ベンディングマシーン
灼けたアスファルトを舐めるように低く、熱気が揺らいでいた。
遠くセミの声。
傾いたパラソル。車で埋めつくされた駐車場の白いライン。海水浴場。
人気のない一角に、その自動販売機はポツリと立っていた。
賑わう浜辺からは、ずいぶん距離がある。
にもかかわらず、俺の前には先客がいた。
「あちー、ホントやってらんないって」
落ち着きなく夏の天気に文句をつけながら、硬貨を投入している若い男。
チャリン。
チャリン。
チャリン。
チャリン。
チャリン。
チャリン。
チャリン。
茹だる夏の陽射しにうんざりとうなだれて男の背後に立った俺は、眉をひそめた。
次々に落ちてゆく硬貨の、小気味よい連続音。
だが。
………どうも数が多過ぎる。
チャリン。
チャリン。
一体、コイツは何をやっているのか。苛立ってのぞきこんだ俺は、男が手にした可愛らしい小さなガマ口の財布の中に、ぎっちり詰まった十円玉を目撃した。
チャリン。
チャリン。
チャリン。
缶ジュースの支払いを、男はすべて十円硬貨で済ますつもりらしい。
こいつはバカだ。
呆れて俺は踵を返しかけた。が、他に自販機のある場所など知らない。こんな面倒につきあうくらいなら帰ったほうがマシだが、今、喉が乾いているのは俺ではなく恵里なのだ。
その時、男は妙な言葉をつぶやいた。
「ファイナルベント~、なんちて」
チャリン。
ガコン。
音高く落下したコカコーラの缶を取りあげて、男は初めてこちらを向いた。
「あ」
目が、あった。
強烈なデジャヴュを体感した。
「あ、すんません」
男は気まずそうに、頭をかいた。年の頃は俺とそう変わらない、若い男。長めの茶髪が寝癖のように跳ねている。照れたような表情の、その内心を語るなら「うわ、俺ってバカ?」なのだろう。
何故か、それが手に取るようにわかる。
どうしてだろう。目頭が熱くて仕方がなかった。
病から解き放たれ、幸せに暮らす人の笑顔を見たような。
苦しい旅路の果て、終着の地を目の前に眠るように力尽きた男を見たような。
そんな感慨が、全身を震わせていた。
ああ、そうだ。
あいつはずっと苦しんでいた。
否応なしに引き込まれた鏡の世界で、何一つ己の理由を持たず。
状況に振り回され、傷を負い。
脳天気な笑顔の裏で、常に懊悩していたことを、俺は知っている。
求めるべきものを求め、ようやく探しあてたその時に、死を迎えたことも。
知っている。
「あの、アンタ……」
沈黙する俺に、男はとまどった声をあげた。
俺は短く息を詰め、顎で男を追い払った。
少しムッとした顔で半歩下がった男。男を、駐車場から呼ぶ声。
「城戸クーン!ちょっと何やってるの。次の取材押してるわよ」
「あ、はーいはいはい!今行きます!」
男は俺をチラリと見て、走っていった。
後に残された俺は、大きく息を吐いて財布をとりだした。
ゆっくりと、一枚ずつ硬貨を投げ入れる。
ベンディングマシーン。
どの街角にもありふれたこの機械を、俺は生涯恨むだろう。
あり得なかった過去を連想させる、唯一の装置として。
金額が満ちてランプが灯ったボタンを、拳で殴りつけた。
ガコン。
音高く落下したコカコーラの缶を掴みだし、その場でプルタブを起こす。
もう一本を恵里のために買い、飲みながら歩いた。
ひどく喉が乾く出来事だった。