魂の駆動体

( 3 )

 遠く息子の後ろ姿が見えた時、いつもの夢なのだと気がついた。

 息子を失ってから、幾度となく繰り返した悪夢。
 もう一度あの子に会えるのなら、どんなに辛い夢でも構わない。そう願って見る悪夢は、いつでも俺を嘲笑うように残酷だった。
 血溜まりに投げ出された小さな手のひら。力なく開いた指の形。
 ストレッチャーからのぞく、カラフルなスニーカーの靴底。長く暗い病院の廊下。
 死の臭いを漂わせる断片ばかりが、延々と俺を責め苛むだけの悪夢。
 夢の中ですら掴まえられない面影に耐え切れず、酒に溺れるようになってから三年。
 コールが俺を振り返ったのは、これが初めてだった。

 

―――ダー……ッド!おかえりなさい!

 

 懐かしい笑顔で、俺を呼ぶ。幼くして逝った息子の姿。

 

―――ずっと待ってたんだよ、ねえ、遊んでよ!

 

 嬉しそうに走ってくる小さな身体を、全身で受け止めた。子供特有の柔らかいぬくもりが愛おしかった。陽だまりと土の香りが汗に混じった、健やかな肌の匂いが鼻腔をくすぐる。
 不思議と、喜びも哀しみも感じなかった。あるべきものが、あるべき場所に戻ってきた。そんな穏やかな感慨だけが胸を満たしている。
 ワフ!と吠える声に目を上げれば、俺とコールに寄り添いながらスモウが地平に向かって首を伸ばしていた。
 俺とコールとスモウと。そうだ………あと一人、足りない奴がいる。

 

―――おいでよ!さあ、こっちだよ!

 

 コールが、せいいっぱい背伸びをして手を振る。スモウが千切れそうなほど尻尾を振っている。
 地平線を背に、見覚えのあるシルエットが姿を現した。
 真っ直ぐなたたずまいの、細身の影。こちらに来ても良いのかどうか、遠慮しているような、迷っているような、いじましい素振りに声を張って呼びかけた。

 

―――何やってんだ。来いよ、お前は俺の相棒だろうが………!

 

 ぱっ、と顔を上げて影は走り出した。
 正確な歩幅を刻み、弾むような足取りで一直線に駆けて来る。
 ああ、そうだ。こいつが”待て”を覚えるまで、俺がどれだけ苦労したことか。最速で脚を運んでなお、人間ではあり得ない端然とした姿勢を保つ走り方。
 表情が分かるほど近づいて、俺は相棒の最後を思い出した。

 

 爆発の瞬間、あいつが俺に見せた笑顔。

 

 無邪気なブラウンの瞳が、俺の鼻先まで迫ってくる。
 やたらと澄んで光を放つ瞳の中に、俺の瞳が映りこんでいる。
 俺の瞳にも、こいつの瞳が映っているのだろう。その瞳に映るのは―――

 

 いや待て。
 お前の中身が、生後数ヶ月の赤ん坊も同然だって事は知ってるが、自分の図体が立派な成人男子だって事を忘れてやしないか。
 待て、待て。その勢いは絶対に忘れてるな。頭っから全速力で突っこんでくるなよ危ないだろうが少しは自重しやがれ、この野郎―――……!

 

『―――――ハン……ク!』
 眼前に迫ったコナーに強烈な頭突きをくらって、その衝撃で目が覚めた。

 

 

 まったく、なんて夢だ。
 キッチンの床に転がって、俺はうめいた。手に握ったままの、スコッチの瓶が嫌に重たい。
 二日酔いなのか、それとも床で頭を打ったせいか、はたまたアンドロイドの俺の相棒のせいなのか、ひどく頭が痛かった。
 べろりと頬を舐めた、スモウの舌で正気に返る。
「ああ、………ちくしょう、痛えなクソ」
 身を起こして、ダイニングテーブルから落ちた写真立てを元に戻した。
 永遠に時を止めた、コールの写真。
 フレームの中で微笑むデジタルデータは、夢の中よりも、ずっと幼かった。
 それはそうだ。この写真を撮ってから事故に会うまで、コールは1インチ背が伸びた。夏の間に陽に焼けて、やんちゃな笑みが、さまになるほど生意気に成長していた。
 RK900が言うとおりだ。
 デジタルデータに変換できない『なんとなく』は、確かに存在する。アナログでしか証明できない思い出のように。
 俺に鼻面を押しあてるスモウをなで、酔い覚ましに水を飲んだ。
 時刻は午前六時。三時間後には、新機体のRK800が派遣される。
 署に出勤して、そこで出会うコナーに、俺は何を言えばいいのか。
 はじめまして?それとも―――……

 

 

「ですから!」
 クソでかい声を張り上げて、コナーは言った。
「僕の流動性擬似皮膚は、自浄作用を備えていてですね、聞いていますか?ハンク」
「それが機能してないことは、お前も認めるよな?コナー」
 むぐ、と口をつぐんで不満げな顔をつくった相棒に、俺は指を突きつけた。
「ギャビンが、お前を『生ゴミに昇進』とかぬかしたのは、これで何回目だと思ってんだ」
「38回です―――でも…」
 少し前の事件で使用した酸性の剥離剤。その成分の何がいけなかったのか、鼻を突く酸っぱい臭いがコナーの人工皮膚に染みついてから、かれこれ数日。
 これ以上、放置しておくわけにもゆかず、俺はコナーを自宅に連れ帰った。
 複数の署員から苦言を呈されても、コナーが頑なに署内のシャワーを拒んだためだ。
 風呂に入る入らないの押し問答の末、どうやらコナーは入浴という経験がないのだと気づいた俺は、少々意地になっていた。
 自分は経験もないくせに、酔った俺に冷水のシャワーを浴びせたとは、いい度胸だ。
 ここは是非とも、ひよっこのアンドロイドに、あの時の俺と同じ驚愕を味わってもらおうか。
 ひそかに勢いこんだ俺の企みは、だが、あっさりと頓挫した。
「スモウ――うわ、ちょっと待って」
「あっ、おい。俺の腕を引っ張るな!」
 遊んでもらえると思ったのか、喧嘩を仲裁するつもりだったのか、全力で飛びこんできたスモウに押され、二人もろとも湯をはったバスタブに盛大にすっ転んだ。
 最悪だ。俺は背中を強打して咳が止まらなくなったし、コナーの奴はバスソープの泡を飲んで分析してしまったらしく、しばらく口が半開きのまま、片言でしか喋れなくなっていた。
 ひゃんく、と情けない顔で呼びかけたコナーに、俺はうんざりして言った。
「―――こうなったら、全員まとめて丸洗いだ。スモウ、お前もだからな。覚悟しろよ」

 

 ずぶ濡れの俺達をつないでいた、あのくだらない連帯感を、新しいコナーはもう覚えてはいないだろう。
 転送されず、置き去りにされたアナログの思い出。
 コールの最後の姿がデータにはないように、デジタル化できなかった『なんとなく』が、コナーの記憶から消え失せてしまったとしても。
 そいつは今でも、俺とスモウの中に残っている。

 

 午前八時。柄にもない早起きで出勤した俺の姿に、署の連中は遠巻きにざわめいたが、俺は無視してデスクについた。
 ひび割れた青白い結晶体を、枯れたイロハモミジの隣に並べて置く。
 新機体のRK800が配備されるまで、あと一時間。
 あいつに言うべき言葉は、すでに決めていた。