産まれる。



 産まれる。

 産まれる。

 産まれる。

 何が?



 激しく揺さぶられると、考えがまとまらない。
「は………ッ、うン………あ」
 呼吸が熱い。喉を焼く悲鳴が甘い。
「む、らさ………め。やッ………」
 僕を揺さぶるのはこの男。
「やめろ、って?」
 耳元で低く喉を鳴らす、村雨の声。顔が見えない。
 僕を組み敷く背中の向こうの天井が遠い。目を閉じて、見えるのは闇。
 耳を噛まれた。
「はぁ…んッ」
「こんなに感じてンのにか?」
 嘲る言葉。僕の下肢に村雨の手のひらが滑る。
「ひッ………あ、あぁああッ!」
 握りこまれて響く、濡れた音。音だけが生々しく耳に残る。
 僕の中に飲みこんだ村雨と、村雨の中の僕。二人の間で放たれる音。
 それだけが、この暗闇の全て。
 ただひとつの言葉が、瞼の裏をめぐる。


 産まれる。産まれる。産まれる。産まれる。産まれる産まれる産まれる。


 ………何が産まれるというのだろう。
 注ぎこまれているのは、僕。
 埋めこまれているのは、僕。
 下腹に押しこまれているのは、僕だ。
 ここから出てゆくものなど、在りはしない。
 生産性の無い関係。
 僕を穿つ村雨に、疑問はない。そもそもこの男が、モラルという言葉を知っているのかも不明だ。
 問題は、村雨が男だということじゃない。
 村雨を銜えこんだこの僕の身体が、男だということ。それだけだ。



「何だ、これは?」
 僕が村雨に聞いたのは、夕暮れの最後の陽が落ちようとする時刻のことだった。
「文鎮らしいぜ。卵みたいでおもしれェだろ」
 村雨が僕の手の中に落としたそれは、重みのある丸いガラスの塊だった。
 薄暗い店に、夕陽の赤い輝きを映すなめらかなフォルム。
 引かれるように伸びたその形は、確かに卵に似ていた。
「確かに、ね。何の卵かは知らないけれど」
 磨き抜かれた冷たいガラスの卵が、僕の体温に微かに曇る。
「何が産まれる卵か、知りたいか?」
 村雨が、ニヤリと笑った。性質の悪い笑みだとわかっていて、愚かにも僕は返事をしていた。
「何の卵だ?」
「それはな、」
 すい、と村雨の顔が近づいた。その次の瞬間には、
「………!!」
 村雨の唇に息を奪われていた。口腔の奥まで差し入れられる、柔らかい舌。
 何が産まれると言おうとしたのか。
 村雨の答えは、僕の喉に押しこまれて消えた。



「あッ、あ、………ああぁぁ!!」
 揺れる世界のなか、ひときわ激しく突き上げられて僕は頂きに達した。
 歓喜と昂揚に、感覚がとろけて音を失う。
 残された暗闇に、何処までも落ちてゆく失速感。めぐる言葉。


 産まれる。産まれる。産まれる産まれる産まれる産まれる産まれる。



 もし僕が女なら、こんな言葉に囚われることは無かった?
 何も考えずに、悦びに耽ることが出来た?
 僕を穿つ村雨に、モラルはない。
 だからいつだって、軋むのは受け入れる僕の身体。疑問を覚えるのは僕の心。
 捨てきれない、そのモラル。




 長い長い失速の果てで、僕はようやく意識を取り戻した。
 店の中は、冷え冷えとした闇に沈んでいた。
 村雨の姿は無い。
 疲れきった上体を起こした途端、下腹部を鈍い痛みが襲った。
「はぁッ…………ん」
 口をついてあがったのは、嬌声だった。
 下半身が異様に重い。村雨を飲んでいる時のような、圧迫感がそこにあった。
 これは何だ?其処にあるのは何?
 無性に恐くなって、僕は這いずった。力の入らない脚を張り、逃げるように。
「あ………あ、あぁ…ッ」
 脚の間が濡れてゆくのがわかる。僕の中に注がれた村雨が、滴り落ちる感触。
 ずるり、と何かが身体の中を下り降りる。
「ああああああ!」
 何かとてつもなく質量をもったそれが、僕のそこを攻めていた。
 解放を求めて、僕の後ろを引き裂こうとする。
 僕の身体はは無意識のうちに腰をくねらせて、それを内壁で締めつけていた。
 銜えるように。放つように。
「痛ッ………は、ぁ、んッ!あぁあ」
 呼吸が弾む。

 産まれる。
 産まれる。
 産まれる?


 ことん、と何かが落ちた。


 僕は震える指で脚の間を探り、それを拾いあげた。
 暗闇のなか、白濁した体液に濡れた輝きを放つそれは。
 ガラスの卵、だった。


 産まれた。


「っ、こんな………こんなモノを」
 声が上擦るのを止められなかった。泣きたい。
 つい先程まで、悦びを感じて震えたこの身体が惨めだった。
 惨めだと感じる自分の思考が、疎ましかった。


 握りこむと濡れた音をたてて指の間を滑る「それ」を、掴みなおして僕は腕を振りあげた。



 パン!




「こんな、モノ………ッ!」
 壊れてしまえ。崩れてしまえ。跡形もなく、粉々になってしまえばいい。
 ガラスは小気味よい破裂音を響かせて、割れた。





「何だ?起きたのか」
 聞き慣れた不遜な声が、奥から近づいてきた。今の物音で気がついたのだろう。
「どうした?」
 からかうような声音とともに、背後から抱きすくめられる。
 僕は振り返らない。
 この男のモラル。無理強いも残酷な悪戯も、いけないことだとは思ってもいないだろう。
 インモラルというモラル。
 この男が僕に埋めこんで。
 たった今僕が産みだした。
 ガラスの殻を破って産まれたもの。


 無惨な残骸が床に散って、元には戻れないことを示していた。
 僕は考えるのを止めた。
 目を閉じて、僕を囲う村雨の腕に身を委ねる。



 瞼の裏に、もうあの言葉は無かった。