魂の駆動体

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 両足の指が床に接地すると同時に、頚椎のアームが解除され、僕はラボに降り立った。
 起動直後の動作テストをクリアし、設定されたタスクを優先度の高い順にスクロールする。
 デトロイト市警での任務。変異体の追跡と捕獲、および調査。前任者から引き継いだ案件を確認し、リストの末尾に記された一行に僕は首を傾げた。

 

>>>> アンダーソン警部補から借りた本の匂いを嗅ぐこと。

 

 サイドテーブルに、真新しいアンドロイドの制服一式が置いてあった。
 その横に、キャリブレーション用の硬貨が一枚。古びたペーパーバックが一冊。
 日に焼けて色褪せた表紙に興味をひかれ、その本を手に取ってみた。

 

 すん、と鼻先を寄せて匂いを嗅ぐ。
 センサーに反応は無し。危険な化学物質は、特に検知されなかった。

 

『電子書籍ってやつは、紙の匂いも嗅げねえ』
『それに、ページも色褪せないだろ』

 

 自動的に想起されたメモリーに、僕は目を見開いた。
 今のはいったい何だろう?

 

 すんすん、と続けて吸気を繰り返す。
『お前に匂いがわかるなら、俺がこんな目にあうはずもないしな』
 うなるような声の調子。白髪まじりのウェービーヘアから、ぽたぽたと落ちる水のしずく。

 

 すん、すん、すん。

 

『自分を機械だといってる奴には、風情や情緒なんて分からないだろうがな』
 夕陽に染まるデトロイトの街並みと、片頬を上げて皮肉に笑う横顔。
『くやしいなら何か読んでみろよ。今度、貸してやるから』

 

 すん、すん、すん、すん。わけがわからない。

 

 バスソープの解析結果。採取地点はアンダーソン家のバスルーム。
『こうなったら、全員まとめて丸洗いだ。スモウ、お前もだからな。覚悟しろよ』
 しょんぼりと尻尾をたれるセントバーナード犬。はじける石鹸の泡。

 

「――――――……ハンク………スモウ……」
 再生されるメモリーに異常はない。記録された日時、映像と音声、付随する解析データ、全てが正しく保存されている。
 なのに、何かが不足しているような――…でも、いったい何が?

 

 

 >>>> ハンクに会いたい。_■

 

 不意に、ひと連なりの文字列が生成され、最優先タスクとして浮上した。
 彼に会えば―――この喪失感は消えるのだろうか。

 

 

 服を着ることもなく立ち尽くし、すんすんと鼻を鳴らす僕の行動を、システムエラーと勘違いしたサイバーライフの研究員が介入するまで、僕は本の匂いを嗅いでいた。
 結局、何の成分も検知されないまま、仕方がなくタスクの実行を終了する。
 デトロイト市警への着任は、本日午前九時を予定。
 過度の飲酒で遅刻さえしていなければ、そこで警部補に会えるはずだ。
 身支度を整え、僕はラボを後にした。