クレヨン





 依頼人が残していった12色のクレヨンが、なにゆえにアフガンハウンドの食欲を誘ったのかは、定かではない。
 けれど調査の詳細を聞き取る間、ソファに寝そべりあくびばかりをしていた彼は、依頼人が帰るなり興味津々でその紙箱に鼻先をつっこんだのだった。
 フンフンと臭いをかぎ、頭をふって箱を転がし、ばらばらに箱からこぼれたクレヨンを前足でつついた。
 そうしておもむろに、彼はクレヨンにかじりついた。
「エリオット!」
 がふ!
 アフガンハウンドは珍妙なくしゃみをして、飛びあがった。
「……うう、マズイ。なんでストロベリーの味じゃないのサ。まったくサギだヨ」
 がふ、がふ、と涙を浮かべてせきこんで、クレヨンを吐きだす。
 ぽっきり折れた、赤いクレヨン。
 私は呆れて、ため息をついた。
 彼の名はエリオット・ネス。このオハイオの街に唯一のアフガンハウンド犬にして、私の探偵助手、そしてこの事務所の大家でもある。
 アフガンハウンドが家主であることを、驚いてはいけない。この街には奇妙な住人が、しごく当たり前に多いのだ。
「詐欺といわれてもね。だいたい、どうして食べてみようなんて気になったんだい」
「オイシそうな匂いがしたからサー。ああ、マズイ。しっぽがしなびちゃうヨ」
 丸めた尻尾を後ろ足にはさんだ、世にも情けない格好でエリオットは嘆いた。
 なんて鼻のきかない探偵助手。
 私はタイプライターを打つ手を止めて、アフガンハウンドを手招いた。
「口を開けてごらん」
「うン」
 素直にあんぐり口を開けたエリオットの犬歯に、べっとり赤い色が付いていた。その上、長くよじれた紙のこよりが引っかかっている。
 それを丁寧に取り除いた私は、エリオットに尋ねた。
「どんな匂いだった?」
「甘い匂いサ。蜂蜜の味」
「さっきはストロベリーって言わなかったかい?」
「決まってるヨ。赤くて甘いものはイチゴなのサ。黄色くて酸っぱい味ならレモンなんだ。紫はグレープ、ピンクはピーチ」
「緑は?」
「ウォーターメロン」
「茶色は?」
「それは、モチろん」
「「コーヒー!!」」
 アフガンハウンドが得意気に鼻先を天井に向けたので、私もそれにならって唱和した。
「ふむ、意見も一致したことだし。それでは、すこし休憩にしようか」
「口直しには、最高だネ」
 うれしそうに尻尾をふるエリオット。あいもかわらず現金な探偵助手だ。鼻は利かないのに、舌ばかりが利くのだから。
 キッチンの湯沸かしの下で、はやくはやくと珈琲をねだるエリオットに、私は休憩が終わったら、早速、書かなければいけない依頼人への報告書のことを考えた。

 お探しの蜜蝋燭の手紙は、赤いクレヨンの中にありましたよ、と。


[蜜蝋燭の手紙]
精霊を封じた蜜蝋燭の心材に手紙を用いる通信方法。蝋が気化し燃焼する際、解き放たれた精霊が心材に書かれた文字を音読する。この時、上下を誤って火をつけるとレコードを逆回転するが如く、言語の体を為さないため、上下の別を示す巻き紙を付けるのが一般的である。蜜蝋に華やかな色合いを添えるためオイルパステルを加える例が多く、自然、姿形がクレヨンに類似する。そのため、クレヨンに火を点け、蜜蝋燭で絵を描く事故がしばしば起こり得る。混乱甚だしく、画家に贈るはタブーとされる。