メロディ
思えば陰陽師がパソコンを持つ時代なのだから、結界内で携帯電話のアンテナが通話可能の三本線を立ててたって、不思議は無ェのかもしれねェ。
電波は結界を凌駕する、か?
御門に言わせりゃ違うのかもしれねェが。
「………雨、村雨!お前は人の話を聞いているのですか」
「あぁ?何だって?」
「その結界を外から破るには、時間がかかると言っているのです」
「頼むぜ、早くしてくれよ。瘴気で肺が腐っちまいそうだ」
全くひでェ場所だった。たちこめる呪詛と陰氣で、空気が重く淀んでいる。腐りかけて肉だか皮だか知れねェ塊が、歩くたびに靴底でぬめった。
「結界ごと吹き飛ばしてほしいのなら、そうおっしゃい。ものの三秒で叩き壊してみせますとも。そもそも敵将を追ってとはいえ、そんな所へ飛びこんだお前が悪いのですよ」
「うるせェな。やれると思ったから、やっただけだぜ。実際、始末しただろうが」
「金行の属にある相手で、お前に有利だったのは認めます。しかしそれが、無謀の言い訳になると思ったら大間違いです。大体お前は………」
御門の小言は逐一電波に乗って、俺の耳に届く。
結果オーライぐらい認めて欲しいもんだ。
「こちらの用意が調うまで、しばらくそこで反省でもしているのですね」
「へぇへぇ」
ぱちり、と扇子を閉じた音をひろって、通話は切れた。
後は救援が来るまで、待つしかねェ。
元は死体だろうと思われる、得体の知れねェ物がゴロゴロ転がっている床に、座る気にもなれず俺は立ちつくした。
ここでどれだけの人間が犠牲になったか、そんなことには興味は無ェが、そうまでして造りあげた結界が、あっさり電波を通しちまうのは滑稽な気がした。
正直、俺の上着で着メロが鳴り響いた時には、心底ギョッとしたものだ。
戦闘中でなくて良かったと、つくづく思う。
そんなことにでもなったら、気が抜けること甚だしい。
着メロ。
それで、ふと、昔の事を思いだした。
着信ひとつで戦闘に呼び出されていた、あの頃。
「如月さん、覚悟をきめて下さい」
壬生の奴がいつもの無表情で静かに言うと、如月は目に見えてたじろいだ。
毎度の溜まり場、骨董屋の茶の間でのことだ。
「いや、しかし」
戸惑って身を引く如月に、
「ダメ、絶対ソレつまんない」
先生が手を出して迫る。
「そうッスよ、如月サン」
雨紋が先生に加勢して、二人で如月の両脇を固めた。
「だって、必要ないだろう」
助けを求めるように視線を泳がせた如月に、壬生が首を振った。
「あきらめて下さい。僕はもう入れられました」
「そうだよな」
「そーッス、あとは如月サンだけ」
「……………」
ついに観念したのか、腕をさしだして如月はため息をついた。
手のひらには、携帯電話。
「………着信音なんて、何だっていいじゃないか」
携帯を囲んで、あれこれといじり始めた先生と雨紋を横目にぼやく。確かに俺たちのような種類の人間が、着信音を設定することは滅多に無ェ。『仕事』の間は音を消すのが当たり前だ。
「何でもいいとは言わないほうがいいですよ、如月さん」
「は?」
「僕はそう言って、昭和枯れススキを入れられました」
「俺は軍艦マーチ」
如月はむっつりと不機嫌な顔を俺に向けた。
「お前にはお似合いだ」
「俺はパチンコはやんねェんだがな。おい、先生。コイツの携帯には民謡でも入れてやってくれ」
「OK。じゃあ、炭坑節でもいれるかな。雨紋、楽譜わかるか?」
「全然わかんねぇッスけど、ま、歌がわかりゃ音取りできるし」
「じゃ、歌うか」
月が出た出たー、と歌いはじめた先生を、たまらず如月がさえぎった。
「やめてくれないか、タツマ。頼むから」
「なら、何がいいんだよ。コキリコ節か?」
「いや、それは」
「じゃぁ、ウサギとカメな」
「それ、何の歌スか」
「あ、雨紋知らない?もしもしカメよーカメさんよー、ってアレ」
「タツマ!」
「だーかーら、何がいいんだよ。如月」
「………………」
壬生が微かに肩を揺らした。笑ってやがる。
確かに、こういう世事には疎い如月が、先生に答えられるとは思えねェ。
敵の刃を前にして、眉ひとつ動かさねェ冷徹な如月が、こんな些細な事でうろたえまくっているのは妙に笑えた。
「…………雨紋」
「はい?」
「歌があれば音取りができると言ったな」
生真面目なしかめ顔で、如月は姿勢を改めた。
「タイトルは知らない。僕が歌うから、その通りに入れてくれないか」
言い置いて、誰が何を言う暇も与えず、そのメロディを唇にのせる。
始めは低く、次いで高く。
なめらかに声量を増して、朗々と響く。
珍しいこともあるもんだ。
誰もが呆気にとられて、その歌声に聴き惚れた。
思えば、如月が人前で歌う姿を見たのは、後にも先にもこれきりだった。
懐かしい思いで、手の中の携帯電話を見る。
センチメンタルと言われようが、メモリの中には当時の連中の番号がそのまま残っていた。
トーンに設定したことはなかったが、着信音は先生が入れた軍艦マーチのままだ。
先程俺を驚かせたメロディは、戦闘の衝撃で携帯がイカレちまったせいか。
ヒマだ。
イカレついでに、このままどれかの番号にかけてみようかと思いつく。
先生は、蓬莱寺と一緒に中国に渡っちまったから、かけても無駄だろう。
壬生は職業柄、卒業と同時に携帯を破棄しちまっていて当然だ。
如月は………どうだろう。
アイツの性格なら、持っていれば番号はそのままだ。持っていない可能性も高いが。
ある意味賭けだ。
上手く勝てば、どこかであの歌が鳴り響く。
指で、昔のままの番号をなぞってみた。
ツ!
中継局を渡りつぐ、微かな切換音。
ツ!
プ、ルルルルル!
コールが繋がった、その瞬間。
俺の背後で、あの歌が鳴り響いた。
Dona Nobis Pacem ,pacem..........
それが輪唱で歌うものなのだと知ったのは、チャリティコンサートの会場だった。
薫の護衛でなきゃ、一生縁の無ェ場所だ。実際、その時も警護に神経を張っていて、歌声なんざ聴いちゃいなかった。
その歌が始まるまでは。
「………珍しいね。祇孔が真面目に演奏を聴くなんて」
薫が目ざとく気がついて、笑う。
「ちょっと、な。昔、知り合いが歌ってた曲だったからよ」
「そう。綺麗な歌だけど、ちょっと切ないよね」
「切ない?」
「たったひとつの歌詞を、四つのメロディで歌うでしょう?最初のメロディが終わると、次の人がそのメロディを引き継いで。そうしていつまでも終わらないのは、祈るようで切ないよ」
「そういうものか?」
「その人、祇孔に歌詞の意味を教えてくれた?」
「いや。そいつも、母親が歌うのを聴いて覚えたらしいしな」
「お母さんが………それは、やっぱり切ないと思うよ」
俺は如月の名前を出さなかったが、薫は見透かすように真っ直ぐに俺を見た。
「イタリアの民謡でね、Donaは英語でGive、NobisはUs、Pacemは………」
まさか如月の口から、日本語以外の歌が出るとは思わなかった。
意外な思いで、つい、まじまじと如月の姿を目で追ったのがマズかったのだろう。
くるりと、振り向いて如月が睨む。
「寝ろ」
おそろしく命令形の口調だ。先生達が居る時はまだしも、同じ種類の人間しか居ない時の如月は、愛想も可愛げも無ェ。俺を邪険そうに手を振って、先生の食い散らかした菓子や余分な座布団を手際よく片付けてゆく。
「仮眠場所を貸せといって居残ったのなら、大人しく眠っていればいいだろう」
「眠れねェんだよ。あんまり珍しいモンを見ちまったんで、な」
言わんとすることを察して、如月は微かに顔をしかめた。
寝転んで見上げる俺の枕元に膝を寄せ、のぞきこむ。
「眠れないなら、もう一度歌ってやろうか?あの歌は子守歌なんだ」
目は鋭いまでに真剣なまま、唇だけを薄く引いて笑みをつくった。
このまま斬って捨ててやろうか、というセリフでも違和感の無ェ剣呑な表情だ。
「遠慮するぜ。永眠しちまいそうで、縁起でもねェ」
皮肉って笑うと、如月はあごを引いた。視線をそらして立ち上がる。
「おい?」
いつもなら、ここで痛烈な一言が返ってくるはずなんだが。
「確かに、縁起でもないかもしれないな。この歌を、僕に教えたのは母でね」
襖に手をかけざま、俺をちらりと振りかえる。
「母はその後、長くは生きなかったよ」
言い捨て、如月は部屋を出ていった。
「…………………」
如月の奴に限って、まさかと思いつつ。
今のは弱音だったのだろうかと、俺はその日眠れなかった。
意味を知っていれば、変わるものがあっただろうか。
「…PacemはPeace。Give us peace、邦題は平和を我らに」
薫が切ないと言ったその歌が今、俺の背後で祈りを奏でる。
「………如月、か?」
俺はぎくりと身体を返した。
出来ることなら、振り返りたくはねェ。
振り返って、そこに如月の姿を認めるのは脅威でしかねェし、かといって、振り向いた先に誰もいねェとしたら………だとしたら、この曲は。
「…………」
いない。
それはそうだ。ここに居た生き物は何もかも、俺が殺っちまっている。
背筋を、冷たい汗が滑り落ちた。
音を頼りに、一歩を踏み出す。
あの事件が終結した後、如月とは会ってねェ。噂では店を閉め、家を出ちまったらしい。使命を投げだせるような奴ではないから、いずれ何処かで闘っているのだろうが、拳武を出た壬生の行方を知る者がいねェように、如月の消息を知る奴もいなかった。
携帯電話は、ヘドロに半ば埋もれて音を放っていた。
拾い上げたセレステブルーの筐体が、明滅しながら着信を告げる。
同じメロディが、二つとあるとは思えねェ。
「…………如月の、だな。間違いねェ」
嫌な予感に、知らず動悸が速くなる。
携帯の電池はせいぜい保って二週間。つい最近、俺に先じてここにいた証拠だ。
闘ったのか………俺と仕事が重なるのも、考えてみれば不思議はねェ。案外あっさりとカタがついたのは、先に如月と闘って弱っていたのだとも思える。
だとしたら、戦闘後、敵将を残して如月は何処へいった?
何故、ここに居ない?
それは………考えたくねェ。
急に腐臭が鼻をついて、肺の奥をギリギリと締めあげた。歯を食いしばって、必死に堪える。
転がる死体を底からさらえたい衝動に、携帯を握る手が震えた。
そんな事で確信が得られるワケがねェ。大体、それで確かめられたとして、俺は………俺は、どうするつもりなんだ?
使命を、宿星を、決して否定しなかった如月。
何ひとつ愚痴すらこぼさずに、闘い続けて厭わなかった如月。
如月は今も、闘っている。
誰にも語らず、誰も知らねェ場所で。そう、思いたい。
そうでなければ、俺は、
Dona Nobis Pacem..........
今にして思えば、あれは弱音でも何でも無ェ。
絶対に本心を明かさねェ如月が、唯一ただ一度口にした、
願い、だったのだ。
「如月………」
俺の不安に答える術もなく、携帯電話はあのメロディを奏で続けた。
Dona Nobis Pacem ,pacem
(平和をわれらに)
Dona Nobis Pacem.
(平穏を我らに)
Dona Nobis Pacem ,pacem
(安らぎをわれらに)
Dona Nobis Pacem..........