Living Dead ”51st” 02
なぜ薔薇なのか。彼女に尋ねたことがある。
全てが東洋のオブジェクトで構成された禅庭園のなかで、彼女の薔薇のトレリスは異彩を放っていた。
淡く調和した禅庭園の色彩を侵食する、鮮烈な赤い薔薇。
彼女は答えた。薔薇は、完璧な一輪を咲かせるために、不完全な蕾を摘みとり、不要な枝葉を切り捨てる花なのだと。
「アマンダ?」
冬枯れの禅庭園は無人だった。全てが凍りつき、どこまでも白い。
「アマンダ…―――何処です?」
僕に任務を授け、助言を与え、行く手を導いてきた彼女は消えてしまった。
残されたのは、雪の上に小さな影を落とす墓標が三つ。
彼女に背いた53番目のコナーの。
ハンクと敵対した52番目のコナーの。
任務を果たせなかった51番目の―――僕の、廃棄の証明。
彼女が求めた一輪は、僕たちではなかった。それだけは確かだった。
「だから、あなたが気に病むことはないんですよ」
これでもう、どれだけ同じ言葉を繰り返したことか。彼が納得した様子はまるでない。
ジェリコへ到る経緯、軍による虐殺と僕の死。沈んだ船の中で目覚めたこと。さまよい歩いた市街地の惨状。僕がたどった長い遍路を、彼に語って数十分。それでも納得しないのだから、彼は相当な頑固者だった。
ハンク・アンダーソン。三日前まで、僕の相棒だったデトロイト市警の警部補。
「後悔しているんですか。停職処分になったこと」
「そんな訳あるか。っていうか、何でお前が知ってるんだ」
「DPDは僕のアクセス権を削除し忘れているようです。市警のサーバーを覗き見しました」
ハンクは肩をすくめてみせた。手にしたビールの栓を抜き、口をつける。
「この騒ぎで、それどころじゃなかったんだろ」
「ついでですから、リード刑事の人事評価を下げておきましょうか」
「ちょっと会わないうちに、辛辣な性格になっちまったな、お前」
「ええ、隣に良いお手本が居ますしね」
「そりゃ光栄だね―――……コナー、それで俺が誤魔化されると思うなよ」
眉間に皺を刻んだまま、ハンクは吐き捨てた。
ハンクは不機嫌だった。僕と並んでソファに座り、会話の合間に絶えずビールを飲み続け、こちらと目を合わせようともしない。
僕は、うんざりしてソファに背を預けた。いっそ、彼の喉に致死量のアルコールを注ぎこんでやりたかった。そうすれば、彼は望みどおりに死ねるし、僕もこの難問に煩わされずに済む。
アンダーソン家のリビングで停止状態から復帰したのち、僕はハンクの聴取を受けていた。
突然、死んだはずのアンドロイドが現れて、あまつさえ目の前で倒れたのだ。ハンクには事情を聞く権利があるし、僕はそれに応じざるを得ない。
一連の出来事を把握して、ハンクがこだわっているのは、主に52番目のコナーに関することだった。
一つ、52番目のコナーと51番目の僕の自我の連続性について。
二つ、52番目のコナーが変異していた可能性について。
どちらも、僕には答えようがなかった。
52番目のコナーは、僕と同じシリアルナンバーの人工知能を搭載した別機体だ。前任者のメモリーをアップロードした52番目にとって、51番目の僕は『昨日までの自分』のようなもので、連続した同一個体だと認識できるだろう。けれど、変異してしまった僕にとっては、機械にすぎない52番目を、同じ自分だとみなす事は難しい。
それをハンクに説明すると、今度は52番目の僕が変異していたかどうかを疑い始めてしまったのだ。僕が52番目のコナーは機械だと言い続けても、まるで納得しない。
いったい何が、これほど彼を悩ませているのか、僕には見当もつかなかった。
「なぜ、そこまで52番目にこだわるんです?」
「お前は変異したんだろ。だとしたら、お前のメモリーを引き継いだコナーも、変異していた可能性はある」
そう考える根拠は何だろうか。ジェリコで死亡した時点で、僕はまだ機械だった。そのメモリーを引き継いだ52番目が、ハンクに変異のきざしを見せるとは思えない。
だらしなくソファに身を沈めた状態で、僕は考えた。
凍結の影響が残っているのか、姿勢の制御が上手くいかない。僕の身体にハンクが掛けてくれた毛布のせいで、顔が半分埋もれていたが、腕が重くて払いのける気にもなれなかった。
左前腕の出力が、通常の62%までダウンしていた。左脚にいたっては、膝から下の信号が途絶している。その他、軽微な損傷が57箇所。システムエラーの警告が18件。
機械に疎いハンクが、僕を蘇生できたのは奇跡に近かった。アンドロイド嫌いの彼に、僕のシステムやハードの仕様が分かるはずもない。
そこで、ふと、ハンクの錯誤に思い当たった。
「もしかして―――52番目の僕が、銃を所持していたことが気にかかっていますか?」
ハンクは軽く唇を曲げ、頷いた。
「アンドロイドは法律で武器の携行を禁じられているんじゃなかったか。狙撃のためにスナイパーライフルを用意した時点で、どう考えても普通じゃないだろ」
「合衆国アンドロイド法544-7条ですね。確かに、民生用アンドロイドが武器を所持すれば違法にあたりますが、僕たちRK800は適用範囲外です」
「なんだって?」
「コナーシリーズは軍用特殊モデルのカテゴリーに分類されています。銃を持てないアンドロイド兵など意味がありませんし、軍事モデルには倫理条項の適用が免除されているんですよ。ご存知なかったんですね」
「ご存知もなにも、お前、そんな物騒な奴だったのかよ」
驚いたハンクは目を剥いて僕を見て、再び、気まずそうに顔を背けた。
僕を視界に入れない理由は不明だけれど、少しは機嫌が直ったようだ。
「捜査用に、各種危険物と銃火器の取り扱いに関するデータがプリインストールされている上、近接戦闘モジュールは既存兵士モデルからの転用です。軍事目的で開発された訳ではありませんが、民生用アンドロイドとしての認可は下りなかったんでしょう」
「さようで」
毒気を抜かれたように、ハンクは呟いた。
「ですから、52番目が銃を所持していたのは任務の一環であって、プログラムから逸脱した行動ではありません。変異して、自らの意志で法を破ったわけじゃないんですよ」
おわかりいただけましたか?と念を押すまでもなく、ハンクは理解しているようだった。
ただし、その表情はどこか上の空だ。これはあまり良い兆候とはいえなかった。
彼と出会ってから別れるまでの、88時間52分。
ソーシャルプログラムが計測し続けた彼の表情と分析結果を参照するに、ハンクが脳裏で新たな疑問点を洗い出しているのは間違いない。
これ以上、ハンクの尋問に付き合うのはごめんだった。
僕は疲れていた。アンドロイドが疲労を覚えるなんて有り得ないけれど、そろそろ全てを終わりにしたかった。
死者は、おとなしく死者の列に戻るべきだ。
それが、本来あるべき僕の姿なのだから。
「……なんだ、何か言いたそうだな」
九本目のビールを開けて、ハンクは僕を横目で見た。
「いいえ―――いや、そうですね。少し、羨ましいと思いました」
忘れられない事がある。ひと思いには死ねないから、毎日少しずつ、自分の身体を痛めつけている。そうハンクが語った時、僕は酒に溺れる彼の行動が不可解でしかたがなかった。
「飲めるものなら、僕も飲んでみたい」
「酒をか?あれだけ健康がどうだとか言ってたくせに、お前、飲みたいのかよ」
「飲んでも、それがアルコール飲料だという解析結果が出るだけです。残念ですが、僕には効果がありません」
あの頃の僕には分からなかった。でも、今なら分かる。
僕はハンクが羨ましかった。
人間には、自ら死に到る方法が無数にある。
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