魂の駆動体
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アンドロイドは時刻に正確だ。特に、コナーやRK900は何が楽しいのか、一秒の遅滞もなく行動することを喜んでいる節がある。身に備わった高い演算機能を活用せずにはいられない、俺からすれば貧乏性ともいえる勤勉さが、アンドロイドの美徳であるらしい。
そんな訳で、後任のRK800は午前九時きっかりにデトロイト市警へとやって来た。
昨日までのコナーとは明らかに違う、まっさらな無表情。
人工物そのままの、完璧なデフォルトの顔。指の先まで整った、硬質な立ち姿。
新しいコナーはフロアの入り口で足を止め、周囲を見渡して微かに首を傾けた。
「ああ、おはようコナー。昨日は大変だったな」
コナーに気づいたクリスが自席から声をかけた。
「おはようございます、ミラー巡査」
クリスに挨拶を返した瞬間、デフォルトの無表情はあっけなく崩れ去った。
つい、と首を回して、コナーは隣の席のギャビンに話しかけた。ギャビンが中指を立てて応じると、肩をすくめて踵を返し、今度はRK900と額をつきあわせて言葉を交わす。
パズル、と唇が動いたのが見えた。
黙って首をふるRK900に、コナーは気落ちした様子でLEDリングを明滅させた。どうやら、例のおかしなパズルに誘って断られたらしい。
通りがかったベンに、夜勤明けのウィルソンに、顔馴染みの署員に声をかけられるたび、コナーは相手の情感を写しとる鏡のように、柔らかく表情を変えた。
入り口から俺のデスクまでの、わずか十数歩。
フロアを横切る短い距離の間に、新しいコナーはあの『社会に溶けこむ間抜け面』を完全に取り戻し、小さく口角を上げて挨拶した。
「おはようございます、アンダーソン警部補」
ぎこちなく片頬をつり上げる、左右非対称の微笑み。その表情のつくり方を、コナーは俺から学習したのだと指摘したのは、誰だったか。
「残念ながら、前任者は破壊されました。ですが、メモリーは全て転送済みです。捜査に支障はありませんので、どうかご心配なく」
なにが、ご心配なく、だ。
捜査に支障がなくとも、言ってやりたい文句は山ほどあるが、とりあえず、今はいい。
あいもかわらず笑顔の下手くそな、旧くて新しいアンドロイドの相棒に、俺は最初に言うべき言葉を告げた。
「昨日は、お前のおかげで助かった―――おかえり、コナー」
俺の目をのぞきこむように、じっと視線をあわせたコナーは、俺の瞳に何を見たのか、やがて静かにうなずいた。
不器用な笑みが、ゆっくりと形を変え、前任者が最後に見せた表情をかたどる。
「ただいま戻りました、ハンク。あなたが無事でよかった」
晴れやかに両頬を上げ、コナーは今度こそ綺麗に微笑んだ。
おかえり、コナー。
デトロイト市警に足を踏み入れると同時に、メモリーの編纂を開始したソーシャルプログラムは、アンダーソン警部補の言葉を最後に更新を完了した。
再構築された情報は、1バイトたりとも量を増減していない。
なのに、何かが――データではない何かが、起動時に感じた喪失を、パズルの最後の一片のように正しく埋めて補完した。
はじめまして。ただいま戻りました、ハンク。
あなたが無事で、本当によかった。
僕は、捜査補佐専門モデルRK800『コナー』――――…あなたの相棒です。
「貸して下さってありがとうございました、警部補」
与えられた席に着き、デスク越しにペーパーバックを差し出すと、僕に貸した事を今さら思い出したようで、ハンクは険しく寄っていた眉を開いた。
「で、どうだった。感想は?」
「そうですね、特に危険な化学物質は検知されませんでした」
「何だって?」
あんぐりと口を開けて、ハンクは僕を見た。
「まさか、読んでないのか?ずっと本の匂いを嗅いでいたとか言うんじゃないだろうな」
その通りなのでうなずくと、ハンクは両手で顔を覆いぐったりと天を仰いでしまった。
僕は、ハンクを落胆させてしまったのだろうか。
そわそわと落ち着かない気分が電子脳を支配して、居ても立ってもいられなくなる。
「内容は電子版からテキストデータをダウンロードしたので、ちゃんと把握していますよ。あのう……ご希望でしたら暗誦も可能ですが」
「そういう問題じゃないだろ。匂いとはな――まいった、道理でスモウと気が合うわけだ」
機械というより犬か猫だな、と呆れかえるハンクに僕は反論した。
僕はただの機械であって、スモウは由緒正しい生き物であるセントバーナード犬だ。スモウの名誉のためにも、ここははっきりと抗議せずにはいられない。
だというのに、ハンクは僕の言う事を右から左に聞き流して、まったく耳を貸してくれなかった。十五分にわたる異議申し立ての末、僕はあきらめてハンクに言った。
「確かに、警部補の期待には応えられませんでしたが、何もなかった訳ではありませんよ。匂いを嗅ぐたびに本を借りた時の――あなたが頭からびしょ濡れで不機嫌だった映像や、スモウが振った尻尾のリズムが、自動的に想起されるうようになりましたから」
せっかくハンクが本を貸してくれたのに、成果がたったこれだけとは、最新鋭のプロトタイプが聞いてあきれる。
肩を落とした僕に、ふっとハンクが吹きだした。
「なんだよ、ちゃんと読めてるじゃないか」
ニヤニヤと、面白がるように僕を見る。
「それが、お前がアナログだと馬鹿にしてる紙の本の良いところだよ。思い出ってやつさ」
「思い出、ですか。メモリーの自動想起が?」
「本に限ったことじゃないけどな。何かを手に取って懐かしむのは、いいもんだろ」
ハンクが言うほど、僕はアナログを馬鹿にした覚えはない。それでも、プログラムにはない挙動の正体を、ハンクが知っていたのは驚きだった。
「―――これが、思い出………」
僕は、そっと隣のデスクを盗み見た。
過去の事件を伝える新聞の切り抜き。ギアーズのキャップ。枯れたイロハモミジ。
ハンクのデスクを彩る思い出の品に加えられた、前任者の最後のパーツ。
これを手にするとき、ハンクはどんなメモリーを想起するのだろう。
アンドロイドは機械だ。
シリウムを循環し、人間を模して動くプラスチックの駆動体。
テセウスの船が、自己同一性を他者の視点に委ねるように、造られた僕も自分が何者であるかを自分で決めることは出来ない。
魂のないプラスチックの駆動体に、そう在れと魂を宿すのは人間だ。
だから、ハンクさえ無事なら、何度壊れようとも僕は僕でいられるのだという事を――当の本人は全然わかってくれないけれど。
朝日が差しこむデスクの上で、彼を守り通して砕けた結晶体は、青く光を弾いて輝いていた。
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