目が覚めるまで。



 何だか妙に腹の底から身体が温んできて、俺は目蓋を落とした。
 意識が完全にオチちまうのはマズいが、悪くねェ気分だ。
 口中に残る甘苦い感触を、舌で溶かして消す。太清神丹。店頭売りより三倍濃度だというロクでもねェ薬を、糖衣で包んだ名残。
 舌の先がチリチリと痛む。
 如月のヤツが先に口に含んだから、何の警戒もなく口に入れちまったが、どうも薬がキツ過ぎて焼けてしまったらしい。
 よくもまぁ、こんな薬を澄ました顔で飲めるもんだ。
 痛かったからといって、痛いと素直に言うヤツじゃぁないが。
 つらつらと考えていたら、足音が戻ってきた。
「きさら………」
「仕方がないから、ツケにしておく」
 目を開けて姿を確認するより早く、何かが降ってきた。微かなぬくもりと樟脳の匂い。
 見なくてもわかる。毛布だ。
 柔らかにくるまれるて、マズいとわかっていても意識が遠くなる。
 こういうのを押し売りって言うんじゃねェのか。
 そう思ったのが最後、俺の記憶は途切れていた。


 よくよく俺は考えてみるべきだったのだろう。眠りの意味を。



 目蓋を開くと、外はもう夜だった。家の中は薄青い闇に沈んでいる。吸いこんだ息が、やたら冷たく新鮮に感じられた。暖房を切っちまってるらしい。
 灯りが無ぇのはどういうことだ?
 如月のヤツは居ねぇのか?
 身を起こしかけて、そこで俺は息を飲んだ。
 ……………居た。
 如月は俺のすぐ側、居間の卓に突っ伏すようにしてそこに居た。
 ただし、気配が全くない。
 意図的に気配を消しているワケじゃねェ。
 本当に無い、のだ。
 人間が生きてる限り、気配なんざ消そうとしたって消しきれるモンじゃねェ。そういう押し殺した気配なら、目が覚めるまでもなく、身体が勝手に反応して飛び起きてるだろう。
 俺はそういう世界に生きているし、それを今更否定する気も無ェが。
 俺は肩肘を突いたまま、動けなかった。
 如月は眠っていた。
 静かに。身じろぎひとつせず。
 軽く首を傾げて目を閉じた表情からはいつもの険が抜けて、子供のようだった。
 ただ、気配だけが無い。
 この目でそこに如月を見ていなければ、人が居るとは信じられないくらいに、何も無ェのだ。
 これで姿を隠していれば、この家は誰が見ても無人だろう。
 如月の敵、飛水家の因縁に関わる者たちも、そこに如月が居るのだとは思うまい。
 俺は。
 何となく、如月もそうなのだろうと思っていた。
 敵の気配に常に神経を張りつめて眠ることを知らない、俺と同じなのだと。
 そうじゃなかった。
 眠りは無意識の領域にある。その無意識の領域下であってなお、己の存在を無にするのは尋常なことじゃねェ。
 それが身につくまでの間に何があったか。過酷にすぎて想像すら許さない。
 舌の先がチリチリと痛んだ。
 三倍濃度の太清神丹。眠る前の薬焼けはとうに治っちまってる。
 だが、痛くないワケがねェ。
 痛くないワケがねェのだ。


 存在を無にするという一種の結界。
 孤独という安全圏。
 ただ眠るだけの行為が、これほど痛々しいとは知るよしもなく。
 起きることがひどくためらわれて、俺は。
 無心に眠る如月から目をそらして待つしかなかった。

 目が覚めるまで。