Living Dead ”51st” 02
翌朝、久しぶりに晴れ渡った空に、大気は青く澄んで凍りついていた。
霜に曇る窓の下、スモウはヒーターの横に陣取ったまま、丸くなって動こうとしない。重い瞼をこすりながら暖炉の熾火を掻き起こし、顔を洗った。蛇口が凍っているのかと思うくらい冷たい水を浴びて、やっと目が冴えた。
ついでに、バスルームに吊るしっぱなしのコナーの服を回収した。
デニムに暗い色のタートルネック、フード付のフライトジャケットと地味なワークブーツで一揃い。デニムのポケットには、小さく弾痕の空いたニットキャップが押しこんである。
コナーの額に撃ち込まれた、銃弾の痕。
ソフトポイント弾だったから、再起動できたのかもしれないとは本人の談だ。
貫通力が弱く、弾頭が柔らく潰れる9mmソフトポイントは、アンドロイドの機体には効果が薄い。これが複数のパーツを貫く威力の高い通常弾だったなら、コナーは今も水底に沈んでいただろう。
わざわざ、そんな弾を用意してジェリコに潜入したこと自体が、あいつらしいと言うべきか。
その選択が巡り廻って、奪われた拳銃で撃ち殺された、自分自身を救ったのだから皮肉なものだ。
「おはようございます、警部補」
「ああ、おはよう。お前の服、乾いてたぞ」
リビングに戻ると、コナーがソファから身を起こしていた。
LEDリングの点灯は、正常稼動のブルー。とりあえず問題はなさそうだと服を返して、俺は驚いた。
「―――何だこりゃ」
人間と変わらない質感の、コナーの人工皮膚。その脇腹から背中にかけてが、ちらつくような輝点まじりの白に変色していた。昨日まではなかった症状だ。
「オーティスのアンドロイドと同じですよ。損傷部のブルーブラッドの供給が止まると、スキンの電子情報が表示されなくなるんです」
自分の脇腹を軽くなで、コナーは構わずタートルネックに腕を通した。
「たいした問題じゃありません。ご心配には及びませんよ」
「確かにあの変異体は、傷の周りが白くなってたがな…――範囲が広すぎやしないか」
「マーカスがC4を起爆した時、僕は機関室にいました。この程度のダメージで済んだのは、むしろ運がいい」
ジェリコの襲撃は、規制が掛けられ詳しい報道がほとんど無い。繰り返しニュースで流れる映像は、炎上する貨物船の遠景のみで、あの火災がコンポジションC4――いわゆるプラスチック爆弾によるものだと知っているのは当事者だけだ。
「軍の突入に爆薬ね。まるで戦争だな」
「戦争ですよ―――他の何だって言うんですか」
俺から目をそらし、コナーは冷ややかに言った。奥歯を噛むような独特の顎の引き方は、こいつが怒っている時の癖のひとつだ。
ひと通り着衣を整えて、コナーはニットキャップを手に取った。弾痕をなぞり、ため息を吐いて、強く掌に握り込む。
引き結んだ唇から、ぽつりと言葉が押し出された。
「撃っていれば、よかったんです」
表情のない横顔に、寝乱れた髪が影を落とした。
「僕が間違ってた。あの時、RT600を撃ってカムスキーから情報を引き出していれば―――もっと早くにジェリコに到達できていた」
コナーは怒っていた。淡々とした声音の裏で、撃たなかった自分に対して、静かな怒りを向けていた。
「軍より先に、僕がマーカスを捕らえていたら、その後の犠牲は無かったはずなんです」
まったく、朝っぱらから喉の渇く話だった。
昨夜、全てのビールを飲みきったことを、俺は後悔していた。一本ぐらい残しておいて、こいつの口にも突っこんでやるべきだった。
飲めもしない酒を飲みたいと、コナーが言い出した理由が今さらながら腑に落ちた。
「コナー……――おい」
「エデングラブのトレイシー達も、ルパート・トラヴィスも、逃亡したAX400とYK500も、皆、ジェリコにたどり着いていた。どれか一体だけでも取り逃がさずにいたら、違う結果になっていたはずなんです。なのに、僕は」
「止めろ、コナー」
お前の所為じゃない。そう言ってやるのは簡単だった。
殺したのは軍で、指揮したのはFBIだ。俺達がジェリコの存在を知ったのは、襲撃前日の午後で、すでに動き出した事態を変えるには圧倒的に時間が足りなかった。
だが、それを言ったところで何の慰めにもならないことを、俺は経験として知っていた。
―――貴方のせいではありません、Mr.アンダーソン。
―――君の所為じゃない。あの時、トラックがスリップするなんて誰に予測できたことか。
セラピーのセッションの中で、俺を心配する人々の優しい気遣いの中で、何度も降りそそいだ免罪符。
その全てを、俺は拒絶した。
欲しいのは許しじゃない。正しい選択肢だ。どうすれば、息子は死なずに済んだのか。
あの日、あの道を通らなければ。息子を助手席に乗せていなければ。
あの病院に運ばれていなければ、手術を担当する医師が――アンドロイドでなければ。
まさかアンドロイドが、俺と同じ傷を抱えて目の前で項垂れる日がくるとはな。
俺はコナーの正面に立ち、頑なに自分を責める細い首筋を見下ろした。
「止めろ、コナー。お前は、全部が自分の責任だって言いたいのか」
「そうです。僕のせいで大勢が死んだんですよ」
強情なこいつに、俺が言ってやれることは一つしかなかった。
「そうか―――それじゃあ、俺も同罪だな」
弾かれたように、コナーが顔を上げた。
「何を言ってるんですか、警部補。あなたのせいではないでしょう」
「おいおい、薄情な奴だな。あの五日間、お前は単独捜査してたのかよ。隣にいた俺は何だ?ただの飾りか?」
「そんな、――いえ、それは」
「お前が高速道路に進入するのを止めたのは誰だ?追跡の途中で、ビルから落ちかけてお前の足を引っぱったのは?カムスキーの所で、あの別嬪を撃つなと言ったのは俺だぞ。お前が遅すぎたっていうのなら、そいつは俺のせいだろう」
「馬鹿なことを言わないでください。あれは、あなたの落度じゃありません」
「いいや、俺のミスだね。お前が何と言おうとな」
言い募るコナーの額を軽く小突いて、俺は寝室に向かった。
服を着替えてコートを羽織り、車のキーを手にとった。あっけにとられた顔つきで、コナーは俺を見上げた。
「警部補、どこへ」
「酒を買ってくる」
「は?――えっ、お酒ですか」
「心配するな、お前の分もおごってやるよ。スモウと一緒に、いい子で留守番してるんだな。外から鍵をかけて出るぞ。家の外には出るなよ、いいな」
「了解しました。――じゃなくて、ハンク?」
あたふたと腰を浮かせたコナーに、スモウがゆったりと首を上げてこちらを向いた。
「行ってくる。スモウ、こいつを頼んだぞ」
スモウは、一声、低く吠えて俺を見送った。
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