魂の駆動体
( 6 )
ハンク・アンダーソン警部補が嫌いなものは、世に数多くある。
生のウィスキーを薄める氷。贔屓のチームの負け試合。二日酔いの頭に響く、情け容赦のないモーニングコール。Lサイズのソーダに対する無粋なカロリー計算。強引に窓から家宅侵入する相棒。心の機微に疎いアンドロイド―――…つまりは、だいたい全部が僕へのダメ出しだ。
ハンクは日頃、僕が情緒を理解しないと、事あるごとに文句を言う。僕がハンクから紙の書籍を借り受けたのは、それが間違いだと証明するためだった。
「僕にも理解できましたよ。要するに紙の書籍の楽しみとは――」
昼も間近、途切れなく舞いこむ通報に、あわただしく活気づくDPDのオフィスフロア。
これまでの会話履歴から推論をたて、僕は解答を述べた。
「匂いをトリガーとしたメモリーの自動想起とテキストの組み合わせにある、という事ですね」
どうです?と胸をはった僕に、ハンクはデスクの向こうで長々と息を吐いた。
「ったく、風情もへったくれもないな。まあ、お前らしいといえば、お前らしいが」
………あれ?
予測とは違うハンクの反応に、僕は戸惑った。見ればフロアの反対側で、RK900までもが肩をすくめていた。
「―――……ハンク、もしかして僕を馬鹿にしてませんか」
ハンクはキーを打つ手を止め、ひねくれた視線を横目で僕に投げた。
「いいや、俺の教え方がまずかったと反省してるところだよ」
「やっぱり、馬鹿にしているんですね」
「そう思うんなら、お前、今度の非番に俺の家に遊びにくるか?もう一度、何か読んでみろよ」
「えっ、あの、遊びに行って………いいんですか?」
「ああ、お前が来ればスモウも喜ぶ」
「わかりました―――では、スモウと一緒に次の本を選んでみます」
ハンクの家に遊びに行く。その一言で、僕の頬はゆるんだ。
今の表情はプログラムにはないモーションだ。それでも、僕はこの浮ついたエラーを止められなかった。
喜ぶ僕に目を細め、ハンクは少しだけ唇の端を持ち上げて、笑った。
「ま、自動想起のトリガーとやらを、もう少し増やすのも悪くはないだろ」
『思い出』のトリガーは、紙の書籍(アナログ)である必要はない。おそらく電子書籍(デジタル)であっても、同じように想起することが可能だろう。でも、それを口にするのは止めておいた。
ハンクが笑ってくれたのだ。機嫌を損ねるのは得策じゃない。
僕は、できるだけ澄ました顔でハンクに言った。
「次の非番が楽しみです、ハンク」
ソーシャルプログラムは、今日も正常に稼働中だ。
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