ある朝食の風景
ある晴れた日の朝。家主に叩き起こされ寝ぼけまなこで食卓についた村雨祇孔は、思わず我が目を疑った。
艶やかな白磁のディッシュ・ラウンド。
きめ細かく炒られたスクランブルド・エッグに、散らされたパセリの緑が目に眩しい。
鼻孔をくすぐる香りは見るまでもなくコーヒーで、彼が常にブラックを愛飲するにもかかわらず、シュガーポットとミルクピッチャーが並べて据えられていた。
洋食だった。
テーブルはいつもの卓袱台だったが、まごうことなき洋食だった。
けれども、彼はやはり己の目を疑った。
「嘘だろ?」
つぶやいた彼に、先に食卓についた家主が問いかえした。
「何が?」
首をかしげた家主は、ついぞ変わらぬ和装姿。割烹着でこそないものの、白い前掛けに軽くたすきをかけた姿は、どうにも時代錯誤であることは否めない。
「如月、お前これ……」
「この間、洋食が食べたいって言っていただろう」
確かに。
元禄の頃よりつづく由緒正しき骨董品店は、その家屋に至るまで骨董もので、すみからすみまで純和風だ。
当然、そこで出される食事も三食ともに和食である。
それに飽きて、文句をつけたのは二日前のことだったか。
その時如月は、眉間にしわを寄せ「ウチに居着いておいて文句を言うな」と言い放ったのだが。
「……ふゥん?」
村雨は顎をなで、ニヤニヤと笑った。
たまには、こちらの嗜好にあわせてみる気になったわけだ。
「何をニヤついているんだ、気味の悪い。早く食べないと冷めてしまうぞ」
「そうだな。腹も減ったし」
「君は起きるのが遅すぎるんだよ」
「お前ェが早すぎるんだろ。やっぱり昨日の晩、もう一回ヤっとくべきだったか」
「……………黙れ」
冷たい一瞥をくれた如月の、目縁がほんのり紅い様子に内心ほくそ笑み、村雨は食卓に手をのばした。
「こら。いただきますぐらい言ってからにしろ」
「へいへい。いただきます…………って、オイ?」
バターロールをつかんだ手が、宙で止まった。
「如月?」
「うん?」
続いてバターロールを手にした如月を、手で制す。
「バターが無ェ」
「バター?」
不思議そうに聞き返され、村雨は不吉な予感を覚えた。
「バターが必要なのか?バターロールなのに?」
「バターロールなのにって、そういう問題じゃね……」
ふと、食卓に視線を落とし、さらに絶句する。
如月は、ジャムを匙ですくってパンにのせていた。
マーマレード、ブルーベリー、ストロベリー、アップル、ピーナッツクリーム、メープルシロップ。バリエーションは豊かだ。
だが、例外なく甘い。
「……ぐ………ッ」
「バターにバターでは、無駄にカロリーが高いように思うんだが」
「だから、そういう問題じゃ……いや、もういい」
あきらめて、そのまま囓ることにした。のどごしが悪いような気もするが、背に腹はかえられない。
コーヒーでどうにか流しこみ、スクランブルド・エッグに口をつけた村雨は、しかしそこで喉を詰まらせた。
激しく咳きこみ、卵をふきだす。
「村雨!汚いぞ」
「…っ、う…ゴホ……ッ、……めェじゃ……か」
スクランブルド・エッグは空気を含んで軽く、火加減もほどよい絶妙な柔らかさだった。が。
「甘ェじゃねェか……」
「さっきから一体なんなんだ。炒り卵には砂糖なんだから、甘くて当然だろう。そんなに僕の料理が嫌なら、君はもう食べなくてもいい」
気分を害して、如月は柳眉を顰めた。
「んなこと言ってねぇだろ。ただ、卵なら普通は塩だろうが。道理で、茶受けに羊羹ばかり食いたがるわけだぜ」
「羊羹が好きで何が悪い。大体、君こそ何なんだ。僕が作ったものに、片っ端から醤油をかけて。目玉焼きやキャベツの千切りならまだしも、塩焼きにも白和えにも煮物にも、あまつさえ酢の物にまで!」
「かけた方が美味くなるんだから、いいじゃねェか」
「よくない!」
「それに今話してんのは卵の味だろ、卵の」
「だから砂糖だって言っている」
「塩だろ、普通」
「そもそも、その普通っていうのは何処の世界の普通なんだい。僕が世間知らずなのはともかくも、料理のことで君に人を諭せるような常識があるとは思えないね」
完全に機嫌を損ねた如月は、すねた子供のように唇を引き結んで村雨に迫った。
「おいおい、怒るなよ」
「怒ってない」
「怒ってるって」
「怒ってない!しつこいぞ!」
頭一つ分下方から睨みあげる如月の抗議に、洋食は失敗だったと村雨は肩を落とした。
長い押し問答になりそうだった。
「なー、まだやってんのかよ。あいつら」
「当分終わりそうにないけどな。どうする?京一」
骨董品店の上がり框にしゃがみこみ、緋勇タツマはあくびを噛みころした。
「眠い……」
「腹減った。ラーメン食いてぇ」
「先にどっか食べに行ってから、また来ようか」
「この大荷物持ってかよ…」
二人は土間に並べた登山用ザックを見た。パンパンにはちきれそうなリュックサックの中身は、徹夜で戦い続けた旧校舎での戦利品だった。
緋勇は荷物の山から財布を抜き出して、軽く振った。ちゃりん、と小銭が鳴る。
「あ、ダメだ。換金しないと、ラーメン食う金もない」
「あー、もー、大体、なんで村雨が如月ん家で朝メシなんか食べてるんだよ」
京一の言葉は、眠気ですでに呂律があやしくなっていた。
「京一……もしかして、気づいてないワケ?」
「は?」
「いや、いい。黙っとけ、ソレ。とにかく喧嘩がすむまで待つしかないだろ」
「待てねぇって、ラーメン~」
「我慢」
「何でだよ」
「犬も喰わないっていうだろ。我慢しろって」
「わかんねぇよ、ひーちゃん」
「我慢!」
我慢、我慢とつぶやきながら、緋勇は居間の敷居に肘をついて頬を預けた。
奥ではいまだに口論が続いている。
目をやれば表通りはすでに明るく、陽が高く登っていた。
「早く終わんないかなぁ……」
うつらうつらと眠気に負けて、緋勇は半分瞼を閉じた。
今日もよく晴れた一日になりそうだった。