世界消滅
真夜中に目を覚ます。
絶対的な静けさ。世界が消滅したかのような、孤独。
ひとり。
浅い眠りを妨げられ瞼を薄く開くと、のぞきこむ人影と目があった。
「村雨」
目を覚ました俺に驚き、身を引く影に腕をのばす。
冷たい指先には、覚えがあった。
「……如月?何やってんだよ、お前」
眠さのあまり、俺の声は唸りに近かった。今何時だか知らねェが、夜明けはまだ遠いだろう。ここのところの戦闘続きに、正直身体は参りかけだ。後から後からわいて出る敵勢に、味方はあまりに数が足りない。毎度全滅一歩手前のこの有り様じゃ、あくび一つが命取りになる。
眠い。寝かせろ。
「すまない、起こすつもりはなかったんだ。けれど……」
そこで言葉を飲みこんで、如月は先を続けなかった。
そういえばコイツはそういう奴だった。痛いと言わねェ。つらいと言わねェ。身体を重ねている時ですら、善がり声をあげまいと指を噛んで悶えるような奴だった。
誰にも理解を求めない。常に孤独。
理由を問うことはあきらめて、俺は如月の肩に腕を回した。そのまま同じ布団の中に押しこめる。
抱きよせて横になると、如月は深く息をついた。華奢な身体は氷のように冷えきっていた。
こんなに身体が冷えるまで、何をやってたんだコイツは。体温を分けあい合わせた肌はひどく冷たく、うとうとと微睡みかけていた俺の意識を呼び戻した。何だってこんなに冷てェんだ、まるで…………まるで?
思い出した。
ゾッと身震いした俺に、如月は微かに笑った。
「祖父が失踪してから、僕はずっと独りだった」
俺の腕の中から、そっと身を離す。
「母は亡い。父も消息が不明のまま。真夜中に目を覚ましたりすると、普段は見慣れた家の中が、やけに広くて怖かった。灯りのない闇のなか、僕ひとりを残して世界中の皆が消滅してしまったような静けさが、どうしようもなくいたたまれなくて、次の日には必ず学校へ行ったよ。誰でもいい、まだ人がいるってことを確かめたくて」
馬鹿だろう、と如月はうつむいた。
「独りが怖かった。眠る時に、側に誰もいないのが嫌だった。なのに最後まで、怯えている自分に気がつかなかった。馬鹿だろう?」
さらりと流れた黒髪が、痛々しい白いうなじを露わにする。あの時と同じように。
「………怖かった……独りは嫌だった……」
噛みしめるように、言葉をつないだ如月を俺はもう一度抱きしめた。
冷たい身体。生者の体温ではあり得ない。
ああ、永い眠りのなか、如月は目を覚ましてしまったのだろう。誰もいない闇に怯え、人を求めて俺の元までたどりついたのだ。
凍える死氣に、容赦なく熱を奪われる。歯の根もあわぬほど震えだした俺に、如月は首を振った。
悲しいぐらいに綺麗な笑みを浮かべ、唇をわずかに開く。
「 ・ ・ ・ ・ ・ 」
聞こえねェ。耳の奥で轟々と嵐が鳴っていた。如月の姿が奇妙に歪む。
「聞こえねェよ。如月、きさら………!!」
ひときわ激しい風が吹き荒れ、気づいた時には。
腕の中の、冷たい塊は消えていた。
あの日、死んだのは敵の大勢と味方が一人。
ひでェ乱戦だった。敵は次々と増援し、対する味方は次第に分断されて孤立無援の闘いに陥っていった。
どうにか再集結した頃には、満足に無事と言える味方は一人もいねェ状態だった。
闘ってんだ。殺しあいやってるんだ。都合良く敵だけが死ぬワケがねェ。
頭数が足りねェと、気づいて全員が沈黙した。
探すこと自体は簡単だった。鬼の死骸は時間と共に塵に還る。ぽつりと、背中を丸めてうずくまる影を見つけて、堪えきれずに誰かが嗚咽を漏らした。
不自然に曲げられた頸。
乱れ散る黒髪からのぞくうなじに、無惨な殴打の痕。
涙も出ねェほど、死は厳然とそこにあった。
死に顔を確かめる気には、なれなかった。
「きさら………ぎ……ッ!」
目が、覚めた。自室のベッドの上。毛布をはねのけて起きあがった身体に、冷たい汗が流れた。
「……………は」
夢、か?
真夜中の部屋は暗く、俺の他には誰もいない。いるはずがねェ。
床に転がったデジタル時計が、午前二時を告げていた。
静かだった。
俺の呼吸の音ばかりが、耳につく。
この世に一人取り残されたと、錯覚におちいっちまいそうな、絶対的な静寂。
「……畜生」
防音のきいたマンションの壁を恨む日がくるなんざ、思ってもみねェことだった。俺は立ち上がり、錠を下ろして窓を開け放った。
冬の夜気が、息を白く染める。
眠る深夜の街並みは、だが無音ではなかった。遠くをゆく車のエンジン音。犬の声。様々な気配。
「………ちッ、馬鹿みてェだな」
ちゃんと在るじゃねェか。そうだろ?
世界が消滅しちまったワケじゃねェんだ。消滅しちまったのは、お前の方だ。
この世から、いなくなってしまったのは。
「ホント馬鹿だぜ。馬鹿野郎……」
喉の奥が詰まった。耐えきれずに、涙が零れた。
出会ってほんの、二週間あまり。闘いの場か、その後昂揚した身体を慰めあうことでしか、まだ、互いを知らなかった。
真っ当とは言い難い産まれ育ちと、見りゃ一目瞭然の状況が最初だったな。俺は、あれほど冷徹に刀を振るう奴を、他に知らねェ。
だから、無闇に詮索しあうマネはしなかった。
学校に行く姿なんざ、想像もできなかった。
まして人恋しさになんてのは、考えつきもしねェような奴だった。
「……らしくねェよなぁ……」
泣き笑いで顔の歪んだ自分が、おかしかった。考えつかねェというのは、ある意味ウソだ。俺に身体を預けてきた時点で、察するものはあったはずだ。ただ、確信するだけの時間がなかった、それだけだ。
そしてこれから先にも無い。これ以上、如月という人間を理解するということは。
死は、あらゆる可能性を消滅させる。
「………如月………」
まったくガラでもねェが、明朝、俺は学校に行くだろう。
世界はまだあると、確かめるだろう。
俺と如月の間に無限にあるはずだった可能性の。
それが最後のひとつと知りながら。