CaseFile:Hostage,once again
事件の発生から六時間が経過していた。突入の許可は、まだ出ない。
あらゆる取引が電子決済で行えるようになった現代においてなお、銀行という建物は依然として必要とされていた。デトロイトを二分する天秤の片方―――富裕層のビジネスと社交の場として。
無駄に装飾的で堅牢な壁と、防弾ガラスの窓。何重ものセキュリティが裏目に出た最奥の金庫に、人質はいる。
直属の上司は煮え切らない態度を続けている。人質はよぼどの大物らしい。犠牲を出して、責任を問われることを怖れている。現場も、司令部も、どちらも膠着したまま六時間。
作戦に失敗すれば、俺の首が飛ぶのは間違いない。上層部でも飛ぶに違いないが、誰の首が飛ぶのか、そろそろ貧乏くじを引く人間を決めて欲しいところだった。
『交渉人が到着――交渉人が到着。規制線を越えます』
「交渉人?」
部下の声に振り向くと、こちらに向かってくる人影が見えた。同時に、作戦ボードのステータスが更新される。
「―――また、お前か」
「お久しぶりです、アラン隊長。私はRK800『コナー』、交渉人として派遣されました」
何の感情もうかがえない平坦な声で、貧乏くじを引かされたアンドロイドは挨拶した。
サイバーライフが製造した最新鋭の捜査補佐専門モデル『コナー』。この常軌を逸したアンドロイドに会うのは二度目だった。
一度目は二〇三八年八月、同じく人質事件の最中だ。変異体が少女を人質に取ったこの事件で、コナーは変異体を射殺した。穏やかな口調で変異体をなだめつつ、充分な距離に近づくや、正常なアンドロイドには持てないはずの拳銃を抜き放ち、脳天に正確な一撃を叩きこんだ。
人質は解放されたが、まともなアンドロイドの挙動じゃない。信用すべきか否か、判断の難しい相手だった。
「移動中にブリーフィングは受けましたが、現場の状況は?」
「部下は配置についている。正面、通用口、裏門の三ヶ所だ。ただし、内部の状況は不明。犯行グループの正確な人数も不明だ。人質は客が二名、逃げ遅れた行員が三名、いずれも金庫室にいると思われる」
部下が情報端末を操作し、作戦ボードに建物の見取り図を表示した。金庫室は最奥のどん詰まりにある、唯一、窓のない部屋だ。偵察の段階で、窓から確認できる場所に人質の姿がないことは分かっていた。
「金庫室?」
「壁が厚い上に進入路が限られている。強行突入は難しい、突破より先に人質が死ぬ。お前が交渉に成功しない限りはな」
「ですが―――交渉は失敗しますよ」
こともなげに言って、コナーは小さく首を傾けた。
柔和な顔立ちの成人男性を模したモデルだが、外面の頼りなさと過激な行動の落差がありすぎる。意図して造った顔なら、サイバーライフのデザイナーは頭がおかしいとしか言いようがない。
「犯人の要求に対して、譲歩の限界を事前に明示されませんでした。この状況下での交渉の成功率は10%以下です」
つまり、失敗を前提に交渉に送り出されたという訳か。上の連中は、このアンドロイドに全ての責任を負わせて逃げきる算段だ。
自分が生贄の羊なのだと、こいつに教えてやったほうがいいのだろうか。
「交渉を口実に、人質の安全確保を最優先に動きます。アラン隊長、内部の情報があれば突入は可能ですか」
「何をするつもりだ」
「その端末と、私の視覚情報を同期します。内部の様子を中継しますので、準備をお願いします」
コナーの指が端末に触れた瞬間、画面に新しいウィンドウが開いた。ハンディカメラの映像のように揺れる視野。それが、くるりと反転し、銀行のエントランスへと進む。
「コナー!コナー、おい、待て―――!」
コナーは立ち止まらなかった。平然と危険のど真ん中に歩みをいれる、その背中を見送るしかなかった。
敵前で内部情報の中継?それがどれだけ無茶な行為なのか理解しているのか?
「―――クソっ!」
やっぱり、あのアンドロイドはイカれてやがる。
交渉は、意外にもスムーズに始まった。六時間もの膠着に、連中も飽き飽きしていたらしい。
犯行グループのリーダーがまくしたてる理念とやらに耳を傾け、時に指摘し、条件を提示する。言葉尻をとらえ、こまごまと詳細をまぜっかえして引き伸ばすさまは、ビジネスマンの契約交渉によく似ていた。
適度な身振りを交え、真摯な説得の合間にロビーをさりげなく歩き、警備員のブースにもたれかかる。
何気なく、コナーが警備の制御卓に手をつくのが視野に映った。
「隊長!――映像が」
情報端末に新しいウィンドウが増えた。ロビーを俯瞰する視点、屋内の監視カメラの映像だ。
「ハッキングか」
外部から銀行内への電子的なアクセスは、犯人の手で物理的に遮断されていた。内部のネットワークに侵入できたのは大きい。
「次々と増えています。全部で十箇所、金庫室のカメラも追加されました。――人質の無事を確認」
ご丁寧にも、DPDデータベースと照合した犯人の個人情報まで映像に添付されている。ついでに携行した武器の型式まで特定してあるのは、むしろサービス過剰ともいえた。まあ、連中が爆発物を所持していないと分かったのは、確かにありがたい。
突入に備えて人員を再配置。許可はいまだに下りないが、後は現場の判断で押し切るしかなさそうだ。
慎重にタイミングを見計らう、その時、金庫室のカメラが暗転した。
コナーの視野の端に、ネクタイの歪みを直す本人の両手が映る。
『人質の安全を確保しました。アラン隊長―――後はお任せします』
怒号、激しい銃声。
続いて、全てのカメラがブラックアウトした。
「―――突入だ!急げ!」
のちの現場検証で、金庫室のカメラはコナーが自分で過負荷をかけて破壊したのだと判明した。
ショートしたカメラに驚き、見張りが人質の側を離れ通路に出た隙に、金庫室の扉を遠隔操作でロックダウン。人質の安全を確保したコナーは、そのまま犯行グループの銃弾を浴びて倒れた。
敵の目の前で、あんな事を言えば当然だろう。わかっていてやったのならクレイジーだ。人間には真似できない。
「コナー、無事か?」
突入から十五分、現場の制圧は完了した。
交渉人のアンドロイドは、散弾銃で吹っ飛ばされカウンターの後ろに転がっていた。片足が壊れ、身体中の弾痕から漏れたブルーブラッドに青く濡れているが、状態を示すLEDリングは、かろうじて黄色く点灯している。
「サイバーライフに回収要請を出しました。ただ、自力歩行は難しいようです。手を貸していただけますか」
何事もなかったかのように瞼を開き、コナーは肩をすくめて見せた。
肩の下に腕を入れ、助け起こす。意外に、コナーは重かった。同じ体格の男性程度には重みがあり、それが、奇妙に人間臭かった。
ふう、と息を吐いてアンドロイドは言った。
「アラン隊長、できれば報告書には僕の損傷について記載しないでいただけると嬉しいのですが」
「何故だ?名誉の負傷だろう」
「いいえ、たぶん……叱られると思います」
叱られる?人質救出の立役者を、誰が叱るというのか。疑問に思いつつエントランスを抜けた先で、大柄な男が一人、コナーを待っていた。
くたびれたコートの眼光鋭い初老の男。鷹揚なしぐさで、DPDのバッチを掲げてみせる。
「どうも、中央署のアンダーソン警部補だ。そのスクラップ野郎のお目付け役でね―――引き取りに来た」
肩口で、小さく舌打ちの音がした。
―――しまった、失敗した。
確かに、そう聞こえた。見ればアンドロイドは、世にも情けない表情で眉を下げていた。
腕を抜き、コナーを引き渡す。アンダーソン警部補は、その襟首をつかみ上げた。
「コナー……お前、俺の言いたいことは分かってるだろうな?」
「あの、ハンク――いえ、警部補。何度も言いますがアンドロイドに痛覚は――」
「そういう問題じゃねぇんだよ!そんなに俺の寿命を縮めて楽しいか!」
眉間に深々と皺を刻んだ警部補に怒鳴られ、コナーは抗弁した。先程までの滑らかな交渉が嘘のような、しどろもどろの口調だ。
「しかも俺が飯食ってる間に行方をくらましやがって、あのふざけた留守電は何なんだ」
「ふざけてなんていませんよ。出動の要請があったのは僕だけですし、その」
「銃撃戦の可能性は82%です、って、この馬鹿が!天気予報みたいに言うんじゃねぇ!」
「天気予報ではなく統計上の数値です―――待ってください、何で数字に怒るんですか」
なるほど、これは盛大に叱られている。
現場に響き渡る怒号は、撤収作業中の隊員たちの注目を集めた。部下の一人が、苦笑をうかべて俺に近づいた。
「隊長、撤収準備完了です。何なんですか、あれ」
「さあな。ただ、俺が上司なら、あんな無謀な部下のお守りはごめんだな」
渡されたデータに承認のサインをいれて、返す。
犯行グループ八名を捕縛、一人を射殺。人質は全員無傷。こちらの損害は軽傷者二名、破損一名。誰の首も飛ばずに作戦は終了した。悪くない成果だ。
事件発生から七時間後、SWATチームは現場をデトロイト市警に引き継いで撤収した。後の始末は、あの叱られてしょげているアンドロイドの役目だろう―――俺達の出る幕じゃない。
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