スケルトン・ゴースト 03/THE BIRD
「こんなもんわかるかぁっ!」
そう言って真っ先に投げだしたのは、あきれてものも言えないくらい予想的中な京一だった。
「ひーちゃん、俺はもうダメだ。後は任せた」
「わかった。任せろ。生物は白紙回答で出してやる。万事オッケー」
「どこがだっ!」
京一に肘をかまされて、二人して畳に転がるハメになった。
寝っ転がった俺たちの頭上を横切る白い足袋。
「…………君たち、僕の家に昼寝に来たのかい?」
「…………いェ、その」
「…………試験勉強っス」
「だったら、真面目にやることだね」
如月は俺たちに一瞥をくれて、奥の台所に消えた。
そうなのだ。
いかに東京を百何十年世を拗ねたオッサンの魔の手から護ったり、挙げ句暴走しちゃった黄龍を沈めたり、いらんとこからニョッキリ生えた龍脈の塔をひっこめたりしても、俺たちは高校三年生。借金取りと受験戦争は待ったナシなのだった。
っつーか、授業サボって戦闘してたんで、まず第一に卒業が危うい。
進学するつもりの俺も、卒業したら中国に渡るつもりの京一も、そりゃあ必死になろうってもんだ。
しかし、もう二月になろうってこの時期に、図書館に空席があるはずがなく、学校はあの倒壊のあおりをくらって教室が足りないし、京一の家にはビデオが、俺の部屋にはプレステがあるから危険だし、どうするよ、って二人で考えた末、
「如月ん家に行こうぜ。あそこならぜってぇ大丈夫」
「何でだよ」
「あいつ何かジジむせぇから、俺たちの娯楽になるようなモンねぇだろ」
と、如月骨董品店に押しかけたのだった。
如月はものすごく迷惑そうな顔をした。
ついでに場所選択の理由を話したら、チャージ料をとられた。チャージ料ってなんだよ。バーじゃあるまいし、村雨の影響受けてんのかな。
そんなワケで、俺と京一は如月の家の畳の上で有料な時間を無駄に転がっていたりするのだった。
「なぁ、ひーちゃん。寛永寺ん時に持っていったアイテムとか、まだ残ってるか?」
京一が天井を見上げながら言った。
「アイテム?もってるけど、何か使うのか?」
「いや、ちょっと。中国で何があるかわかんねぇからよ。譲ってくれるとうれしいんだけど」
「如月に言った方がいいんじゃないか、それ」
「言ってみたんだけどよ、もう無ぇって一点張り」
寛永寺の決戦の後、如月はちょっと変わったと思う。
何がどうというわけじゃないけど、いつの間にか如月骨董品店の棚からは、神水だとか太清神丹だとか、そういう類の商品が消えた。刀剣類は相変わらずだけど、装飾がジャラジャラしてて実戦向きじゃないものばかりに置き換えられてた。
俺たちへの応対も、昔よりは素っ気なくなったように思うし。
まぁ、旧校舎帰りの真夜中に押しかけられて、嫌な顔ひとつせずに店を開けてくれた昔の方が異様といえば異様なんだけど。
今だって俺や京一は放ったらかしで、如月はひとりテキパキと掃除の真っ最中だ。
もともと整理整頓された家だったけど、今やキレイを通りこして殺風景なくらい隙なく片づいてしまってる。
なんか引っ越し直前の家みたいだ。とか考えてたら如月が戻ってきた。
「…………昼寝なら、枕は別料金」
「だー、今ッ!今やろうとしてたんだよ、なッ」
「そうそう」
俺たちは慌てて起きあがって、お勉強にいそしんだ。
イヤんなるくらい、勉学には最適な環境だよな。まったく。
教科書を開きなおして、京一に言う。
「クローゼットの中探してみるよ。多分あの時のまま放っぽいといてあると思う」
「サンキュ。助かるぜ」
卒業したら、京一は中国に渡る。一緒に武者修行しようぜって誘われたけど、ついてなんか行けるもんか。
ケンカ別れした師匠を探しに行くつもりなんだろ。
行っちまえよ。バカ。
気合いを入れて赤本に取り組んだのもつかの間、急に如月の家の店舗部分の方がうるさくなった。
「よぉ、若旦那。いるか?」
村雨の声だ。俺と京一は顔を見あわせた。
「忘れてた…………」
「マズい、よな」
俺たちはうっかり忘れていたのだった。
如月の家での唯一の娯楽。麻雀の存在を。
「ひーちゃん、悪ィ。俺は逃げるッ!」
「京一!待て、この裏切り者っ!」
「俺を中国に行かせてくれー!」
止めるヒマもなく、京一は逃走した。
誘惑に弱いオノレの性格をようやく把握したのか……って、いや、そうじゃなくって。
一人で逃げんな、コラ。
「お?何だ蓬莱寺のヤツ、帰るのかよ」
「やれやれ、騒々しいと思えばお前か、村雨」
如月が奥から出てきて首を振った。村雨は敷居の向こう側から首だけ覗かせて、俺を見つけてニヤリと笑う。
「何でェ、ちゃんと面子がそろうじゃねェか」
ぐいぐい引っ張った村雨の左手には、襟首をつかまれて仏頂面の紅葉。
あああああ、やっぱり麻雀なのかよ。
「…………火遊びの好きな男だ」
如月が、あきれたように呟いた。
「…………いまさら、でしょう。如月さん」
あきらめたように紅葉が言う。
何だよ二人とも。誰か村雨止めろよ。俺は受験生なんだぞ。
「なぁ、先生。アンタ暇だろ?暇じゃねェとは言わせねェぜ?」
………目が据わってるよ。博打狂め。
うう、ちくしょう。ドイツもコイツも、俺の未来を返しやがれ!
そんなこんなでホントは売り物らしい年代物の雀卓が引っぱり出され、当然のなりゆきというか酒まで回され、一人でボロ勝ちな村雨とガッチリ次点を守ってる如月とを倒すべく、紅葉と共同戦線を張ったりして熱狂するうちに夜になっていた。
なんかもう、頭ン中に熱がこもったみたいで天井がぐるぐるする。
「タツマ?大丈夫かい」
「あー?」
「これは駄目だね、休憩にしよう。少し風に当たってくるといい」
縁側に追いだされた。ので、ついでに庭に出た。
冷たい風が気持ちいい。
曇ってるのか、月明かりもない闇夜だ。塗り込めたように重い闇。
背後の暖かい家の灯りが、妙に遠かった。
こんなふうに一人たたずんでると、どうしても思い出してしまう言葉がある。
東京に来る前に、言われたこと。
『お前の運命の≪糸≫が視えない』
何処とも、誰ともつながらない、俺の運命の糸。黄龍の力の証。
真神に転校してみんなと出会って、そんなことはないさと思ってたけど、やっぱりそれはそんなことはなくはなかった。
京一は中国に渡る。
醍醐も美里も桜井も、みんな卒業したら別れて自分の道を行く。
寛永寺の決戦の後、一度も会わない仲間が何人いるだろう。
みんなみんな俺の側をすり抜けて、行ってしまう。
雨が降ってきた。
動物図鑑を見て怖くてたまらなくなった事がある。
絶滅してしまったドウドウ鳥。
最後の一羽の瞳には、世界はどのように映っていたのだろう。
己の預かり知らぬ価値を求めて、人間に狩り追われる一生の中。
自分以外の全てが異種の、その孤絶した世界で。
「タツマ、風邪をひくよ」
呼ばれて振りむくと紅葉だった。縁側から降りて、俺に傘を差し掛ける。
言われて気づいたけど、俺、ビショ濡れだよ。マズイなぁ。
「如月さんから聞いたよ。試験勉強だったのに、邪魔をしてしまって………」
「あはは、いいって。紅葉が謝ることじゃないだろ。どっちかって言えば、紅葉も村雨の犠牲者だし」
紅葉は苦笑いした。
「確かにね。荒れてる時の村雨さんは、逆らうと恐いから」
「なに?村雨荒れてんの?」
「少し、ね…………」
あいまいに言葉をにごされた。
紅葉は仕事の話や、そういう裏の話は絶対俺にしない。
前に村雨が如月のコト、『殺せるヤツにしか本性を見せない』とかいってたけど、紅葉もそうなんだろうか。
村雨と如月と紅葉と。
殺し合いするほど、腹を割った関係。
友情とはちょっと違う気がするけど、羨ましい。
「なぁ、紅葉。如月がさっき言ってた火遊びって………」
「何?」
「………やっぱ、何でもない」
確かにそういう相手と雀卓囲むのは、火遊び以外の何ものでもないだろうけど。
そうすると俺だけが三人とは違うわけで。
俺だけが独り、違う世界に立っている…………
「タツマ?どうしたんだい」
紅葉が俺の顔をのぞきこんだ、その時だった。
ガラリ、と縁側のサッシが開いて村雨が転がり出てきた。
「痛ってェ!何しやがる」
「それはこちらの台詞だ。そこで酒呆けした頭を冷やすがいい」
村雨を蹴り出して、腕を組んだ如月が縁側に立つ。
「んだとォ!」
怒鳴って村雨が立ち上がる。如月の手が一瞬、袖の中に消えた。
げ。忍び刀を出すつもりか?
いきなり殺しあいは止めてくれよ。
「痛ッ」
ぺち、という音が村雨の額で弾けた。ぺち?
「何だ、こりゃぁ」
村雨が拾いあげたそれは、麻雀の白牌だった。
「如月、お前ェ。なんか勝ちが続かねェと思ったら、イカサマしてやがったな」
「当然だろう。初めから一人勝ちの決まった麻雀に誰がつきあうというんだ。この程度の手目くらい、普段のお前なら見抜けるだろうに。少し頭を冷やせ」
何?如月イカサマしてたのか?
「紅葉、気づいてた?」
「村雨さんが負けるときは、必ず如月さんも負けるから、何かあるだろうとは思ってたけどね………」
庭に降りてる面々をジロリと見渡して、如月はため息をついた。
「………君たちといると静かに終わるということがないよ、まったく。タツマ、いつまで庭にいる気だい?風呂を沸かすから、着替えないと風邪をひくよ。受験生なんだろう?」
そう思うんなら、そもそも麻雀に巻きこまないで欲しかったんだけど。
「何だよ、先生にはエラく待遇がいいじゃねェか」
村雨が拗ねた目で俺を見た。そうかな。
俺はワリと、如月には嫌われてると思うけど。
一緒に戦ってた時も、結構無理ヤリつきあってくれてるフシがあったし。
見上げた俺に、如月は肩をすくめた。
「愛されてるから、だろう?」
何だそれ?けれど村雨には通じたようだった。
「…………てめェ、あの時起きてたのかよ」
「迂闊なのはお互い様だ」
如月が言い終わるより早く、村雨が動いた。
手首をつかまれた如月が、バランスを崩して庭に転がり出る。
「村雨!」
「ヘッ、これでお互い様だろ」
何故だか得意げに言って、村雨はくしゃみをした。
紅葉がくすり、と笑った。膝をついてしまって泥ドロな如月が、不機嫌に言う。
「こうなったら全員風呂に入ってもらうからな。壬生、君もだ」
「僕もですか?」
どうも、傘のおかげで一人無事なのがダメだったらしい。
村雨が何かを投げて、傘が吹っ飛んだ。さっきの麻雀牌かな。
「………どうしてこういう時だけ連携するんです。貴方がたは」
紅葉は憮然として傘を拾った。
拾うまでの間に、雨が遠慮容赦なく紅葉に降りそそぐ。
紅葉までズブ濡れの仲間入りだ。なんかおかしくて笑ったら、睨まれた。
「笑わないで欲しいな、タツマ。村雨さん、貴方もです。だいたい、この雨はタツマには甘すぎるんですよ…………」
雨が甘い?思わず舌を出してみた俺に、村雨が何故か爆笑した。
紅葉が苦笑する。
「そういう意味じゃなかったんだけれど………。ねぇ、如月さん」
振りむけば、如月が小さく笑っていた。
三人だけで通じ合うのはやめて欲しいんだけど、なんか俺もどうでもよくなってきて、一緒に笑ってしまった。
「全く、先生には敵わねェぜ」
村雨に肩をどやされた。何だろうな。まぁ、いいけどさ。
世界はあいかわらず俺の横をすり抜けていくようで、
繋いだかにみえた糸は、実はもつれていたにすぎなくて、
ほどけて何処かへ流れていくのを止められないし、
誰も俺と同じ星の下に立つことは出来ないけれど。
だけど、
生きる世界が違っても、戦いが終わって宿星の繋がりが無くなっても、
今ここには確かに何かがあるのだ。
闇夜の央天から降りしきる雨は、
家の灯りを受けて俺たちの頭上で細い銀の糸に変わった。
糸を撒くように、銀色の滴が降り注ぐ。
俺の上に、紅葉に、村雨に、如月の上にも。
如月の家の屋根に、庭に、表通りを行き交う人に、
この夜空の下すべてのものに。
天から繋ぐ、一筋の糸。