した。華奢なスチール脚のスモーキングスタンドを引き寄せて、俺との間に静かに置く。
俺はセブンスターの封を切って火を付けた。
物音一つ無ェ廊下に、煙草の匂いが薄く広がる。
今もロビーには、先生の無事を祈る仲間たちが勢揃いしているはずだったが、そのざわめきも人の気配も、ここまでは届かねェようだった。
日頃やたらと仲間を大切にする先生の人徳か。誰一人帰るとは言わねェ。
ぽつりと如月が言った。
「タツマが」
「あん?」
「タツマが、運をもらったと言っていた。あれはお前の事か?」
「まぁな。マサキが先生に協力するって決めた時に、俺の強運は全部、先生に賭けた」
物憂げに首を巡らせて、如月は俺に顔を向けた。
「………いつから≪人≫憑きになったんだ」
「女に顕れる事が多いから≪家≫憑きだの、あげまんだの呼ばれるってェだけで、別に他人に運勢分けてやってるワケじゃねェよ」
俺の知る限りこの≪強運≫は、本来女にしか継がれない資質だった。女は嫁ぐから、嫁ぎ先の家運を盛り立ててるように見えるが、その繁栄は家に賭けた女自身の人生に返るだけの事に過ぎない。
「俺は賭で負けたことは無ェ。先生に賭けた以上、どう転んだって俺の不利にはならねェよ」
正直、柾希の時を思えば自信なんかカケラも無かったが、そうでも言わなけりゃやってられねェ気分だった。
如月はどうでもよさそうに抑揚の無い声で呟いた。
「…………そうだな」
如月がつい、と手を伸ばして俺のセブンスターを抜き取る。
ライターを投げてやると、慣れた仕草で火を付けた。
煙を含んで、如月は眉を寄せた。
「…………血の味がする」
「それはお前の肺の臭いだ」
父系と母系、その違いは血にある。
血を交えてゆく母系に対して、強固な父系は血統、つまり純血を重んじる。
しかしそういう≪家≫には、強靱な個体は産まれにくい。
血が純化するほど≪力≫は強くなるが、身体は脆弱になる。不毛な二者択一だ。
如月。お前、本当はもう限界が近いんだろう。
そんなにボロボロになってまで闘わざるを得ないのは、先生が≪黄龍の器≫でお前が≪玄武≫だから。
そんなにボロボロになってまで誰にも言えないのは、味方だ仲間だと言ってんのが先生であって、お前自身がそう思って一緒にいるワケじゃねェからだ。
タツマが言うから。そういう事だろ?違うか?
如月の唇から細く吐き出された煙を見て、俺はふいに理解した。
この男は幽霊だ。
身体はとっくに死んじまってるのに、ただ煙のように形の無ェ何かの遺志が宿ったばかりに浮世に姿を残して闘い続けている、幽霊だ。
もしここで先生が、≪黄龍の器≫がいなくなれば、コイツは綺麗さっぱり成仏して消えちまうのだろう。
何一つ後に遺さずに。
少しだけ、羨ましい気がした。
未だ手術の成否を報されぬまま、ただ黙々と俺は煙草を吸い続けた。
唐突に、ロビーから歓声が上がった。
「戻ってきた、か」
「ヘッ、だから言ったろ」
如月が立ち上がる。足取りは確かで、先刻までの希薄な雰囲気は微塵も無ェ。
消えるにはまだ早い。闘いは続く。
煙草を灰皿に投げ入れて、俺は如月の後を追った。
夜が明けようとしていた。