HeavenlyBlue 01:寝室のアンフェア
不公平だ、という呟きは相手の耳に届いていたらしい。
アンドロイドは人間よりもずっと地獄耳だ。ハンクは枕に肘をつき、渋面をつくりながら半身を起こした。
「アンフェア、ですか?――何のことです」
ぺたり、ぺたりと素足のままバスルームから戻ってきたコナーは、濡れた髪を指でかきあげ、ベッドの縁に腰かけた。ブラウンの瞳が、気遣わしげにこちらを覗きこむ。
「すみません、まだ痛むでしょう。声に出さなくても、僕は唇を読めますから無理しないで下さい」
そっと手をのばし、コナーは労わるようにハンクの喉元を撫でた。そこには、明らかに手指の形とわかる鬱血の痕が、赤黒く皮膚に絡みついていた。
これのおかげで襟の高い服しか着れず、肩の凝る思いをしたのは、不満といえば不満ではある。声が出ない理由を、季節はずれの風邪のせいにしたものの、警察というのは裏を勘繰るのが商売だ。おそらく、察しのいい連中には事情がばれているだろう。
けれども、問題はそこじゃない。
「――――……?」
生真面目に眉根をよせ、唇の動きを読むコナーの表情は涼しげだ。つい先程まで、ベッドの上で絶頂に喘いでいたとは思えない平静さに、やっぱり腹立ちがこみあげてくる。
シャワーを浴びたての、コナーの裸身は滑らかだった。
夜に沈む寝室の、ほのかなフロアライトに浮かびあがる白い肌。流動性の電子の膚(はだえ)には、キスの痣も甘噛みの跡も体液も、情熱の証は何ひとつ残っていなかった。
アンドロイドの皮膚は、人間とは原理が違う。それは分かっている。
だが数日前、キスに夢中になりすぎて、うっかり首を絞めあげたのはコナーの方だ。なのに、こちらからは相手に印を刻めないというのは不公平ではないだろうか。
「ええと、つまり」
声無き抗議に、コナーは途惑った。
「あなたが触れた場所を、僕が非表示にしているのはフェアではない、という事ですか」
アンドロイドに人間と同じ情緒を求めるのは間違いかもしれないが、表示のON/OFFとして片付けられてしまうのは面白くない。
不機嫌なハンクの視線を受けて、コナーは恥らうように睫毛を伏せた。
「わかりました。でも――――全部を表示する訳にはいきませんよ。どれがいいか、あなたが選んでください」
ボディソープの甘い残り香を漂わせ、コナーは立ち上がった。床を照らすフロアライトの薄明りが、機体の輪郭を足元から際立たせる。
「まず、これが」
コナーは人差し指を立て、唇を示した。
「今晩、あなたが僕に口付けた箇所です。合計で23ヶ所……重複をのぞいてですが」
ぽう、と白い輝点が人造の肌に浮かびあがった。
唇、うなじ、鎖骨、胸の頂点から腰にかけて、星のような白い光が瞬いている。
何度も重ねた接吻に、いくつもの輝点がきらめく唇で、コナーは吐息をついた。
「それから、今朝、あなたと出勤前に玄関で交わしたキスが、ここ」
ほんのりと淡く、両頬が光に染まる。
「昨日の夜、僕がスリープモードに移行する寸前に、あなたの唇が触れたところが」
睫毛の先がゆっくりと影を引き、瞳を閉ざした。なだらかな目蓋に、秀でた額に、口付けの跡が白く印を灯してゆく。
「こことここです。そして――……一昨日の夜」
言葉を区切り、コナーは身を震わせた。
「あなたの首を絞めた後、あなたから受けた『おしおき』の場所が…………」
瞬間、コナーの全身に、光の花が咲いた。
下腹部から内腿にかけて、まばゆい白を輝かせ情熱の証が光を放っている。膝裏から形よく伸びた臑まで、無数に連なる光の粒がフロアライトに重なりあい、脚のラインが消え入るように光に溶け込んでいた。
アンフェア――――これは確かにアンフェアだ。ハンクは喉の奥でうめいた。
「これだけの数の圧迫痕を表示すると、あなたが不当な疑いをかけられてしまうかと。せめて数箇所に候補をしぼって、……――え?」
衝動的にのばした腕が、コナーの腰を掻き抱いた。引き倒され、ベッドの上に転がったコナーが驚きに声をあげる。
「ハンク、いったい何を」
印の刻まれていない臍のくぼみを、ざらりと舌で舐めあげてみた。期待に違わず、ひく、と身じろぐ肌の上に新たな輝点が現れる。
「あ、あ――あっ、あの、もしかして」
柔らかく張りのある腹部に、軽く歯をたて甘噛みを繰り返すと、さらに光の数が増えた。コナーは息を乱して背をそらし、爪先をシーツに絡ませた。
「するんですか、今から?シャワーを浴びたのに?」
浴びたのはお前だけで俺はまだ浴びてないだろ、というハンクの反論はコナーには届かなかった。唇を読ませる暇も惜しんで、輝点の少ない上半身にひたすら光を刻んでゆく。
「……っ、うぁ、ハンク――――ハンク、不公平って――待って、くださ……、い」
胸に顔を埋めるハンクの頭に手をかけ、コナーは力をこめて引きはがした。顎をあげたハンクの青い目を、とろけて潤んだ瞳でにらみつけ、問いただす。
「まさか、キスの跡だけつけて終わりなんてことは―――ないですよね?」
意地悪く、あえて視線を泳がせたハンクに、コナーはアンフェアですよと眉を下げた。捨てられた仔犬のような涙目に、艶めかしさよりも愛おしさがこみあげて、ハンクは喉を鳴らした。
「ハンク!笑い事じゃありません、僕は――――んっ、あ、のっ、ぁ」
コナーの杞憂は、喘ぐ息に飲み込まれて消えた。閉じた両足を腕で割り、肌と肌の際どいあわいをするりと撫でる。従順に反応した局部を手のうちに納め、確かめるように優しく揺すると、たまらずコナーが小さく啼いた。
「―――……ハンク、も、……っ―――」
宙を彷徨う手が、悶えながら背に縋りつく。肩口に吐息を寄せ、かぷりと噛み付いたコナーの悪戯に、ハンクは喉の奥で苦笑した。
甘噛みにしては強すぎる、じんわりと快い痛み。まあ、どうせ服の下に隠れる場所だ。職場の言い訳に困る訳でもなし、これで公平が保たれるというのなら、互いに痣が増えることには目をつぶるべきだろう。
寝室のアンフェアを解消すべく、ハンクは笑いながらコナーに再び口付けた。
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