再生Blood pain killer annex
――――― おそろしく重い。
そう考えて、緋勇タツマは目を覚ました。
夏休みの怪談で、金縛りにあって目を開けると霊が身体の上で正座していただとかいう、ああいう感じで腹の上が痺れるように重いのだ。
「う………」
身を起こそうとして、おかしな風に喉から息が抜けた。腹部が圧迫されて、呼気がしぼりだされる。空気を抜かれた風船の気分だった。
しかして、その重みの正体はと言えば。
「きょ……いち……ィ」
すーすーと気持ちよさげに寝息をたてて、見慣れた赤毛がおのれの腹の上に転がっていた。
言語同断。
断固と歯切れのよい四文字熟語が緋勇の脳裏にひらめいた。何が言語道断かといえば人の腹を枕にするのが許せぬ暴挙であるわけで、おまけに圧迫による血行不良で怪談もどきのなんちゃって金縛りを体験しそうになったのだから、確かに言語は同断であるわけなのだ。
理由が後からついてくるあたり、寝起きの彼の頭脳は非常に明晰とはいいがたかった。
「うらー、起き……ろ、きょーいちー」
マウントポジションでもないはずなのに、何故だか身体が動かなかった。もぞもぞと、ひっくり返った亀のごとくもがいてみる。
「ん………うーん………!ひーちゃん!」
いささか唐突に、腹の上の相棒は目を覚ました。
「目が覚めたのか!」
がば!と身を起こし、感動の面持ちの京一に緋勇はボソリとつぶやいた。
「………目をさましたのは、お前だ……っての」
緋勇タツマという人間は、とかく孤絶した男だった。
感情の起伏が少ない、人をくった話し方。
思考の道筋がまったく読めない、飛躍した発想。
決して人当たりの悪い男ではないのだが、何を考えているのか誰にもわからないという点において、彼は相互理解のコミュニケーションから孤絶した、孤高の男だった。
むろん、それがミステリアスで魅力的であるだとか、次に何をやらかすかわからなくて最高だとか、心配で放っておけないだとか、好意的に見る向きもあるわけで、おかげで彼には仲間と呼べる友人達が少なからず存在した。
だが、しかし。
「もーちょっとなぁ、感動とかしたってバチは当たんねぇんじゃねぇ?」
仲間のなかでも最も親しい相棒は、仏頂面で腕を組んだ。
白い壁、アイボリーのリノリウム床。簡素なパイプベッドの脇には、点滴を吊すらしき背の高いキャスター。病院の一室であることは、一目でわかる。
なんとなく枕にされた理由を察しながらも、緋勇はあえてスッとぼけた。
「何でだよ。目が覚めて人の腹の上で寝てるヤツ見つけて、感動するか。普通」
「しねぇケド。……じゃなくって」
京一は拳を握った。
「生きるか死ぬかの大手術だったんだぜ。覚えてねぇのかよ、って意識失ってたしな。ひーちゃん」
「ああ」
緋勇はポン、と手を打った。
「通りすがりの赤ベコに斬られて」
「赤ベコ?」
「なんか赤くて派手な服着てたし、そんなカンジだったんだよ」
異空間で緋勇を斬った犯人を、目撃した仲間はいない。緋勇のよくわからない説明に、京一は張り子で首がブラブラ動く血塗れた剣をひっさげた牛魔王コスプレ赤ベコ仕様を思い浮かべた。そんな変態に、親友が斬られたとはあまり思いたくない。
「で、血がしぶいたとこまでは覚えてる。あれは結構、死にそうなイキオイだったよな」
「他人事みてぇに言うなよ。大変だったんだからな。血が足りねぇって真夜中に片っぱしから電話かけまくったしよ」
あ、そうだ。と、京一は身をのりだして緋勇をにらんだ。
「ひーちゃん、お前な。O型のナントカっつーややこしい血液型なんだったら、先に言っとけよな。検査したらそうだったって、大騒ぎだったんだぜ」
舞子が言ってたんだけどな、と騒ぎの内容を伝えようとした京一は、首をひねって唸った後、説明を断念した。
大方、赤十字だの血液センターだの、字数制限のある京一の頭では覚えきれない組織と仕組みを説明されたのだろう。
「何つうの?ぜんけつ、は少ねーってのをあのカイブツ…じゃねぇ、院長がかきあつめてきたらしいぜ。それでも足りないかもしれねってんで、思いつく限りの知り合いを当たってみろって言われてよ」
「……へぇ、そこまで重傷だったんだ。オレ」
感慨深げに言って、緋勇は目の前に自分の腕をかざした。
小さくガーゼを当てられた、針の跡。
道理で身体がだるいはずだった。輸血が必要なほど、自分の身体からは大量の血液が失われ、今、この身体には見ず知らずの他人の血液が流れている。
妙な気分だった。
物心つくより以前に両親を失い、天涯孤独で生きてきた。血のつながりのある他人など、望むだけ無駄だった。
それが今は。
何処の誰かは知らないが、確かに自分と他人が血でつながっている。
「なんか、すげー………」
「何が?」
「オレん中に、他人の血が入ってんだよ。感動だろ」
「……いいけどな、御門ん家のナントカさんの血も入ってるぜ、ソレ」
「うえ?ウソだろ」
「ホントホント。一万人に一人だかなんだか知らねぇけど、大当たり。朝っぱらの五時にここまで来てもらって、輸血」
一万分の一というのは大袈裟にすぎるが、それほど高くはない確率の血液型の人間が、これほど間近にいたというのは驚きだった。
単純に、御門家の構成員にA・B・O・AB型の血液型が均等に分布していたとしてビンゴがたった一人なら、実際の確率が二千分の三であることを考えて、最低でもO型は六百六十七人必要になる。4倍すると、二千六百六十八人。転校前に暮らしていた田舎町でなら、一世帯に一人、御門家のエージェントがいる計算になる。
一家に一台、陰陽師。
真神の数学教師が泣いて世をはかなみそうな、とてつもなく間違った確率計算を済ませた緋勇タツマは呟いた。
「陰陽師って、郵便ポスト並みに日本に分布してるのかもな」
はた目に突拍子もないセリフにも動じず、京一は受け流した。
「じゃあ、今度ポストがあったらちゃんと礼言っとけよ。ひーちゃん」
とにかく、と京一は立ち上がって布団をポンと叩いた。
「少し寝てろよ。俺、舞子に知らせてくるわ。他の連中も、今ガッコだろうけど連絡しとく。へへ、みんな喜ぶぜ」
照れくさそうにドアへと顔を向けた京一の、目尻に一瞬、光るものを認めて緋勇は驚いた。
もじもじと布団の端をつまみながら、告げる。
「あの、さ………ありがとうな。京一」
「おう」
に、と笑って出てゆく相棒を見送り、緋勇は枕に頭を預けた。
腕を伸ばし、窓からもれる陽の光に手のひらをかざす。
「宿星の仲間だけじゃないんだ…………この世の、どこかに」
淡い冬の日射しに、手の輪郭が紅く透ける。見も知らぬ他人の血の色。
「絶対、守る。黄龍は渡せない、よな」
熱っぽい身体を奮いたたせて拳を固め、緋勇は瞼を閉じた。