スケルトン・ゴースト 02/SKELTON
それは愛情だとか友情と呼べるものではなく、
まして同情ですら有り得ず、
ただ似て非なるものであるという憐れみと奇妙な安堵の入り交じった、
居心地の悪さ、であったように思う。
決戦は真夜中に始まった。
終わったのは夜が明ける前の、
最も闇の深い時刻だった。
僕らは勝った。これで全てが終わった。
どうしてそこでぞろぞろと桜ヶ丘病院へ向かうはめになったかと言えば、理由は単純、終電がとっくに過ぎてしまっていたからだ。
怪我をしているというのなら、歩かずにタクシーでも拾えば良かったし、寛永寺から新宿まで歩くぐらいなら、さっさと自宅へ帰った方が早い人間もいたはずなのに、全員がついてきてしまったのは、やはり皆気分が高揚しておかしくなっていたんだろう。
当然、桜ヶ丘の院長はカンカンに怒った。
怒濤のごとく吐き出される罵倒を浴びながら治療を受け、順にその罵られ役を交代しながら、僕らは始発電車が動くまでの時間を、ロビーや廊下のベンチでなんとなく二三人ずつかたまって過ごした。
誰も先に帰るとは言わなかった。
皆、口には出さなくてもわかっていたんだと思う。
別れてしまえば、明日から僕らは共通の敵も宿星も無いただの他人になるのだということを。
治療が済んだ僕も、廊下のベンチで疲れた身体を休めながら、時間が過ぎてゆくのを名残惜しくうつうつと過ごす一人だった。
「如月」
タツマに名を呼ばれて覚醒する。居眠りをしてしまったらしい。
起きあがろうとして、身体が動かないことに気づいた。
手足が泥のように重く、瞼すら開かない。
「うーん、寝てる」
そうだろうね。君から見ればそのようにしか見えないと思うよ。
神水だの丹薬だの、そういうものに頼ってこの身体を支えるのも、もう限界だということだ。
君は知らないだろうけど、あれは何も始めから売り物だったわけじゃない。
「オレ、こんな子供みたいに力抜いて寝てる如月って初めて見たな」
「まぁ、そうだろうよ」
タツマの言葉に応える声があって、その声があまりに至近距離で聞こえることに僕は驚いた。
「村雨と如月って、仲いいのか悪いのかイマイチわかんなかったんだけど。敵だって言ってた事あったしさ」
ふ、と苦笑する気配と同時に、僕の頭が何かに押し上げられた。
村雨だ。今のは苦笑とともに抜けた息が、村雨の腹筋を動かしたのであって、同時に僕の頭が押されたという事は、つまるところ僕は村雨を枕に、寄りかかって眠っているということなのだ。
不覚。何だか非常に不愉快だ。
「敵だから、だろうぜ。如月は殺せる人間にしか本性を見せねェからな」
「何だか、ものすごく物騒に聞こえるけど」
「良かったじゃねェか、先生。愛されてるってことだろう」
巫山戯た物言いだ。殴ってやりたいが、不幸にも身体が動かない。
これも村雨の幸運のうちか?
「大体な、敵だって言ってんのは如月の方であって俺じゃねェ。そもそもコイツにちょっかい出して怒らせたのは御門のヤツだしな」
自分を棚に上げて、しゃあしゃあとよく言ったものだ。
「御門さんが?」
「まぁな。アイツなりに必死だったんだろうぜ。本来宿星ってのは移ろうものだ。それが代々同じ一族の頭上に≪玄武≫の宿星が留まり続けているって聞けば、そこに何か星の軌道を変える方法があるんじゃねェかって思うだろうよ、普通は」
カラン、と小さく金属音が響く。煙の匂い。
村雨は煙草を吸っているようだった。
そういえば、ここは院内で唯一の喫煙コーナーだ。なんだかんだと、いつも戦闘で村雨と組まされているせいで、村雨が近くをうろついていても何も思わなくなってしまっていた。
おかげで現在のこの失態というわけだ。
「マサキさんか………」
タツマが呟いた、その時だった。
プルルルルルと軽い電子音が鳴った。村雨が動く。
「俺だ………何だ、御門か。こっちは終わったぜ。今は病院だ」
携帯電話の向こう側は、浜離宮に詰めている御門家の当主らしい。
「誰も死んでねェよ。ああ、先生も無事だ。俺の目の前でピンピンしてるぜ」
さすがにこれだけの近くても、電話の声までは聞こえない。
やりとりがいくつか続いて、不意に。
村雨の身体が硬直した。
微かに息を詰めて、下腹に力をこめただけの、ほんの些細な変化。
「…………そうか。じゃぁな」
けれど声は変わらず、いつもの通りで。
タツマは気づいてない。触れていた僕にしかわからなかった変化。
「御門さん何だって?」
「たいした事じゃねェよ。事務連絡」
「帰ったら伝えてくれないかな、お礼の挨拶がてら遊びに行きますって」
返答は僅かに遅れた。
「………ああ、マサキも喜ぶとおもうぜ」
「うん、じゃぁ。始発の時間になったら呼びに来る」
タツマの足音が遠ざかる。
そうして廊下は再び静寂を取り戻した。
村雨はただ無言で煙草を吸い続け、僕は相変わらず鉛の詰まったような身体に寝たふりを続け、一時間が過ぎた頃。
突然、村雨が揺れた。
小刻みに震えるように息が漏れ、もたれかかっていた僕の頭を掴むように村雨の腕が抱きかかえる。
村雨は泣いていた。
瞼が開かないから、確信は無い。
けれどもこの男がここまで声を殺すようなことは、他に考えられなかった。
何だ?何があったんだ?
しかもいくら手近だからって、どうして僕に縋るんだ。
お前、僕が憎いんじゃなかったのか。
飛水の秘術に一縷の望みを見たのは、何も御門君だけじゃない。お前だってそうだろう?
結局その正体が血継ぎによる術だと知って失望し、僕に対して腹の底で怒りを覚えていたんじゃないのか?
そこで僕は思い当たった。
先程の電話。
あれは、秋月の当主の容態を伝える電話だったのだ。
龍脈の正常化によって、星の軌道が本来の位置に戻ったのか。
それとも村雨の願いも虚しく、星は未だあの事件の時のままなのか。
いずれにしても、報われる知らせではなかったのだろう。
星の軌道を望む方向に変えるのは、尋常でなく難しい。
村雨は静かに声を殺していた。
僕の身体に伝わる震えが、村雨の悲憤を物語っているようで、僕は大人しくされるがままでいることにした。
村雨。
さっきタツマへの返答が遅れたのは、本当は憎悪を感じた所為じゃないのか。
≪黄龍の器≫としての宿命に、タツマは勝ったから。
羨ましさと怒り、悲しみと憎しみとが、どうしようもなく胸の裡で渦巻いていたんだろう?
それでも憎みきれずに、鉄壁のポーカーフェイスに穴が空いた。
僕が≪玄武≫の宿星に従わざるをえず、闘い続けながらも、とうとうタツマを憎めなかったように。
それが、あの返答までの間だ。違うか?
僕とお前は本当に、よく似ていて、それでいて非なるものなのだと思うよ。
目を閉じて感じる村雨の手は、思うよりも骨張っていた。
この男は骸骨だ。
放っておけば闇にまぎれて消えてゆくだろうというほど荒廃が深いのに、ただひとつのものが、かろうじてこの男を支えている。
それは皮が破れ肉が溶けて土に埋もれても、何万年と消えずに残る、この男を形造る骨だ。
村雨は、秋月家と巡り会った幸運に感謝すべきだろう。
激情を三十分で噛み殺した村雨は、再び煙草を吸いだした。
途切れることなく吸い続けて、全く迷惑なくらいのチェーンスモーカーぶりだった。
そういえば、あれはいつの会話だったか。
癌というのは細胞が傷ついて正常ではなくなって、傷ついた細胞をどんどんコピーして増殖してゆくことから始まるのだという。正常か、異常か。1/2の確率。だから運が良ければ、癌にはならない。そんな無茶苦茶な理屈を、村雨がこねていたことを思い出す。
死ぬことすら儘ならぬ強運というのも考えものだ。
結局、村雨は煙草がきれるまで何かに挑むように次々と吸い続けた。
その頃には僕の鼻と喉はいがらっぽく痛んでいて、出来ることなら途中で逃げ出したかったけれど、相変わらず僕の身体は意のままにはならなかった。
ここまで動けないとなると、どうもまずいんじゃないかという気もしてくるけれど。
まぁ、いいさ。
動く必要があるわけじゃない。
敵はもう亡い。九角も柳生も死んだ。玄武の宿星を戴く者としての役割も、飛水家にまつわる宿怨も終わった。
全て終わったんだ。
僕という人間を形造っていた要素は、全て消えた。
僕にはもう何も亡い。
僕ももう消える。気にすることは何も無い。
遠のく意識に身を任せ、僕は全てを手放した。
夜が明けようとしていた。