ニヒリスチック
その光景は今も、目に焼きついて離れない。
まるで駄々をこねる子供を見るような、仕方がないという笑みをほんのちょっと口元に浮かべて、次の瞬間、如月さんの姿は鬼の影に消えた。
肉を咬みちぎる音。
悲鳴は長く、いつまでも耳の奥で谺した。
それでまた、どうして俺サマは走っていたりするんだろうと考えつつも、やっぱり走らざるをえず、へぇはぁ息を切らしながら最後の角を曲がった。
由緒正しき辛気くせぇ店構え。北区・如月骨董品店。
ハッキリ言って、ここに居ねぇんだったら、どこに居るのかなんて俺サマにゃサッパリわかんねぇ。
店のシャッターが降りているのを横目に、裏手の玄関へと回る。
門柱を越えて飛びこもうとしたその時、罵声が飛んできた。
「いいかげんにしろッ!」
見れば双子の姐さんたちが、玄関に仁王立ちになっていた。
いや、仁王立ちなのは雪乃サンだけで、雛乃サンは半分腰が引けてるみたいなカンジだったりするんだけど、それはさておき。
「今度はちったぁマシになったかと思えば、全ッ然変わってねぇだろ。いつまでそんなモン引きずってんだよ」
「………僕は、涼浬じゃない」
如月サンの声だ。やっぱりここに居たのかよ。
「ああ、確かにそう言ったのはお前だよ。だったら、だったらどうしてッ………!」
何の話してんだ?何だか知らないが雪乃サンはえらい剣幕だ。
怒鳴りたいのは俺も同じだけれど。
まったく、あの人は人様にどれだけ心配をかけりゃ………
「どうして………九角に喰われたりしたんだ!」
「………えッ?」
思わず、声が出ちまった。
弾かれたように、雪乃サンが振りかえる。
「……………雨紋」
雪乃サンの向こうに、病院から脱走した如月サンが、今すぐ葬式が出せそうな白い単衣を着流して佇んでいた。
結局、呼ばれて力を貸す俺サマには、イマイチ情勢の変化がつかめねぇまま敵ボスの包囲網は完成していた。
鬼道衆の長、九角天童。
側近だとかいう鬼面の連中を一人ずつツブして、五色不動の護りに玉を奉納しなおして、タツマさんたちは地道に事件を追ってたらしい。
菩薩眼の姐サンに手を出したのは、そうやって情勢が追いこまれたからなンだろう。
美里サンを助けるためにタツマさんたちが駆けつけて、如月サンや俺サマをはじめとする仲間たちが合流して、なしくずしな勢いが俺サマたちの側にはあった。
敵は手強かったが、負ける気がしなかった。
鬼になっちまった九角をボロボロに追いつめて、ドドメをさせると思った、その時だ。
九角が吼えて、一直線に疾走した。
その先にいたのは……………………。
その光景は今も、目に焼きついて離れない。
どうしてあの時、如月さんは微笑ったんだろう。
「もういいッ!雛ッ、帰るぞ!」
雪乃サンは肩をいからせて踵を返した。
「ね、姉さま………!」
おろおろと雪乃サンの背中を追った雛乃サンは、俺に目を合わせてささやいた。
「雨紋さま」
いつもおっとり和んでるクセに、こういう時の雛乃サンの瞳は怖ぇくらいに澄んでる。
「………側に居てあげて下さいまし。虚無には、独りで打ち勝つことはできませんもの」
へ?
何だって?俺サマの頭でわかるように言って欲しい。
目が点になってる間に、姐さんたちは行っちまった。ちょっと待ってくれ。こんな状況で一人残されて、俺サマは一体どうすりゃいいんだ?
「えーと…………、その、如月サン?」
如月サンは俺をジロリと一瞥して言った。
「………帰れ」
ぴしゃりと戸が閉められた。マジ?
玄関には鍵がかかってなかった。
そろそろと開いてみる。
………何も飛んでこねぇ。ってコトは入ってもいいってことか?
「如月サーン、入りまスよー」
一応、断ってから中に入る。今のあの人の状態じゃ、まず無理だとは思うけど、勝手に入って叩ッ斬られたりしたらたまんねぇし。
居間をのぞいたけどいないんで、縁側の廊下にまわってみると、如月サンがぎこちない足取りでのろのろ歩いていた。
「如月サン、待って下さいよ」
振りむいた如月サンの額には、ビッシリ脂汗が浮いていた。
そりゃそうだろう。浴衣のせいで見えねぇけど、如月サンは身体中包帯でグルグル巻きのハズだ。肉を咬みとられて、骨や腱があらわになった如月さんの傷口を、俺は知ってる。
こんなに酷い傷なのにあんまり血が出てなくて、それが血を啜られたせいなんだと後で知って、俺サマがどんなに悔しくて情けねぇ思いをしたのかなんて、この人は全然わかってないんだろうな。
絶対安静の重体患者のクセに、病院脱走してこんなトコに居るし。
俺は持ってきた紙袋を如月サンに押しつけた。
「コレ、舞子サンから預かってきたんスけど」
桜ヶ丘の名前が入った白い袋。ひらがなでおくすり、漢字で如月翡翠様。
如月サンは目線でそれを読んで、無表情に言った。
「………いらない」
「は?いらないッて、如月サン?」
「………必要ない」
如月サンは、またのろのろと歩きだした。
「ばッ………」
俺サマはがぜん、腹が立ってきた。
「馬ッ鹿言ってんじゃねぇって。だったらアンタその脂汗は何なんだよッ!痛ぇのに何意地はってんだ。舞子サン、泣いてたんだゼ!?」
見舞いに行ったら、桜ヶ丘病院は大騒ぎだった。
如月くん、麻酔も鎮痛剤もイヤだってどっかに行っちゃったのォ~、といつもの間延びした調子で話した舞子サンは、目に本気の涙を浮かべていた。
舞子サンは優しいから相手がただの患者でも心配するンだろうけど、泣いたのは如月サンが一緒に闘った仲間だからだ。
そういうことの一切を、如月サンはわかっちゃいない。
夏のあの事件で、ちょっとはマシになったかと思ってたのに。
「効かないんだよ」
如月サンの言葉はひどくかすれて聞き取りにくかった。
「特に、そういう薬は。麻酔、鎮痛剤、催眠剤、幻覚剤、媚薬毒薬………何度も何度も繰り返し、耐薬の訓練を受けてきたから。おかげで僕は、子供の頃の記憶がほとんど、ない、けど、ね」
ギクシャクした動きで歩く如月サンが、それでも全く足音をたててないことに、俺は気がついた。
こんな時じゃなかったら、俺サマは素直にさすが忍者だと感心してるンだろうな。
そう考えたら、自分にも腹が立った。
気配もなく忍び寄ったり、怪我をしても悲鳴を上げなかったり、俺サマにゃどうやってるんだかサッパリわかんねぇ複雑な技を繰り出したり、そういうのをいつも俺はカッコイイと思っていたけど。
こんな時まで足音を殺す如月サン。
こんな時まで痛いとは言わねぇ如月サン。
みじめな姿だと言ったら、この人は怒るだろうか。
本当のこの人は、そう、みじめなくらいに壮絶なんだ。
そのことに、今さら気がついた。
返す言葉が見つからない俺サマを尻目に、如月サンは自分の部屋の前にたどりつき、
「……………………」
ゆっくりと襖を引いて、俺サマの目の前でピタリと閉じてしまった。
はッ!
何やってんだ、俺サマ。また閉めだしくらっちまってるゼ?!
チクショウ、どうして俺はこんなに頭がワリぃんだろう。
しょうがねぇから、また、そろそろと襖を開けてみる。
開けた襖の向こうに、如月サンが腕を組んで立っていた。
「どうして僕がわざわざ閉めた戸を開いて入ってくるんだ、君は」
どうも、俺サマが襖を開けると読んで、そこで待ちかまえていたらしい。
「えーと、その、鍵かかってねぇし、いいだろと思って………」
「襖に鍵をかけろとでもいうのかい?」
如月サンはあきれたように短く息をついた。俺サマに背を向けて、床にのべた布団にもぐりこむ。
障子を閉め切って、薄暗い部屋。
几帳面な如月サンらしくもなく、布団は乱雑でしわくちゃだった。
「如月サン、その布団ちゃんと引きなおして寝ないと風邪ひくンじゃないスか」
「………どうでもいいだろう、そんなの」
如月サンの返事はなげやりだった。
「良くねぇッスよ。アンタ、いつもそうやって自分のコト大事にしねぇし。さっき雪乃サンがすっげー怒ってたのも、そういうコトなンだろ」
俺が枕元に座ると、如月サンは身体を丸めて顔をそむけた。
あーもう、この人は。
「き・さ・ら・ぎサンッ!」
「……………織部の姉巫女は、知ってるんだよ。僕には家族がいないだろう?」
唐突に、如月サンはしゃべりだした。
「僕の祖父は、失踪中ということになっているけどね。本当はもう帰っては来ないんだよ。死体が無いから行方不明としか届け出られないだけだ。祖父は……………喰われて死んだんだ。骨も残らずにね」
「………………!!」
喰われて死んだ。
雪乃サンの言葉が、耳ン中でリピートする。
どうして喰われたりしたんだ。どうして?
「水氣を操る僕の一族は、生来常人よりは陰の氣が強い。だからいつの時代も、陰氣を糧とする外法の輩からは、狙われ続けてきたんだよ。何人も何人も………外法の者の血となり肉となって……………あの九角家の血の中にも、飛水の血と肉が溶けているんだ。いくら肉体を貪ったからといって、魂魄の魄に宿る陰氣を己がものにできるはずもないのにね…………」
如月サンの声は淡々としていた。
こんな話をしてンのに、どうでも良さそうな感情の無い声。
俺はワケも分からず不安になった。
唐栖のヤツが逝っちまった時と同じ感覚。
言葉が届かねぇ、遠い世界にいっちまうンじゃねぇかと思うような……………
「それをわかっていながら、あの鬼道の男は何度となく力を求め、自分の血と肉が溶けていると知りながら、僕は何度となく彼を斬ってきたんだ……………だから、僕は」
如月サンまで、俺の側から居なくなるんじゃねぇかという気がして、思わず、
「俺はッ………!」
俺は大声を上げていた。
何でだか分かんねぇけど、それ以上何かを言わせたら最後、如月サンはこっちには戻って来ない気がした。
「俺はッ、如月サンがいなくなっちまうのはイヤだ!アンタに側にいて欲しいって、そういう周りの人間の気持ちにどーして気づかねぇんだ、アンタは!!」
小さく息を飲む音。
如月サンの肩が震えた。
華奢な背中が揺れて、如月サンはむせぶような押し殺した息を漏らした。
「雨紋………」
「如月サン」
「……………き、君は、僕を殺す気か………ッ」
「はい?」
ごほっ、と喉を鳴らして次の瞬間。
如月サンは爆笑した。
「如月サンんん~!?」
「く、苦しっ………はは、き、傷に響く、あは、はははは………雨紋、は、お、お前、歌の歌詞だけじゃなくって、ふ、ふふ、普段からこんな、こと、言ってるのか」
苦しそうにゼイゼイ咳きこみながら、如月サンは笑い転げた。
「こ、こんな恥ずかしい台詞を、面と向かって言われたのは初めてだよ」
「あぁぁんたなぁッ!アンタが、重傷のクセに病院脱走して!薬はいらねぇとかダダこねて!おまけに何だかよく分かンねぇ深刻そうな話をしだすから、俺サマは!」
あああああ、もしかしてこの人、もンのスゴク根性悪ぃんじゃないか?!
くるり、と如月サンがこちらを向いた。
俺サマを見上げた顔は、からかうような意地の悪い微笑を浮かべていた。
「まったく。殺されることも笑うことも、独りで出来はしないものだね」
けど目元が穏やかで、なんとなく優しいカンジがする。
いつもの如月サンだ。
「側に他人が居るというのは、つくづく偉大だと思うよ。落ち込むことも出来やしない」
そう言って如月サンは、もう一度声をたてて軽く笑った。
なんだかな。
目の前のこの人は、カッコ良くて壮絶で、みじめで根性ワルで、想像もつかねぇような過去があって、笑うとなんか優しくて。
………ホント、俺サマの手には負えねぇ。
「薬、一応もらっておくよ」
「………布団も」
「……………仕方がないな」
「何が仕方ないなんスか。まさか、メンドクサいとか言うんじゃねぇだろうな、アンタ」
「うーん………」
如月サンは汗で張りついた髪をかきあげて、顔をしかめた。
やっぱ、面倒だと思ってるらしい。自分のコトにはトコトン投げやりだゼ、この人。
ニヒリスチック。
虚無的な人。
「ウダウダ言ってねぇで、布団から出て下さいよ。俺が引きなおしますから」
「済まない」
雛乃サンは何て言ってたンだっけ?
「ちょッ、如月サン?!」
「……………疲れた」
「だッ、わー、んなトコで寝たら風邪引くって。如月サン!如月サンッ?!」
まぁ、こんなモンなんじゃないか? と、思った。
きっと勝てるだろ。
自信はあンまし無ぇけど。