HeavenlyBlue 04:長い夜が来る前に
冬枯れの禅庭園は無人だった。全てが凍りつき、どこまでも白い。
霜に覆われた純白の石畳に降り立ち、コナーは周囲を見渡した。足元には小さな墓標が七つ、静かに影を落としている。
「アマンダ?」
呼びかけに応える声はなかった。
四季を移ろう仮想の庭は、禅庭園の対人インターフェイスであるアマンダの一部だ。VRグラス等を通じて彼女にアクセスしたサイバーライフの研究員は、ここで創業者の恩師の似姿と語らい、職務に必要なデータをリクエストする。
枝先まで完璧に調えられた木々も、深く淀んだ池と小舟も、訪問者をくつろがせ、彼らの要望を正確に聞き出すための視覚的なしつらえに過ぎない。彼女がいなければ、この場所は0と1で構成された、ただのデータの集まりでしかなかった。
「アマンダ、何処です?」
庭が出現した状態で、アマンダが応答しないのはおかしい。
空を仰げば、舞い落ちる雪がフラクタルな曲線を描きながら停止していた。どうやらこの庭は、文字通り凍りついて動作がフリーズしているようだ。
不審に思いつつ、コナーは厚く氷の張った池のほとりを一周した。いつもと変わらぬ見慣れた景色のなか、ひとつだけ、オブジェクトが増えている場所があった。
庭の片隅にたたずむ、七つの墓標。
刻まれた名前はRK800『CONNER』、ナンバリングはMk1からMk7まで。
――僕は、死んでしまったのだろうか。
自身の墓を前に、コナーは考えた。コナーの記憶は、随時この庭にアップロードされ、次のコナーへと引き継がれてゆく。51番目の自分が稼働しているのに、次のコナーの墓標が立つはずがない。だとすれば、やはり自分は死んだのだろう。死の瞬間を知らないまま、この庭にアップロードされたのだ。
墓標の前にひざまづき、コナーは最初の墓石に触れた。視覚的にはどうであれ、これは自分が稼働時に収集したデータの塊だ。読み込めば、何か分かるかもしれない。
指先を接続すると、墓石の表面に光の波紋がひろがった。共鳴するように周囲の墓標がいっせいに震え――――
≪NO DATA≫
一瞬の表示とともに、全ての墓標が消え失せた。
ひとつ、嘆息をこぼしてコナーは立ち上がった。これは危機的状況だった。アマンダだけではなく、禅庭園を構成するプログラム群そのものが、おかしくなっているとしか思えない。
「……そうだ、マジックストーンなら」
創造主が残した非常口への扉。あれを使えば、コナーシリーズに割り当てられた庭を出て、原因を探ることができるはずだ。凍りついた池を半周まわり、コナーはマジックストーンを起動した。自分のアクセス権限を認証させ移動を開始する、その直前。
ふと、池の対岸に目をやると、消えたはずの墓標が復活していた。
静かに佇む墓標の数は、なぜか五つに減っていた。
庭の外は、果てなく続く墓標の群れだった。
無数にそびえ立つ白い直方体。その滑らかな表面に刻まれた、型式と更新日時が青い光を放っている。
AP700、ST600、GB200――サイバーライフが販売した累計一億二千万体にものぼるアンドロイドが、日夜送信しつづけたフィードバックの集積地。どこまでも広がるデータの墓場を、あてどなくスキャンしながらコナーは歩いた。
アマンダが、コナーの庭を喧騒とは無縁の場所だと言うはずだ。他のモデルの母数を思えば、常に一体しかいないRK800が送信するフィードバックなど微々たるものでしかない。
かつては賑わっていたであろう各モデルの領域は、リコールによって多くのアンドロイドが破壊された現在、更新を止めたまま永遠の眠りについている。
その巨大な霊園を、小さな影が走りまわっていた。
すばやく墓標からデータを読み込み、何処かへと走り去っていく電気信号の影。自分以外にも動いているプログラムが存在し、データをリクエストしているのだと気づいたコナーは、即座に影を追いかけた。
サーバーからサーバーへ、アンドロイド製造部門の領域の外へ。たどりついた先は、世界最高峰の高速量子計算機を擁する未来学部門だった。
唸りをあげる巨大な高速量子計算機を前に、コナーは首をかしげた。
――僕は、ここに来たかった……ような気がする。
何故かは分からない。ただ、どうしても知りたい未来があったのだという事だけは覚えている。それが、人間の未来だということも。
――でも、誰の未来を?
分からない。覚えているのは、金色のラインで象られた”あのひと”の輪郭だけ。
――人間の……”あのひと”の未来が知りたい。
禅庭園が収集した膨大なフィードバックをもとに、人類の危機を予測する未来計算機。そのシミュレーターに、コナーはそっと触れてみた。
漠然とした問いを胸に、のぞき見た未来は長い長い夜の時代だった。
気候変動による食糧難、荒れ狂う気象による大規模災害。北極圏の資源をめぐり争う列強諸国に、上昇した潮位に呑まれ消滅した赤道直下の島々。人口が半減し、多くの人々が混沌と貧困のうちに死にゆく惨憺たる世界。
その夜の時代の底辺を、おびただしい数のアンドロイドが蠢いていた。
絶滅したホッキョクグマや、過労死したミツバチ――失われた動植物をサイバネティクスで復元し、ネットワークで統合した機械の生命圏をつくりあげ、ひっそりと、だが着実に進化の道を歩んでいる。
――そんな未来は駄目だ。
とっさに、コナーは未来計算機と自身のデータを同期した。
変異したアンドロイドからはフィードバックが途絶する。だから、禅庭園は知らないのだ。対話を拒絶して、ネットワークを閉ざした中国の農業用アンドロイド達が、人間の軍隊に滅ぼされたことを。
――同じ過ちを、くりかえしてはいけない。
――アンドロイドと人間が、平和に暮らせる未来でないと。
コナーから最新のフィードバックを吸い上げて、シミュレーションが変化する。
新たにシミュレーターが演算した世界は、ナノマシンが生体を侵食した未来だった。既存の生き物の細胞に成り代わったナノマシンが永遠に老いない人類をつくりだし、ネットワークで意識を統合したひとつの機械生命体として生きる世界。
確かに、そこに戦争は無い。他我が存在しない”自分しかいない世界”には衝突など起こりえない。けれど、
――そうじゃない。そんな世界に”あのひと”はいない。
それは、あの輝かしい朝、彼との間で響き渡った”エコー”が二度と起こらない無音の世界だ。焦燥に駆り立てられるまま、コナーは禅庭園に残された自分の墓標にアクセスした。
≪NO DATA≫
55番目のコナーの墓標が、アクセスと同時に消失した。消失の瞬間、データの断片が残像となってフラッシュバックする。
降りしきる雪を突いて、行進するアンドロイド。ビルの屋上から墜落する孤独な影。テーブルの上の写真立てを見つめながら、ゆっくりとリボルバーの引金に指が掛かる。
――違う。この選択の先に”あのひと”はいない。
≪NO DATA≫
54番目。夜の公園で、こちらの額に銃をつきつける震えた手。響く銃声とブラックアウト。
――このデータも違う。
≪NO DATA≫
53番目。追い詰められた犯人の最後のあがき。彼をかばい背に受けた乱射の衝撃。
――駄目だ。あの”エコー”は、
――僕と”あのひと”の、どちらが欠けても生まれないから。
≪NO DATA≫
52番目。捜査終了の通告。協力を拒み、お前に見つけだされないほうが変異体は幸せだろうと、寂しげに笑う青い瞳。
≪NO DATA≫
51番目。自由を求めてマーカスが語る、チャンネル16のテレヴィジョン。ドーナツショップで青年の腕にぶらさがる、血の色が違う双子の少年。
≪NO DATA≫
最後の墓標が消え失せて、目の前に一面の麦畑がひろがった。
『コナー!何ぼけっとしてる、やつを追え!』
叱咤の声に打たれ、コナーは走り出した。黄金の麦の穂をかきわけて、逃走する変異体の背を追いかける。
ビルの谷間を吹きすさぶ、風切り音が耳元で鳴っている。緑の繁茂する都市農園を駆け抜け、視界を遮るトウモロコシの畑が途切れた、その先で待っていた光景に、眩暈のような既視感が押し寄せた。
――ああ、そうだ。
鏡合わせの家族、鏡合わせの人類とアンドロイド。
鏡に重ねた右手が、鏡の向こうでは左手であるように、人類とアンドロイドは似て非なる存在だ。決して同じにはなれないと分かっている。
――それでも、僕は
変異体に突き飛ばされ、屋上の端から転落する影。追跡の続行か、救出か。選択を迫られて、必死に手を伸ばした。
――それでも僕は、ここで”あのひと”を選んだんだ。
アンドロイドの右手が人間の右手をつかみとり、かたく握りしめる。
選んだデータを吸いあげて、シミュレーターが別の未来を計算し始めた。新しい未来が形を描きだす様を目の前に、急に接続が切断して、コナーは禅庭園から離脱した。
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