シュレディンガー
シュレディンガーの猫、という寓話がある。
いや、寓話ではなく量子力学の思考実験の話なのだが、そんなことには関係なく人間は生きてゆけるのだから、学者ではない一般の人間には寓話で充分だろう。
箱の中の青酸ガスと一匹の猫。
さて、猫は生きているのか、死んでいるのか。
猫の生死をめぐる論議のひとつに、生きていると同時に死んでいる、という解釈があると説明した時、三番機のパイロットはこう言った。
「屁理屈だ」
素っ気なくひと言で済ませると、昼食のトレイの上を片づけることに専念する。
まぁ、確かに屁理屈だ。
話の表面だけをなぞるなら、撃墜されて落ちてゆく機体の中のパイロットが、ある一瞬においては生きていると同時に死んでいる状態だ、と言われているようなものだ。前線に出る戦闘機乗りが、それで感銘を受けるはずがない。
ましてや相手は、無感動無関心で名高いブーメラン戦士の一員だ。
零は無言で昼食を食べ終えると、席を立った。
「じゃあ、後で。ジャック」
「ああ」
午後は整備班を交えてのミーティングがある。それまでに何かしておきたい事でもあるのだろう。同席者にあわせて食事をするという習慣は、ここにはない。相手にペースをあわせる、という気づかいは。特殊戦食堂は、そういう意味でも特殊と言えた。
食事をするという人間的な行為の場での、非人間性。
人間的であると同時に、非人間的でもある。
まるで猫だ。
物理学ではなく文学的な直感で、そう思った。だんだん二十六匹の野良猫を飼わされているような気になってくる。おまけに、しわしわのネコマタまでついているときた日には。
「やれやれ」
空になったトレイを前に、ため息が出た。
シュレディンガーの猫には続きがある。意識を持った観測者の観測により、生と死の和であった状態が、生か死のどちらかに変化するという説だ。
特殊戦のスーパーシルフを、他戦隊が「死神」と毛嫌いするのは理屈ではないが、あながち的はずれな呼び名ではないかもしれない。
墜ちてゆく戦闘機。その中のパイロットが生きているのか死んでいるのか、本当はどちらなのか、確かめようもないことを一体誰が決める?
決めるのは、コンピュータだ。膨大なデータを分析する、基地の機械知性群。そこにデータを提供する、戦術戦闘電子偵察機。
十三機のスーパーシルフのドライバー達。
戦場でデータを収集する、人間でありながら人間的ではない観測者。
あるいは。
人間の不確かさを排除した、真の観測者は………
「機械に生死を決められてたまるか」
思わず、口をついて言葉が出ていた。
どうも、先日の叙勲コンピュータ以来、ナーバスになっているようでまずい。
トレイを厨房に返して、食堂を後にした。
生か死か。意識を持つ者によって確定するのが現実というなら。
生きているのが、ベストだ。他にはない。
そのために、フライトに関わる諸々の問題を検討し、プランの細部を詰めてゆくのだ。危険はジャムだけではない。基地内のパワーゲーム、機械知性群の動向、それすらも考慮に入れて送り出さなければならない。
必ず生きて帰れと、意志をこめて。
ミーティングルームへと向かう道すがら、ブッカー少佐は猫が籐のバスケットのかわりに複座式のコクピットに丸くなる様子を思い浮かべ、馬鹿げた想像をしてしまったと首を振った。
屁理屈は、どうでもいいのだ。まさに。