Poodle!

Caption
特に時系列を考えてない小話です。ハンクがコナーに言う「金魚のフン」は英語版では「プードル」だったと思うんですが、間違ってたらすみません。武器云々については未来だから何でもありという事で捏造してます。
※この話の続き →『魂の駆動体



 デトロイト市交通局から、正式な抗議がきた。
 いつかはくるだろうと覚悟はしていたが、思いのほか交通局の対応は迅速だった。ジェフリーは署長室に俺を呼び出し、こう告げた。
「ハンク、お前の相棒に待てを教えろ。犬の躾は得意じゃなかったか」
「教えられるもんなら、とっくにやってる。ジェフリー、俺の苦労は知ってるだろ」
 ため息をついたジェフリーの元に届いた抗議の内容は、俺の端末にも転送されていた。デトロイト市交通局いわく―――市の重要なインフラであるメトロの車両の上で飛んだり跳ねたりするのはご遠慮ください、というものだ。
 もちろん、飛んだり跳ねたりしているのは俺じゃない。
 サイバーライフからデトロイト市警に供与されたアンドロイド、捜査補佐専門モデルRK800『コナー』だ。
 鳩好きの変異体を追ってビル屋上に点在する都市農園を走り回ってからというもの、コナーは建物の屋根や地上走行のメトロ車両の上を、追跡ルートの経路計算に組み込むようになってしまった。
 その方が速いとコナーは力説するが、犯人を追ってビルの屋上から屋上へとぴょんぴょんと飛び移るさまは、俺がガキの頃に遊んでいたビデオゲームの配管工によく似ていた。そのうち、キノコでも食って巨大化するんじゃないかという勢いだ。
 署長室を出てデスクに戻ると、しおらしい顔つきでコナーが俺に寄ってきた。
「アンダーソン警部補、ご迷惑をおかけしてすみません」
「わかってるなら、もう止めてくれ。お前の後ろを追いかけて走る俺の身にもなれよ。だいたい、無賃乗車はまずいだろ」
 コナーは心外だというように、わずかに眉を上げた。
「乗車料金は支払っていますよ、毎回」
「改札通ってないのにか?」
「ええ、交通局の徴収システムに侵入―――いえ、接続して支払いを済ませてます」
 逆ならまだしも、金を払うためにハッキングしたなんて言われたら、デトロイト市交通局は耳を疑うに違いない。できるものなら、俺も聞かなかったことにしたかった。
「それに、乗車規約ではアンドロイドを人間用区画に乗せないよう定められていますが、車両の上に乗せてはいけないと書いてありませんし」
「そもそも上に乗せるという発想がないからな。普通は」
 今度、時間があったら、交通局に規約を改定するよう匿名で投書してやろう。訴訟社会のアメリカでは、規約や取扱説明書は俺の懲戒フォルダよりも厚く詳細だが、抜け道ってのはどこにでもあるものだ。
「まあ、とにかく屋根に登ったりメトロにちょい乗りするのは無しだ。わかったな」
「―――はい」
 真面目を絵に描いたような表情で、コナーはうなずいた。俺は無言で天井を仰いだ。
 これでも一応、相棒だ。こいつが良い子のお返事をする時は、だいたい嘘なんだと分かっていた。

 

 俺とコナーの担当は、アンドロイドがらみの事件の捜査だ。だが、事件ってのは何処にでも転がってるもので、こちらから選り好みできるわけじゃない。
 昼も遅く、現場検証を終えて立ち寄ったダイナーで、俺達は麻薬中毒者を発見した。
「ハンク、どうします?」
「応援を呼ぶしかないな。到着までは俺達で尾行する」
 飯をくってる窓の外を、やたらとハイな中年男が通り過ぎたのだ。この寒空に真っ裸で、鼻からは薄く赤い煙を吐いている。
「レッドアイスとメスだな。タチが悪い組み合わせだ」
 気候変動の影響を受けて南米の生産地が壊滅してこのかた、マリファナは金持ち専用のパーティドラッグに格上げされた。貧困層で流行するドラッグは、主にレッドアイスやメタンフェタミンといった安価な合成麻薬だ。
 レッドアイスはいわゆる多幸剤、抑圧された心を解放して強力な自己肯定感を植えつける『ハッピーになるお薬』だ。対してメタンフェタミンは、戦場で兵士を不眠不休で行軍させるために使われた、古式ゆかしい『元気になるお薬』だった。
 両方の薬を扱っている売人は多いが、両方をキメている馬鹿に出くわすのは久しぶりだった。こんなにあからさまな中毒者が、どうしてパトロールに引っかからなかったのか不思議なくらいだ。
「コナー。お前、ヤク中を扱うのは初めてだよな?」
「ええ、ですが捜査に必要な知識はインストールされていますよ。彼は今、譫妄状態ですね」
「言っておくが、道具がそろうまで絶対に近づくんじゃないぞ。ああなると、常識は通用しないからな」
 ダイナーを出て、慎重に距離を計りながら尾行をはじめる。幸か不幸か、人通りは多かった。尾行はバレにくいが、奴がバッドトリップを起こして暴れだしたら大惨事になりかねない。
 特にレッドアイスはバッドトリップ時の攻撃衝動が激しく、年に何件もの殺人事件を引き起こしている最悪の麻薬だ。
「何故でしょう。通行人は彼に気づいていないようですが」
 署に連絡をとる俺の横で、コナーが首をかしげた。
「――ああ、そうだ。なるべく早めに装備をまわしてくれ……いや、当たり前だろ。裸で歩く怪しいおっさんを見かけたら、真っ当な人間は目をそらして避けるもんだ」
「そうでしょうか……―――あっ」
 男が振り返った。そして、コナーと目があった。
 周囲で男を注視している通行人がコナーしかいなけりゃ、当然の結果だ。男は逃げ出した。
 その背をコナーが一直線に追う。
「ああ、くっそ!コナー!待て、この馬鹿!」
 コナーと出会ったばかりの頃、あいつは何処へいくにも俺の後ろをベッタリくっついてきた。あまりの鬱陶しさに、プードルみたいにウロチョロするなと叱ったな、と今さらながら思い出す。
 あの頃の俺は浅はかだった。プードルの方が、まだ可愛げがあるってもんだ。
 今のコナーは有能な猟犬だ。獲物に喰いつき捕らえるまで、俺の元には帰ってきそうになかった。

 

 スポーツの世界にすらアンドロイドが進出しつつあるこのご時勢、100m走競技の世界記録はいまだに9秒台だった。
 人間の肉体では、これ以上は無理だろうというのが科学者たちの見解だ。ドーピングで強化したって、アンドロイドに勝てるわけがない。
 あっという間に、コナーは男に追いついた。
 追い詰められた男は、レッドアイスの吸入器をコナーに投げつけた。コナーが避けた隙に、素早くビルの非常梯子に飛びついて登りだす。
「コナー!やめろ!」
 制止の声は聞こえているだろうに、コナーは男を追って梯子を登った。そうして、見上げる俺の目の前で悪夢のような光景が開始された。
 ビルからビルへ、屋上伝いに逃げる裸の男と追うアンドロイド。
 最悪だ。今朝の説教は何だったんだと頭が痛くなってくる。
「―――ねえ、あれ」
「なんだ?おい、見ろよ」
 周りの通行人が、このろくでもない追走劇に気づいてざわめいた。スマートフォンを掲げて、録画する奴まで出る始末だ。
 まあどうせ、その録画をネットワーク上に投稿しようにも、即刻、倫理コード違反で削除をくらうだろうが。
 俺は男がフル●ンであることを神に感謝した。感謝と同時に、うんざりした。
 人生も半ばをとうに過ぎて、犯人の猥褻物が警察の威信を守る日が来るとわかっていたら、俺は警察官にはならなかったに違いない。
「アンダーソン警部補!」
 パトカーが2台、立て続けに到着した。降りてきたのはクリスと分署の刑事だった。
「おう、悪いな。見ての通りの有様だ」
「相変わらず派手にやってますね。コナーらしい」
 笑うクリスから、銃を受け取った。見れば、ドローンを連れた分署の刑事も同じ銃を手にしていた。軽く手を上げ、挨拶を交わす。
「ずいぶん腕に自信があるんだな」
 俺以外に、この銃を使おうなんて物好きがいるとは、正直驚いた。そちらこそ、と返す刑事の若い顔を見て、昔の仲間を思い出す。
 麻薬捜査から遠ざかってどれだけ経ったか、数えるのも止めて久しいが、後進はちゃんと育っているようだった。
「コナーは港の方に向かって移動してますね。どうしますか、警部補」
 コナーのGPSの位置を確認して、クリスが俺を見た。俺は分署の刑事を見た。このエリアの状況は、分署の方が詳しい。
 うなずいた刑事の端末に表示された、直近の麻薬取引現場のマップを囲んで、コナーに指示を出す。

 


「コナー、聞こえるか?」
『はい、警部補。逃走犯の150フィート後方を維持しています。言われた通り接触はしていませんが、確保してもいいですか?』
「駄目だ。そのまま指定のポイントまで追い込め。できるな?」
『了解しました。ただ―――』
「どうした?」
『逃走犯の心拍が正常値を大きく超えて上昇を続けています』
「ちくしょう、おい、クリス!救急車を待機させとけ。コナー、ポイントを変更するぞ」
『えっ、ハンク、そこはちょっと……』
「つべこべ言うな。元はといえば、俺の指示を無視したお前が悪い」

 


 結局のところ、人間ってのは追い詰められると経験に頼る生き物だ。
 馴染みのある道と、まったく見覚えのない道。その二つを前に、未知の道を選べる犯罪者は多くない。
 麻薬取引のあった場所は、ヤク中にとって自宅の庭みたいなものだ。そこへ到る道筋に、待ち伏せのポイントを設定するのは難しい仕事じゃない。
 問題は、走りつづけるヤク中の心臓に限界が迫ってるってことだった。
 おかげで、予定よりも手前のポイントを封鎖するはめになった。多くの貧困層が福祉パスを手に改札を通る、ライトレールの駅だ。
 まったく、今日はとんでもない厄日だった。仕方がないとはいえ、また交通局から苦情がくるかと思うと気が重い。
 高架軌道沿いに並ぶビルの屋上を、計画通りの速度で二つの影が走ってきた。
『―――逃走犯がホームに降ります。3、2、1―――ゼロ』
 コナーのカウントダウンと同時に、無人のホームに裸の男が転がり落ちた。立ち上がりかけた男の肩に、二発の銃弾が着弾する。
 男の前方から左肩に一発。
 後方から右肩に一発。
 言うだけあって、分署の刑事はいい腕をしていた。俺も何とか外さずにすんだ。着弾したペイント弾の薬液が、衝撃で急激に膨張する。
 数百倍に膨張した薬液の泡が男の身体を包みこみ、上空のドローンが硬化剤のシャワーを浴びせた。
 変質した泡は、ぶるぶるとしたスライム状の塊になって男の動きを封じた。たとえるなら、2液硬化の接着剤みたいなものだ。
 市警の装備のなかでは、限りなくノンリーサルな銃だが、さすがに顔面にヒットすると窒息で死ぬ。動き回る犯罪者を止めるには、上体だけを綺麗に狙う必要があり、あまりの面倒臭さに使用申請がほとんどない武器だった。
 それくらいなら、はなから実弾を撃ったほうが手っ取り早いし確実だからだ。
「警部補、確保しました。このまま病院へ搬送しますよ」
 ねばねばのグミキャンディになった男を、クリスが拘束した。手錠のかわりに、保護シートでくるんで縛り上げる。
 救急隊のストレッチャーに乗せられた中毒者には、分署の刑事が付き添った。
「クリス、駅の封鎖を解除してくれ。それから―――コナー、降りてこい」
 ホームの屋根に留まっていたコナーが、ひらりと飛び降りた。
「怪我は?」
「追跡中に数箇所、擦過傷を負っただけです。問題ありません」
「そうか、そいつはよかったな。それじゃあ、歯をくいしばれ―――この馬鹿野郎が!」
 思いっきり平手で引っぱたくと、コナーはたたらを踏んで後退った。 
「俺はお前に、絶対に近づくなと言ったはずだぞ。どうして追いかけた」
「優先事項に相反する命令だったためです。譫妄状態の中毒者は危険ですから」
 コナーは理解できないように目を見開いて俺を見た。いつも思うが、サイバーライフはアンドロイドに痛覚を搭載すべきだ。こんな事があるたびに、俺の手ばかりが痛むんじゃ割りにあわない。
「あの状況では、譫妄状態の暴行による市民への危害が92%、取り押さえに際して警官が死傷する可能性が85%ありました。犯人が屋上に逃走した時点で、市民への暴行は有り得ません。であれば、あとは人間の警官ではなく僕が追跡すべきだと判断しました」
 僕は機械ですから。
 それがコナーの口癖だった。痛みを感じない、壊れても修理できる、よって人間のように危険を考慮する必要が無い。
 こいつが自分自身を守るべき生命にカウントしないのは毎度のことだが、今回だけは許せなかった。
「市民ね。お前が追いかけたヤク中も、元を正せば立派なデトロイト市民だぞ」
「ですが、違法な薬物を使用した犯罪者です。逮捕しないわけには」
「見逃せとは言ってない。危険な状況だと分かってるさ。だがな、それが心臓が止まるまで追われる程の罪なのか?ん?」
 俺はコナーの胸に指を突きつけた。
 そこには人間同様に、アンドロイドの心臓部があるはずだった。
「俺は怒ってるんだよ。お前が自分だけじゃなく、犯人の生命を粗末に扱ってることにな」
 レッドアイスとメタンフェタミン。両方をキメている馬鹿に出くわすのは珍しい。
 だいたいの中毒者は、キメた時点で心臓が止まるからだ。運良く死ななかったにしても、亢進作用の続くかぎり、どんな拍子に限界を迎えるかわかったものじゃない。それこそ、転んだだけでも死ぬかもしれない予測不能の状態だ。
 それを追い回す仕打ちは、ある意味、実弾で撃つよりも非道だった。
「僕の判断が間違っていた……ということですか?」
 コナーのLEDリングが明滅した。
 ブルーからイエローへ。ほんの一瞬、レッドリングがまたたいて、正常表示に戻る。
「間違いとまでは言わないがな、少なくとも、俺とバディを組むなら俺の言うことが正解だ。違うか?」
 多くの刑事は実弾で犯罪者を撃つ。手間がかかって面倒くさい非致死武器(ノンリーサル)を申請する物好きは少数派だ。
 だが、俺がその物好きである以上、ここは譲れなかった。
「そうですね―――僕は、あなたの相棒ですから。わかりました、ハンク。次からは指示に従います」
 コナーは困惑の入り混じった笑みを浮かべた。左右非対称の、ぎこちない頬の動き。
 成人型で製造されるアンドロイドは、総じて見た目と中身の年齢が釣りあわないが、なかでもコナーは極めつけに幼い。
 プログラムされていない、本心からの言動に関しては、コナーは子供よりも不器用だった。
 やれやれ、だ。
 何はともあれ、ファウラーの言うところの”待て”を、こいつはようやく覚える気になったらしい。
「あー…――その、二人とも。喧嘩は終わりましたか」
 恐る恐るといったふうに、クリスが会話に割って入った。
「喧嘩?ミラー巡査、今のは喧嘩だったんですか?」
「喧嘩じゃねぇよ。説教だ」
 俺とコナーが同時に返事をしたせいで、クリスはのけぞった。顔をしかめて、俺達に手を振る。
「もう、何でもいいからホームを出てくださいよ。封鎖を解除しますから」
「ああ、悪かったな。ほら、行くぞコナー」
 追い出されて改札を抜ける直前、コナーに釘をさす。
「ハッキングは無しだ。わかってるよな?」
「―――はい」
 そこで不満げな顔をするのは何なんだ。俺がにらむと、コナーはおとなしく右手の擬似スキンを解いて、改札のゲートに押し当てた。
 いつの間にか、陽が傾いて辺りを鮮やかなオレンジに染めていた。通りを行き交う人々も、どことなく早足だ。残念ながら、日が暮れてから自由に歩けるほどデトロイトの市内は安全じゃない。
「くそ、面倒だな。ここからダイナーまで車をとりに戻るのか」
「たかだか6ブロック先です。運動は健康維持には欠かせませんよ」
「自分が疲れないからって、好き勝手言うな」
 コナーと二人、どうでもいい軽口を叩きながら来た道を歩いて戻る。
「サイバーライフに投書してやる。アンドロイドにも疲労と痛覚が必要だってな」
「カスタマーサポートは、ライブチャットか電子メールしか受付していませんが」
「お前、俺をアナログだと馬鹿にしてるだろ」
「手紙や本はデッドメディアですよ。あなたが変わり者なんです」
 俺の隣に並んで、コナーは俺の表情をうかがった。
 確かに俺は短気で偏屈な変わり者だ。今まで誰と組んでも長続きしなかった。あの11月の雨の夜、こいつが現れて俺から酒を取り上げるまでは。
 だからきっと、俺は自分が思う以上にアンドロイドに希望を見出しているのだろう。
 後ろをついて回る従順なプードルや、獲物に向かって一直線に走り去る猟犬ではなく、
「まあ、自分を機械だといってる奴には、風情や情緒なんて分からないだろうがな」
「それは僕を馬鹿にしているんですか、ハンク」
「くやしいなら何か読んでみろよ。今度、貸してやるから」
 相棒ってのは、こうやって肩を並べるものなのだと、いつかコナーが理解できる日がくるといい。そう、俺は願った。

 

 

 一週間後、デトロイト市交通局から再び苦情がきた。
 今度はコナーじゃない。苦情の申し立て先は俺だ。
 先日のライトレールの駅で、ホームに残った粘着ゼリーに足をとられ、乗客の靴が脱げるトラブルが頻発しているらしい。
 まったく、あの分署の刑事は優秀だった。こうなる事を見越して、付き添いを口実に現場から離脱しやがった。
 あれだけ要領の良い奴が麻薬捜査の担当だってことを、喜べばいいのか悲しめばいいのか。いや、喜ぶべきなんだろうが、それにしても。
 うなる俺に、コナーがはりきって言った。
「掃除にいきましょう、警部補」
「―――行かないとダメなんだろうな……コナー、お前は嗅覚無いだろ。装備庫から剥離剤をもらってきてくれ」
 気は進まなかったが、俺とコナーは事件の後始末に向かった。
 それから数日、コナーは署員から何だか酸っぱい匂いがすると指摘されつづけた。しょうがなく、俺がコナーを自宅に連れかえって風呂に入れたのは、また別の話だ。