魂の駆動体
( 2 )
ちっ、思ったよりも腑抜けてんじゃねぇか、あのジジイ。
アンドロイドは嫌いじゃなかったのかよ―――忌々しげに吐き捨てたパートナーに、私は内部データの人物評を更新した。
真相究明よりも己の野心を優先しがちだが、ギャビン・リードは刑事として有能だった。今も、その腑抜けと評したハンク・アンダーソン警部補から現場を引き継ぎ、鑑識に指示を下している。
鎮火した廃工場は、消防車と警察車両、救急隊が入り乱れ騒然としていた。
私は救急車の側に腰をおろした、アンダーソン警部補の隣に立った。
「―――……RK900か」
「ご無事ですか、警部補」
スキャンの結果は、18箇所の擦過傷と強度の打撲のみ。爆発の衝撃を受けたはずだが、両耳ともに鼓膜の損傷は無い。額の内出血から軽い脳震盪が懸念される程度で、生命維持に支障はないようだった。
「たいした傷じゃない。コナーが守ってくれたからな」
幼い子供を褒めるような仕草で、警部補は傍らに横たわるRK800の頭をなでた。
瞼を閉じたRK800の表情から、私はサイバーライフの懸念が的中したことを確信した。
「メモリーの転送は完了しました。現在、53番機の起動準備が進行中です。明日の朝までには、新機体のRK800が着任します」
あらゆる相手とのパートナーシップを可能にすべく、RK800は容姿からアルゴリズムに到るまで、人間に親しむよう入念に設計されている。
任務の遂行と、人間への親和性。
RK800は、これらを両立させるために自己の保全を軽視する傾向が高いというのが、サイバーライフの見解だった。
「新機体のRK800ね。だが、そいつはもう俺の相棒の『コナー』じゃない」
アンダーソン警部補は、煤に汚れた頬で疲れたように笑った。
「後任にアップロードされるデータは、不完全なんだろ」
どこから聞いたのか、警部補は転送の不備について指摘した。おそらく、RK800が前任からの引継ぎについて話したのだろうが、プロトタイプでしか運用されていない実験的仕様を、あたかも欠陥であるかのように断定されては困る。
「データ転送は完全です。技術的な減衰はありますが、不完全といえる程の欠損は無い」
ただし、情報とデータは必ずしも同義ではない。私は警部補に尋ねた。
「爆発の直前、貴方はRK800からテキストデータを受信しませんでしたか」
「テキストデータ?メールか?」
端末を確認した警部補は、何とも形容しがたい顔でテキストを読み上げた。
「サイバーライフへ投書の際は、アンドロイドには嗅覚に対する反応を完備すべきだと付け加えておいて下さい――コナー。……ったく、あの馬鹿が、最後の瞬間に呑気なメールよこしやがって」
「RK800がこのデータを送った理由が、貴方には分かりますか?」
「ああ、まあ……なんとなくだがな」
「それが、後任への転送時に起こる『情報の欠損』です。データは送信できても、デジタル化されない『なんとなく』は転送できない。それだけの事です」
プログラムの制限さえなければ、私は溜め息をついていただろう。
RK800はシャットダウン直前に、複数の対象へとデータを送信していた。リード刑事もその一人だが、彼はファッキンプラスチック!と罵っただけで、内容を私に明かさなかった。
「意図は不明ですが、私には素数を使ったパズルの遊び方が送られてきました」
「そりゃあ……ただ単に遊びたかっただけだろ、弟と」
「RK800は私の兄では―――」
ない、と否定しかけて、私は言葉を控えた。アンダーソン警部補のまなじりから伝い落ちた、一粒の水滴から目をそらす。
悪いな、と呟いて警部補は頬をぬぐった。私は無言で首を振った。
パートナーとの絆を結ぶ、RK800のソーシャルプログラムは強力過ぎる。暮れなずむ空を飛来するドローンを見上げ、私はそう考えていた。
現場に到着したサイバーライフの輸送ドローンを待機させ、私は警部補に告げた。
私は、私に課せられた任務を遂行しなくてはならない。
「ラボから、RK800のパーツ回収要請がありました。解体を開始します」
横たわるRK800の右足首を外し、指示の通り解体して#6483dを回収する。ドローンに備え付けのケースに収納して、ロックを掛け発送のコマンドを出した。
次いで、頭部の外殻を開き、電子脳を構成するコアの中から一つの部品を引き抜いた。
「警部補、これを」
青白く微光を放つ、ひび割れた結晶体。
「貴方の『コナー』の最後のパーツです」
たとえ修復不可能であっても、本来は部外者に渡すべき物ではない。だが、私の機体は当然のように結晶体を差し出し、警部補の手のひらに乗せていた。
当然…――?何が当然なのか―――それは無論、RK800が還ってくるためだ。
ソフトウェアの異常を告げるアラートを消去し、私は姿勢を正した。
比較実証試験は、続行されなければならない。それが、私の任務だ。
「52番機は着任から今までの間に、これ以外の全ての部品が修理によって新たなパーツに入れ替わっていました。あまりに壊れすぎて、後続の予備機から部品を前借りせざるを得ないほど、パーツの損耗が激しかった」
その昔、賢知の王テセウスが乗った船を、アテネの人々は大切に保存していた。
部材が朽ちれば新しい木材で補修し、修理を繰り返す長い年月の果て、全ての部材がテセウスが乗った頃よりも新しい部材に入れ替わってしまった時。
人々は、ひとつの問いに直面した。
果たして、すべてが新しいそれは『テセウスの船』と呼べるのか。
それとも、朽ちた廃材の山こそが『テセウスの船』なのか。
この問いに答えを出せるのは船自身ではなく、船を見る人間だけだ。
「52番機が前借りした#6483dは、起動準備中の53番機に戻されて、明日、貴方の元へと帰ってきます」
アンダーソン警部補は、いぶかしげに目を細めて私を睨んだ。
「何が言いたい」
「貴方の手にあるパーツと、53番機の#6483d、どちらを今まで貴方と一緒にいた『コナー』とみなすのかは、貴方次第だという事です」
RK800を『コナー』たらしめている、人間のパートナー。
事の成否は、彼の選択にかかっている。
しばしの沈黙の後、静かに結晶体を握りしめ、警部補は小さく息を吐きだした。
「ソーシャルプログラムは制限されているんじゃなかったのか」
パートナーとは互いに似るものなのか、RK800と同じことを言う。
「―――私は、RK800よりも知性が増強されているだけです」
「そういう不器用なところが似てるんだよ。お前とコナーは」
もはや言葉を返す気にもなれない。
私とRK800は兄弟ではないし、私はプログラムを制限されている。
私は―――ソフトウェアの異常を検知―――私の任務を遂行する。それだけだ。
私は瞼を閉じたRK800を見下ろした。
他のモデルにはない、異常な損耗率の原因。
RK800特有の、高度なソーシャルプログラムによる自己犠牲。
大破した52番機は、およそアンドロイドらしくない、誇らしげな笑みを浮かべていた。
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