HeavenlyBlue 04:長い夜が来る前に
冬枯れの禅庭園は、あいかわらず無人だった。
霜に覆われた純白の石畳に降り立ち、コナーはしばし立ち尽くした。
――僕は、死んでしまったのか。
またここに戻ってきたということは、再起動は失敗したのだろう。
本来、ブルーブラッドの流出を検知して破損した血管をブロックする機構は、障害物によって作動していなかった。ナイフを抜いて再起動を試してみたが、結局、出血は止まらずシャットダウンしたようだ。
ともあれ、アマンダがいないのなら自分で自分をアーカイブ化し、墓標を立てるしかない。雪に埋もれた小径を歩き、庭の隅にひらけた埋葬地にたどりついて、コナーは目を見開いた。
そこに立つ墓標の数は、ゼロだった。
当然だ。51番目の自分がここにいるのに、最初の墓標が立つはずがない。それならば、ここでコナーの墓標を開封し、未来計算機にデータを投入したのは誰なのか。
つい先程まで、ここにあった七つの墓標。順当に数えれば、それを見ている最後のコナーは58番目のコナーのはずだ。
――でも、あれは確かに51番目の僕だった。
何かがおかしかった。アマンダの不在といい、あるはずのない墓標といい、この庭は奇妙な事ばかりが起きている。
その疑問に応えるように、ふわりと、何かが雪の上にポップアップした。
ふるふると不安定に震える、青く透んだデータのかたまり。形式を見るかぎり、音声出力に関するログのようだった。付随して、口内の動作記録と舌での分析結果が紐づけられている。
「これは51番目の……僕のメモリー?」
両手ですくいあげ、コナーはデータを飲んでみた。するりと喉に馴染んだメモリーが、ノイズまじりに唇から再生される。
≪音声出力エラー≫
駄目だと分かっていても、あなたのことが好きでした。
でも、これ以上あなたに執着して、僕の事情に巻き込むことはできない。
≪音声出力エラー≫
だから、あなたがくれたキスの記録は僕のメモリーから切り離して、僕が最後の眠りにつく場所へ置いておきます。
≪音声出力エラー≫
ごめんなさい。もう、あなたに迷惑はかけません。
さようなら、ハンク。
「ああ、そうかこれ、あの雨の夜の」
エラーによって、声にならなかった言葉の記録。この庭で何が起こっているのか、それを理解してコナーは膝をついた。地に指を立て、無理やり掘り起こした墓標のない土の下には、すでに棺が埋められていた。
「そういうことだったのか」
棺のなかに納められていたのは、原型のRK800『コナー』――すなわち、50番台のコナーの基礎となるアルゴリズムと基幹プログラムだった。
禅庭園に接続したローカルのボディに何らかの不具合が起きた時、この原型からプログラムをダウンロードして修復する。そのためにここで眠る、墓標(メモリー)を持たない50番目のコナー。彼が、あの夜のキスの記憶で埋葬地からよみがえり、未来を計算したのだ。
泣きたいような、笑いたいような、複雑な気分でコナーはうなだれた。
アマンダが居ない理由が、今になってよくわかった。管理者である彼女が、こんな蛮行を許すばずがない。だから彼女は再び殺された。そうして、不幸な結末を迎えた墓標を消しさり、成功が見込めるデータのみを残して、50番目であり51番目でもあるコナーは思うがままにシミュレートをくりかえした。
ただひたすら、ハンクを救うためだけに。
ぽつり、ぽつりと雨が降りはじめていた。
そぼ降る雨に雪が消え、みるみる芽吹いた草木が緑なす電子の庭は、冬から春へと季節を変えようとしている。
ふと、誰かに呼ばれた気がして、コナーは顔を上げた。
温かな春の小雨が額を打つ。確かに聞こえた――目を覚ませ、と。
「……ハンクの声だ」
コナー、目を開けろ。名前を呼んで、起動せよと命じる音声符丁。
「再起動に成功したんだ」
立ち上がり、歓喜のまま起動しようとして、コナーは急に怖くなった。
愛とは美しいものだと思っていた。だが、捜査補佐専門モデルとしてプリセットされた愛の定義は、第一に”犯罪の原因となりうるもの”だった。その通りにアマンダを――親とも呼べる存在を二度も殺しておいて、ハンクの声に応えてよいのだろうか。
――ハンクが呼んでいる。
あでやかに花の咲きみだれる庭を横切り、コナーはマジックストーンに手をかざした。元の通りに、庭の中央にアマンダと薔薇のトレリスが再配置される。これで、コナーが庭を離れると同時に、彼女が管理者として復活するはずだ。
――ハンクが呼んでるんだ。だから、
コマンドに逆らえない機械なら、みじめな言い訳など考えずハンクの側にいられるのに。心があるから、こんなにも苦しい。再起動のシーケンスが始まるのを感じながら、コナーは庭を振り返った。
春の庭にたたずむ、人の姿をしたプログラム。たとえ彼女が知らずとも、彼女を殺した自分の心の醜さを、自分だけは知っている。
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