ポラロイド
瞬間、鳴り響いたクラッカーに、彼は非常に驚いたようだった。
可哀想に、無理もない。
なにしろ彼は、常ならぬ事態に備えるのが商売で、こんな破裂音を間近にあびては、とっさに構えをとらずにはいられない身上だ。
「ハッピーバースディトゥユー!!」
誕生日おめでとう、と手をたたいて皆は笑い転げた。
少々できあがってしまっているのは、この際、仕方がないだろう。遅れてきた彼が悪いのだ。飲み会は、とうの昔に始まってしまっている。
戸口に立ちつくしたまま、テンションの高い面々をげんなりと見渡し、
「なんなんだ、こりゃぁ」
と、村雨祇孔はつぶやいた。
鳩が豆鉄砲を食らったような、困惑した表情。
事情を知っている僕は、笑いを噛みころすのに必死だった。
7月7日。今日は村雨の誕生日ではない。
「やれやれだぜ。ガキの集まりじゃあねェってのに、どいつもコイツも変わらねェな」
賑々しいお出迎えに、相当に呆れかえったのだろう。村雨は、ぼやきながら席についた。
「そういう君は、見た目の通りに中身も老けたようだね」
僕は笑って、彼のために椅子を引いた。
新宿の路地の奥に、のれんを下げた小さな居酒屋。お座敷席が二つにカウンター席が十席の狭い店内を貸し切って、見知った顔がひしめいていた。
あれから一体、何年が過ぎたことか。
共に闘った仲間たちが、こうして集まるのは実に久々のことだった。
村雨は眉を上げて僕を見た。
「如月。飲んでるのか、お前」
「飲んでるよ。飲んでいてはいけないのかい?」
「いいや、悪くはねェが。その毒舌も久しぶりだな。お、こっちにも生中ひとつ頼むぜ」
オーダーを横目に、僕は手酌で銚子を空けた。出来るだけ素っ気なく、会話を繋ぐ。
「懐かしいだろう?」
村雨はビールのジョッキを受けとって、片頬で笑った。
「まったくだな。一年ぶりか?」
「長らくご無沙汰だったから、てっきり何処かで野垂れ死んでるものだと思っていたよ」
「へッ、たまに寄っても店は閉めたままだしよ。お前こそ、どこで滅殺三昧してたんだよ」
「…………」
「………………」
僕らは互いに押し黙った。
すれ違いも、一年続けば立派なものだ。それなのに、こんな席では簡単に会えてしまうのだから、馬鹿馬鹿しさも極めつけだった。
「二人とも、なに殺伐とした話してんのさ」
「タツマ」
振り向いた僕らに、彼はおどけた仕草で肩をすくめた。
「今日は辛気くさい話はナシ。なんてったって、今日は村雨と雨紋とミサちゃんと諸羽の誕生日おめでとう会だから、ね」
7月生まれの仲間の名前が、スラスラと挙げられる。
お誕生日会という可愛らしい単語に、村雨がカウンターから肘を落とした。
「お誕生日会って、オイ………」
「それでもまだ、眉間にシワ寄せたいってんなら、衝撃のスクープ写真をご進呈」
片目をつむって、タツマは写真を差し出した。
「ポラロイド?」
「そ。高校の友達に写真やってる子がいてさ。ちょっと借りてきたんだ」
「ああ、新聞部の彼女か」
インスタントフィルムの四角い枠のなか。黄色い蛍光灯の明かりに、じわりと印画が浮かび上がる。
僕は吹きだした。
「ぷっ。タツマ、これ」
身構えた村雨。頭上に落ちる寸前の紙吹雪。
先程の、クラッカーを鳴らした瞬間の光景だった。
可笑しい。
構えた村雨の姿が目つきも鋭く真剣なだけに、どうしようもなく間が抜けている。
「あはははは、上手く撮れてるだろ」
「先生、アンタな……」
拳を固める村雨に、タツマは一歩後ずさった。
「如月、それあげる。それをネタに強請るなり、会えない時にはオトメっぽく眺めて偲んじゃったり、好きにしていいからな」
言いながら、どんどん退いていく。
「ありがとう。大切にするよ」
「そりゃどういう意味だよ。………チッ。おい、如月。笑ってねェで寄こせ」
「嫌だと言ったら?」
村雨は獰猛に唸った。僕はその鼻先に、軽く指を突きつけた。
「君が悪い」
「あん?」
「タツマに誕生日を聞かれて、いいかげんな数字を答えただろう。7月7日なんて、誰でも覚えられるような日付を答えるものじゃないよ」
む、と眉を寄せて村雨は考えこんだ。
「そんな数字、俺は言った覚えはねェんだがな……」
「言ったんだろう?僕が聞いても、はぐらかすくせに」
タツマには、まがりなりにも答えたわけだ。何となくおもしろくない。蒟蒻の白和えをつまみ、冷酒で流しこむ。
「聞けばちゃんと教えるぜ、お前には」
「嘘をつけ」
相変わらず、言葉だけは調子の良い男だ。
「ウソって言われてもな。お前、今まで俺に聞かなかっただろうが」
呪術に関わる者にとって、出生時の星の配置は重要な意味を持つ。ましてや星見の一門に名を連ねるならば、プロフィールの管理は戦略の内だ。僕が尋ねたところで、正しい答えが返るはずもない。
ほんの、ひととき、交わっただけの、僕になど。
村雨は顔をしかめた。気に入らない、というように鼻を鳴らす。
「…………如月。ちょっと耳を貸せ」
肩を寄せ、村雨は僕の耳に手をあてた。
耳朶にかかる熱い息。
ひと連なりの数字が、そっと、耳の奥に吹きこまれた。
「う……そ、」
嘘だ、と決めつけるのは簡単だった。
なのに、心臓が跳ね上がる。猪口を持つ手が震える。
どうしよう。嬉しい。
僕はまだ村雨を、こんなにも……………………………………………好きだ。
「ウソじゃねェぜ?」
村雨は低く笑って僕の耳をやさしく甘く、噛んだ。
「ッ!」
……この男は!
「うわ!おい、止めろ。冗談だって!」
まったくもって性質が悪い。
何が冗談だ。どれが冗談だ。本当に、頭にくる。
身をひるがえした村雨の椅子に、僕が放った爪楊枝が突き刺さる。
それを払って、村雨はひゅう、と息を吐いた。
「如月。お前、本気だな?」
ああ、本気だとも。誰が伊達や酔狂で、男なんぞに惚れるものか。馬鹿馬鹿しい。
得物を求めて振り返った僕は、手近なビール瓶をひったくった。
「うわ!ちょ、何するんスか如月サン!」
「何なに?どうしたの?」
「いいぞ、やっちゃえー!」
酔いにコントロールを忘れて、怒りのままに栓が弾け飛ぶ。
パン!
村雨はさっと人影に身を隠した。
「ぎゃー!何すんねん、村雨はんー!!」
「HAHAHA!楽シーネ!」
「お前ら!ケンカすんなら外に行けー!!」
その後、無礼講を通りこして阿鼻叫喚の大騒ぎになってしまったのは、僕の所為ではない。断じて。
人を愛することは、決して幸福なことではない。
独善、偏愛。ぶつけあえば壊れてゆき、相手を慮りあえば遠ざかり、いずれは消滅してしまう。
僕と村雨は、そのどちらなのだろう。
夏に特有の、湿り気をふくんだ生ぬるい夜風が頬をなでた。
右に左に、一歩を踏み出すたびに視界が揺れる。
「おい、真っ直ぐ歩けよ。若旦那」
村雨が呆れた声で言うので、僕は笑った。
歩いてるよ。もちろん、真っ直ぐに。
「しょうがねェな」
そう言って僕の腕をとった村雨の足取りは、僕よりもいくぶん確かだ。
遅れてきた村雨に、僕より多くのアルコールを摂取する暇などあろうはずもないし、仕事を思って控えたのかもしれない。いずれにせよ、おかげで僕は珍しく酔うことができた。無防備に、何も考えずに。村雨に身体を預けて、今、この時だけを思うことができる。
「おっと、危ねェ。しっかりしろよ。家まであと少しだからよ」
「………ん……」
子供をあやすように、村雨は僕を半ば抱き上げた。僕の胸のポケットで、写真がくしゃりと音をたてた。
「……村雨」
「何だ」
「この写真、もらってもいいかな」
「ん?ああ、先生のポラロイドか。いいぜ」
村雨は軽くうなずいた。
「お前が、それでいいならな」
村雨にも、わかっていたのだろうか。
何もかもがギリギリだった、あの頃。その状況が作り出した刹那的な関係だった。それでも、続くはずのない関係が数年にわたって続いたのは、それなりに互いを思う気持ちがあったのだと思いたい。
一緒に過ごすほどには強く、けれど会えない理由を真っ直ぐに問えるほどではなく。
結局、僕は会えない間に村雨が何をしていたのかを知らないままだ。村雨は僕に出生の日時を告げたけれど、それ以上は語らなかった。
知りたい、と思う。もっとたくさん、確かに、この男は僕のものだと言える証が欲しかった。
強く醜い衝動が、喉元までこみあげてきて、僕は固く唇を引き結んだ。
足を止めた僕に、村雨がふり返る。
「どうした?」
「村雨」
名を呼んでみて、少しためらい。
「……………………何でもない」
僕は、首をふった。
この醜い僕のエゴを、愛情と呼べるかも定かではない独占欲を、村雨に告げてしまえば、この関係は終わるだろう。だからといって、このままでは、いずれ自然消滅してしまうのは目に見えている。
別れ話をするなら、今だ。
そう、思ったのだ。なのに、それを言いたくはなくて。
立ちつくした僕に、村雨は大きく息をついた。
「お前な。そういう目で俺を見るなよ」
「え?」
「…………わかってねェんならいい」
視線をはずして呟いた村雨は、僕の膝裏に腕を入れて、僕を横抱きにかかえあげた。
「村雨!」
僕は、そこまで酔っぱらったつもりはない。抗議の声を上げた僕に
「悪ィ」
村雨は、強い力で僕を抱きしめた。さり、と頬を擦る村雨の無精髭。痛い。
「俺がいない方が、お前には生き易いんだろうとわかっちゃいるけど、な………我慢ができねェんだ」
何が、と問いかけようとした唇を、唇で塞がれた。貪るように激しく、息を奪われる。
すまねェ、と村雨は言った。
何を謝りたいのか、僕にはわからなかった。だから返事をしなかった。
僕を抱く村雨の腕を、強く掴んで返事をしなかった。
何も言いたくはなかった。
何も考えたくなかった。
村雨の胸に顔を埋めて、ただ、心臓の音が近いと耳を澄ませていた。
ポラロイド。いつかは青く静かに色褪せてゆくもの。
けれど今はまだ、こんなにも鮮やかに胸に宿る。
この先、僕らがどうなってゆくのか。未来のことなどわかりはしない。
それでも、僕は。
この恋を、一生忘れないだろう。