Living Dead ”51st” 02

 取り乱したのは、ほんの一瞬だけだった。
 即座に状況を把握して、コナーは唇を噛み締めた。震える息を呑みこんで、瞳を閉じ、再び開いた時には、平然と表情を取り繕っていた。
「ご迷惑をおかけしました、警部補」
 恨み言のひとつも口にせず、奴は涼しい顔で起き上がった。
 交渉を得意とするアンドロイドは厄介だ。本音を隠す行動が、プログラムとして刷り込まれている。

 ―――生きている――…どうして、

 この時、コナーが黙した言葉の続きが、再び俺に突きつけられるまでの数日間。
 少しずつ壊れていく元相棒に、俺はまるで気づいていなかった。

 

 暖炉に火をいれたリビングは、シャツ一枚でも汗ばむほどの暑さだった。
 ビールが美味い最高の温度だが、さりとて凍った衣服が乾いてくれるほどじゃない。
 どうせ男の独り暮らしだからと面倒がらずに、壊れた洗濯乾燥機を買いかえておくべきだったと反省したが、それで状況が変わるわけでもなく、俺はひたすら正面を見つめてビールを飲んでいた。
 横を向けない主な原因は、俺の隣でソファに転がる全裸のアンドロイドだ。
 目を覚ましたコナーは、自力で歩けなくなっていた。
 助け起こして座らせたものの、姿勢を保つことすら難しいのか、ずるずると斜めに傾き、しまいには自堕落な格好でソファに寝そべる始末だ。
「警部補、そういえば僕の服は―――」
「バスルームに干してある。この調子だと乾くのは明日だな。お前、あの服どこで手に入れたんだ」
「あなたと署で別れた後、ジェリコに向かう途中で、休業中の店舗を荒らしている犯罪者を発見したんです。体格的にも、ちょうど良かったので」
「窃盗犯から身ぐるみ剥いだのか。どっちが強盗だかわからんな」 
「……確かに、返す言葉もありませんね」
 しどけなく手足を投げ出して、物憂げに話すコナーの裸体は、いやに退廃的な雰囲気を漂わせていて目の毒だった。上から毛布を掛けてはみたが、いかがわしさが増すだけで、何の気休めにもならない。
 自分自身が、他者からどう見られているか。
 そこにまったく頓着がないあたり、変異したといっても、コナーの本質は相変わらずらしい。
 当の本人は、ジェリコでの再起動時に変異したと思いこんでいるようだが、そもそも、それ以前からコナーは変異体だと指摘されていた。
 一度目は俺が、リバーサイドパークで銃を突きつけ問い詰めた。
 二度目はサイバーライフの創始者、イライジャ・カムスキーがコナーを変異体だと断定した。
 それでも、コナーは自分を機械だと言い続けた。
 創造主の宣告を真っ向から否定した、こいつの強情さは筋金入りだ。意思を持たない、ただの機械のふるまいじゃない。
 だからこそ、ハートプラザのビルの屋上で俺はコナーと対峙した。エデンクラブの変異体を、カムスキーが差し出した無辜のアンドロイドを、コナーは決して撃たなかった。今さら暗殺なんて卑怯な真似をするからには、相応の事情があるのだろう、そうであってくれと願いながら。
 結果は、あのザマだ。
 軍事用だとか民生用だとか、そんな区分は関係ない。
 任務に相反してまで、撃たなかった51番目のコナー。そのメモリーを引き継いだ52番目は、ただ命じられるまま、任務のために革命の指導者を撃とうとしていた。
 薄っぺらな説得は、そこにコナーとしての意志が無かったからだ。
 51番目の言うとおり、52番目のコナーは任務を遂行するだけの機械だった。俺の相棒とは、完全に別物だ。
 そう納得して、ようやく肩から力が抜けた頃には、俺は買い置きのビールを全て飲みきっていた。
「そういや、お前、証拠保管庫の俺のコンテナ開けられたんだな。パスワードが掛かってただろ」
 天井が回っている。泡だけが取り柄の薄いビールでも、本数を重ねれば、それなりに酔えるものらしい。ソファの反対の端から、コナーの呆れた声が返ってきた。
「今更それを僕に言いますか?パスワードなんかクソくらえ、ですよ」
「悪かったな、言うの忘れてたんだよ。ちゃんと分かってるじゃないか」
「ええ、そうですね。あなたらしくて思わず笑ってしまいました」
「笑ったって、お前―――……」
 俺はコナーが笑うところを見たことがない。感情の起伏が緩やかな整った顔立ちは、怒っていても真顔、喜んでいても真顔で、表情の差異はごく僅かだ。
 それを見分けられるようになったのは、出会って何日目だったか。
 揺れる天井を眺めながら数えていると、頭が砂袋のように重たくなってきた。

 

 一日目。ジミーのバーに現れた奴は、俺からグラスを取り上げ、酒を床にぶちまけた。待っていろという命令も、証拠を舐めるなという指示も無視して、任務を最優先に行動した。

 二日目の朝。高速道路に飛び込もうとする奴を止めたら、渋々ながら従った。昼には、自分の態度を謝罪して、止めた理由を知りたがった。車に轢かれたら死ぬだろうと答えたら、理解できないように、小さく首を傾げていた。直後の捜査では、任務より俺の命を優先した。
 三日目を迎える頃には、逃走犯を射殺しなかった理由について、自分の意志を主張するようになっていた。

 四日目。自害した変異体にメモリーを接続されて、初めて死の恐怖を知った。
 五日目。創造主が課した反吐の出るような試練を、戸惑いながらも拒絶した。

 あいつの中で芽生えた何かは、凄まじい速度で成長し、めまぐるしく変化した。
 まるで産まれたばかりの赤ん坊が、みるみるうちに歩きだし、自分の言葉で語りだしたような、まばゆい光を見る思いで目が離せなくなった。
 数年ぶりに、息子が誕生した時の明るい記憶がよみがえり、心が動いた。
 帰還命令に逆らって、任務を続行したいと訴えるあいつに、親離れする子供というのはこういうものかと、複雑な気持ちで背を押した。
 その夜、コナーは俺の知らないところで撃たれて死んだ。くすぶったまま地を這う俺の人生など、軽々と飛び越えて生き急ぎ、あっという間に産まれて死んだ。

 八日目の朝。
 コナーは俺の元に還ってきた。
 死んだ時の姿のまま、同胞の血を飲み干して、罪の影を引きずりながら歩いてきた。
 満身創痍で、うわ言のように何度も任務の失敗を詫びながら、力尽きた。
 暗く澱んだ瞳から、あのまばゆい光は消え失せていた。

 

 神様とかいうクソッタレに会えたなら、文句の一つや二つも言ってやりたい。
 ただ、ひたすら真っ直ぐに生きているだけの生命に、惨い運命を押し付けるのがアンタの御業なのかと。

 

「警部補?」
 コナーが俺を呼んでいる。
「そこで寝ると風邪を引きますよ。起きてください」
 風邪ごときで死ねる訳でもなし、うるさく世話を焼くなと言いたいところだが、まあ、いい。
 荒れた生活か溺れる程のアルコール、あるいは一発だけ弾を込めたリボルバー。
 そのいずれかで、めでたく俺が死ねたあかつきには、クソッタレで残酷な神様の横っ面を、お前の分まで殴りにいってやろうか。
 神様のご尊顔がどんなものかは知らないが、きっとパーキンスよりも折りがいのある、ケチな鼻をしているに違いない。
「――…?すみません、聴覚ユニットが不調です。今なんて言ったんですか――ああ、もう」
 小さく毒づいたコナーのぼやきを最後に、俺は眠りに落ちていった。