意味深な自己紹介



 はじめまして、と言う。
 どうぞよろしく、と返す。
 名前は、年齢は、出身は、その他エトセトラ。
 自己紹介ってのは、自分を知って欲しくてするものだ。
 間違っても、煙に巻くためじゃねェ。


 数日後、俺は再び真神学園の旧校舎にいた。
 正確には旧校舎の地下へと続く、教室の床にあいた穴の中、だ。
「村雨、如月とは今日が初めてだよな?」
 緋勇タツマが世話をやく声は、俺の耳を素通りした。
 目が釘づけになるとは、この事だ。
 黒い髪、黒い瞳。表情に乏しい薄い唇。強烈な第一印象。
 俺をストレートでブン殴ったあの男が、目の前に立っていた。
「如月は北区で骨董品店をやってるんだ。武器の調達とかいろいろ世話になってる。如月、こっちは最近仲間になった村雨」
「………どうも」
 他に言葉が出やしねェ。だが、相手の反応は予想外だった。
 ふ、と口元がほころんで、柔らかな笑みがこぼれる。
「如月翡翠だ。よろしく」
 差し出された手を握り、俺は背筋が凍りついた。
 ……目が笑ってねェ。
 おそらく、角度を計算しての表情だろう。にこやかな顔面の、瞳の奥だけが針のように冷たい殺気を宿している。
 俺に向けた、ピンポイントの威圧。隣の緋勇は気づいていない。
 おかげで、喉元まで出かかった疑問は、口に出せず終いだった。
「さて、と。村雨は旧校舎の探索に参加するのは初めてだし、一応いっとく。単独行動は絶対!禁止な。たまに変わったものが見つかることあるけど、それは俺が一括管理。後で換金して、均等に分けるから」
「へいへい」
「如月も、わかってるよな」
「もちろん」
 心外と言わんばかりに頷いた、その瞳からは綺麗に表情が消えていた。さりげなく、目線が流れて俺に止まる。
 ……なるほどな。殺気の理由は口止めか。
「じゃ、そろそろ始めるか。おーい、きょーいちー!小蒔ー!行こーぜー」
 旧校舎の地下へと降りる緋勇の背を追って、他の連中も動き出す。
 俺は肩をすくめて、その後に従った。
 骨董品店、ねェ。
 釈然としない思いで、先を行く骨董屋の背中を追う。
 ……変態肉屋と紹介された方が、まだしも納得できるってもんなんだが。


 新宿・歌舞伎町での初戦の後、緋勇タツマは俺に言った。
「人間以外とも闘ったことあるだろ?」
 まったく、その通りだった。占者を狙う連中は、その種類からして千差万別だ。
 こちらの能力を頭っからインチキと決めつけて、チンピラだの工作員だのを送り込む者。
 敵対するご同業から、人外に堕ちちまった連中まで。
 そもそも、芙蓉と肩を並べて闘っている以上、見た目を信じるほどお気楽にはなれねェ。
 俺が沈黙で肯定すると、緋勇は何故か嬉しそうにニヤリと笑った。


「赤短・舞炎ッ!」
「猪鹿蝶・紫雷!」
「絶場・素十九!」
 立て続けに異形の輩が吹っ飛ぶ。
 一時間後、俺は肩で息をしていた。
 どうなってんだ、この洞窟は。ワンフロア降るごとに、怪物がわらわらと寄ってくる。始めのうちはザコばかりだったが、三十階を過ぎたあたりから、いやに手強い奴が増えてきた。おまけに数がハンパじゃねェ。
 足元に転がった異形の腕が、溶岩に突っこんで灼け落ちた。
 吸いこむ空気に、ムッと重い臭いが混じる。
 まったく、冗談みてェな光景だった。東京のド真ん中で、煮えたぎるマグマを拝むなんざ、誰が想像するってんだ。
 周囲の敵を蹴散らして、見渡せば戦闘は終了しつつあった。
「お、村雨。そっち終わり?」
 めざとく緋勇が振り向いて、異形の顔面に拳を叩きこんだ。
 ドン!と間の抜けた大気の振動が響く。直後、鬼の頭部は風船のように破裂した。
「うーん、結構いいね。コレ」
 緋勇が拳をかかげて見せた相手は、例の骨董屋だった。
「だから言っただろう。十六万円って」
 あきれたように言う、その額に汗の玉が浮いていた。さしもの人外疑惑も、ここの地熱は暑いらしい。
 緋勇タツマが拳にまとうのは、以前に骨董屋が俺を殴った手甲だった。
 ……確かに。
 あの時俺を殴ったのが、アレを手にした先生だったら命は無ェな。
「だいたい君は、いちいち価格に……ッ!」
 舌打ちと同時に、骨董屋が身をひるがえす。白刃が閃いて、絶叫があがった。
「…滅殺……ッ」
 低い呟きとともに、とす、と音をたてて異形の首が落ちる。
 人のことを言えた義理じゃあねェが、緋勇とその仲間たちの戦闘力は物理的にデタラメだ。どんなに切れ味鋭い刀でも、腕力に自信があっても、こんな風に生物の頭部を破壊するには限界がある。
 明らかに、常識を超えた《力》が為せる技。
 緋勇タツマの周囲に集う連中が全員こんな《力》の持ち主なら、旧校舎をうろつくなという骨董屋の忠告も、あながち間違いとは言えないだろう。
「ふー、ここ暑いなあ。どう?村雨、バテてない?」
「ヘッ、確かに暑いがな。まあ、倒れる程でもねェよ」
 だが実際、息が上がっちまっているのは事実だった。情けねェことに、俺以外に息を乱しているヤツはいなかった。これでも体力にゃ、自信があったんだが。
「はは。でも今日はそろそろギブアップかな。もう、こんな時間だし。休憩入れて引き上げようか。如月、水」
「高いよ」
 間髪いれず返答した骨董屋に、一杯いくらの値切り交渉が始まった。二人で額を寄せあって、しばらくゴソゴソ言い合っていたが、やがて話がまとまったのか骨董屋は他の連中へと歩き出した。
 緋勇が俺の側に腰を下ろす。
「村雨、ちょっといいかな」
「何だ、先生」
「今日倒した奴らのなかに、知ってる異形っていたか?」
「いや」
「…そっか」
 緋勇は落胆するそぶりを見せなかった。だが、期待に添う返事ではなかったのだろう。その程度は読める。
「悪かったな」
「何が?」
 軽く鼻にしわを寄せて、緋勇は笑った。
「オレは、ここに出る異形のほとんどを知ってるよ。地上で闘ったことがある」
「地上で?ここから外に出ちまったってことか」
「でも、おかしいだろ。学校の敷地内なのに、旧校舎の外で被害にあった生徒はいないんだ。学校の敷地を飛びこえて、出るのは街のなか。それも何故か……」
「アンタの関わる事件には出てくる、か」
「因果関係があるのかは謎だね」
 緋勇はそう言うが、疑惑は深まったに違いない。新宿の出会いで、旧校舎の存在をほのめかしたのは、俺に首実検をさせる腹づもりだったのか。
「とりあえず、探索と修行をかねて最下層を目指してるんだけど、何処までいっても次の階があるんだよな、これが。村雨も、時間があえば手伝ってくれると助かる」
「気がむけば、な」
 せいぜい強がってみせたものの、戦力の差は問題だった。このままじゃあ、足を引っ張るのが関の山だ。当分は、夜中にでも一人でこっそり鍛錬するしかねェか。
 まるで、ひと昔前のスポ根だ。
 御門にバレたら何言われるかわかりゃしねェ……。
「村雨、水」
 緋勇の声に顔を上げれば、骨董屋が俺をのぞきこんでいた。
 目が合うと、無言で空のペットボトルを渡される。
「?」
 何だ、こりゃ。
「ま、見てなよ」
 手の中でペットボトルの内側が、白く曇った。曇りはやがて結露になり、滴が底へと流れだす。みるまに、ボトルは冷たい水で満たされた。
「こいつは………アンタがやったのか」
「……そう」
 骨董屋は素っ気なくうなずいた。
「へぇ……すまねェな。助かるぜ」
「礼ならタツマに。僕はちゃんと対価を支払ってもらってる」
 同じく、骨董屋から水を受け取った緋勇は、ボトルに口をつけて苦笑した。
「そういうトコ、如月はキッチリしてるんだよな。村雨も、気をつけたほうがいいよ」
「どういう意味だい、タツマ」
「さあねぇ」
「タツマくーん!京一がアイテム見つけたよッ、来てー」
「おーっ、今行くー!」
「タツマ!」
 じゃ、と手を上げて緋勇は去っていった。残されたのは、俺と骨董屋。
 超弩級に気まずい。
「なあ、アンタ……」
「何?」
「結局、何の商売してるんだ?」
「……骨董品店だよ。話を聞いていなかったのか」
「それなら何か?あン時、アンタが持ってたブツは、骨董屋の仕入れなのかよ」
「…………」
 骨董屋は答えなかった。図星か。
「あの場は貸し借り無しだが、先生に黙ってるんなら高くつくぜ?」
「……………………」
 薄い唇が、微かにゆがむ。
「……要求は何だい」
 刺すように睨みつける、その視線にゾクゾクした。
「たいした事じゃねェさ。アンタ、麻雀できるか?」
「……は?」
 不審もあらわな骨董屋に、俺は笑いを噛み殺した。
 面白ェことに、なるかもしれねェ。


 この時、俺は気づいてなかった。
 錯綜するプロフィールの、最も単純な情報こそが意味深であることを。
 如月翡翠という名前。
 ようやく心当たるのは、迂闊なことに罠にはまった後だった。