とじめやみ




[ 2 ]



 早朝、女が一人、捕らえられた。
 その女は乳飲み子をかかえて路頭に迷っていたところを、お端仕事に雇い入れた者で、母屋への立ち入りを許されてはいなかった。
 にもかかわらず、枝折り戸で区切られた母屋の奥庭をうろついている所を見咎められ、事は露見した。
「すまない、秀吉。僕が迂闊だった」
 女の袖から発見された杉原紙を、ぱん、と忌々しげに弾いて半兵衛は言った。
 紙には油煙で奇怪な記号が書きつけられていた。くさび形の符号ひとつにつき、数を示すであろう棒線が何本も並んでいる。
「忍び文字か」
「おそらくはね。子連れで間諜はつとまらないと、たかをくくった僕が甘かったよ」
 子連れ女は諜者になれない。状況などお構いなしに赤子は泣き、笑う。隠密をもってよしとする活動にはおよそ不向きであり、色仕掛けにも差し障りがある。長期にわたり土地に根付き、潜むものでもない限り、間諜にはなりえないのだ。
 外囲いのすみに建つ小さな土蔵の前で、秀吉は顔をしかめた。
 厚い扉の向こうから、間断なく悲鳴が聞こえる。
「いずれの手の者だ」
「さてね。この記号の数から察するに、探っていたのは僕らの兵備だ。今更そんなことを探るような敵は、近くにはいないよ。おそらくは、豊臣の噂を聞きつけた、遠方の勢力だろう」
「吐かせるだけ無駄か」
「そうでもないよ」
 二人の会話をさえぎって、裂音が鳴り響いた。土蔵の中からだ。
 捕らえられて半日。女に対する責め問いは、緊縛、水責め、笞打ちを繰り返している。
 ひゅうと空を切る竹笞の続けざまの打擲は、淡々と規則正しいだけに無慈悲に響いた。
 一打。二打。
 総毛立つような鋭い響きに耳をかたむけ、ふいに、半兵衛は口を開いた。
「秀吉。君は、責め問いに屈した者が語る言葉は、真実だと思うかい?」
「真実でなくば、責め問う意味がなかろう」
 そのために、多大な労力をかけて拷問するのだ。一見して凄惨な責め問いは、その実、一刀で首を刎ねるより難しい。死にも等しい苦痛を与え、なおかつ死に至らしめないためには、相当な技術と力を要した。
「―――そう。そうだね……」
 秀吉の答えに、半兵衛は抑揚のとぼしい声音でつぶやいた。
「半兵衛?」
 ほんの一瞬、放心したように表情を失った半兵衛は、ゆっくりと秀吉を振りかえって、言った。
「戦の支度をしてくれ、秀吉」
「何だと?」
「明朝には打って出よう。彼らも、まさか僕らが今この時期に攻めてくるとは思わないだろう。たやすく勝てるよ」
「待て、半兵衛。いったい何の話をしておるのだ」
「もちろん、戦の話だよ。君も、そろそろあの同盟は破棄するべきだと言っていただろう?」
 そう言って半兵衛が挙げた名は、小なりとも勢力のある近隣の城主のものだった。同盟といっても、せいぜいが相互不可侵の口約束であり、いつかは兵を争うことに間違いのない相手である。
「だが、口実があるまい」
 渋い顔をした秀吉に、半兵衛はやんわりと微笑んだ。
「あの女は間諜ではなく刺客だ。君の首を狙って捕らえられ、雇い主の名を吐いた。これ以上の理由があるかい?」
「しかし……」
 半兵衛の意図は理解できる。いずれ裏切るか裏切られるかの関係である以上、嘘でも大義名分が立つだけまだましだ。だが、濡れ衣を着せての出兵となると、兵の士気にかかわってくる。どれだけ口止めをしようとも、土蔵の牢には幾人もの兵がいるのだ。
 豊臣には譜代の臣がなく、軍勢としての日が浅い。後に兵の離心を招くような禍根を残すべきではなかった。
「責め問いの苦痛から逃れるため、人は真実を口にする。そうだろう?」
 迷う秀吉を見上げて、半兵衛は笑みを深めた。薄い唇が、ゆるやかに艶めいた弧を描く。
 もとが秀麗な容姿なだけに、嫣然と微笑んだ面差しはとろけるように甘い。
「大丈夫、女はちゃんと吐くよ。君は戦の支度を進めてくれ」
 提示された策の悪辣さよりも、その表情に、秀吉はぞくりと背筋を震わせた。
 
 閨で身体を開く時と、同じ目をしている。

 どろどろと滾る底無しの闇の色。すべての感情が蕩けてまじりあった、得体の知れない瞳。
 見てはいけないものを盗み見たような気がして、秀吉は目をそらした。
「あの女の子供はどうした」
 土蔵の扉に手をかけ、半兵衛は振り返らずに答えた。
「死んだよ。捕らえられる寸前に、女が自分で岩に叩きつけた」
 そのまま、半兵衛の後ろ姿は土牢の奥の深い闇へと呑みこまれて消えた。
 厚い扉が閉ざされる。
 策は、さだめられた。



 翌朝、暁闇の頃に兵を発した豊臣軍は、またたく間に川を下って進軍し、城を攻め落とした。
 あまりにも鮮やかな速攻に、抵抗らしい抵抗も示せぬまま、城主とその一族は刃にかかって死に絶えた。
 戦は、一両日のうちに終決した。
 







 戦の余韻は醒めやらず、夜半を過ぎても屋形は奇妙にざわついていた。
 宵の闇に、ぬるくよどんだ風が吹く。
 部屋の隅、ひとつだけ灯した手燭を背に、半兵衛はうずくまっていた。
 ぴちゃり、と濡れた音をたて丁寧に舌を遣う。
「………ん、ふ………」
 舌先からそれた先端を追い、頬をすりつけるようにして唇で男根を持ち上げる。
 閨のなかで、手を使うことはあまりない。
 獣のように這いつくばって舐めるものと仕込まれた。手淫を覚えたのは、かなり後のことだ。
「半兵衛……」
 秀吉が名を呼んでいる。顔を上げずにゆっくりと頬張ると、頸骨をたどるように首の後ろをそっと撫でられた。
 ぞく、と痺れるような感覚が、背筋を駆けのぼる。
 舌の上で喉の奥で、次第に硬く張りつめる秀吉を感じて、半兵衛は深々と息を吐いた。
「半兵衛、少し待て」
 舐めながら吸い上げようとしたところを、秀吉にさえぎられる。唇をゆるめると、ずるりと喉から引き抜かれた。
「…ん………秀吉…?」
 だらしなく開いた唇から、透明な糸をひいて涎が零れた。それを太い指でぬぐわれて、そのまま顎を捕らえられる。
「少し痩せたか?」
「そう?そんなことはないと思うよ」
 秀吉は疑うように眉根をよせた。大きな手で、半兵衛の顔を包みこみ、頬の丸みを確かめる。
 その手の上に手のひらを添えて、半兵衛は笑った。
「このところ、戦続きで忙しかったからね。君も疲れただろう」
「ならば、今夜は……」
 やめておくか、と言いかけた秀吉の口を、半兵衛はそろえた指で軽くふさいだ。
「ここで止めて、眠れるのかい?」
 秀吉を見上げる瞳が、灯火を映してゆらゆらと妖しく光る。
「……後で嫌と言うても、止められぬぞ」
「好きにするといいよ。君の望むだけ、いくらでも」
 囁く声での、密やかな押し問答。
 目と目を見交わし、小さく笑う。唇を重ね、互いの口中をむさぼりながら、ゆっくりと床に倒れこんだ。ひんやりと冷たい床板に、身がすくむ。
 粟立つ素肌をなだめて、秀吉の厚い舌が胸を這いまわる。淡い尖りを執拗になぶられ、半兵衛は喘いだ。
「…………っ……!」
 かろうじて息を飲み、声を殺す。
 突端の過敏な皮膚に血が集まり、硬くしこっているのが自分でもわかった。
 身体の奥から、じんわりと甘い疼きがこみあげる。
 左右の胸を交互に愛で、ようやく秀吉は唇を離した。息を乱した半兵衛に、満足そうな笑みをちらと浮かべる。
 いったん身を起こし、半兵衛の足首を掴んで高く掲げる。その姿勢のまま、秀吉は半兵衛の身体を二つに折った。
「くぅ……っ……」
 胸につくほど深く膝を押しこまれて、半兵衛は呻いた。あられもなく宙に開いた両脚の間に、半ば勃ちあがった己自身が見える。その向こうに、こちらを覗きこむ秀吉の顔があった。
―――見られている……
 勃ちあがりかけた欲の証が滴り、濡れた淡い茂み。その後ろの秘孔まで。
 秀吉の眼前に、すべてが剥きだしになっている。
―――あさましい
 己が演じるその痴態に、頭の芯がかっと熱くなった。身体中が歓喜に震える。
 閉じた瞼の裏から、涙があふれて目尻をつたった。
 ひたり、と秀吉が舌を押しあてる。
 そそり立つものを裏側から舐めあげられて、半兵衛は腰を浮かせた。
「…ひ……秀吉、君はそんなことしなくてい……っ……ぁ」
「好きにしろと言ったのは、お前だぞ。半兵衛」
 男と交わるのは、本当に初めてだったのだろう。秀吉は、半兵衛の舌遣いをそういうものだと覚えこんでしまった節がある。
 自業自得とはいえ、男の官能をくすぐる技に半兵衛は身悶えた。
 喰いしばった歯の間から、わずかに声が漏れる。
 何故だろうか。
 秀吉と交わると、いつも胸の奥が締めつけられるようで、いたたまれなくなる。
―――見ないで、
―――こんな僕を見ないでくれ
 それほどまでに、この快楽は堪えがたい。
 何度も裏筋をたどり、しゃぶり尽くされる。濡れそぼるまで弄られて、ようやく舌先が最奥の窄まりへとたどりついた。
「…………………」
「つらいか?」
「………………」
 息が上がり、声が出ない。視界が曇り、天井がぼんやりと滲んでいる。
 ほろほろと涙を流す瞼と頬が、異様な熱をおびていて苦しかった。
 答えない半兵衛を、是と受けとめたか否と受けとめたか。
 秀吉は、しとどに濡れた窄まりのふちに指をかけた。くすぐるように馴染ませて、やんわりと指先を埋める。
「……ぅあ………」
 身の裡にもぐりこんだ異物の感覚に、半兵衛は声をあげた。
 力の入らない腕を持ち上げ、指を噛む。
 こうしていないと、おかしくなってしまいそうだった。この慰めは秀吉の為のものだ。おのれの歓びの為では決してない。
―――ああ……
 ゆっくりと穴を拡げられてゆく汚辱感に、気が遠くなる。
 奥へ奥へと触れることを愉しむ指の動きが、たまらない愉悦をかきたてた。
 頭の中が、白く霞む。
―――駄目だ……
 秀吉が何かを言っている。声が何重にもこだまして、言っていることがよく分からなかった。
 奥を責め立てていた指が抜かれ、かわりに、ずん、と重いものが埋め込まれる。
「…………………―――ぁ」
 全身に甘い痺れが走った。なにかがおかしい。
 噛みしめた指から血の味した。鉄錆のにおいが生温く鼻孔を突きぬける。
 気持ちがいいのか悪いのか。
 相反する感覚が交じりあい、何も考えられなくなる。
 身体を裏返し、体位を変えられた。うつぶせた額が冷たい床を擦る。蕩けた手足の代わりに、秘孔に呑み込んだ熱い塊が腰を高くささえた。
 おしこむように深くまで挿れ、ぎりぎりまで抜く。
「あっ……あ…」
 えも言われぬ律動に、半兵衛は喘いだ。噛んでいたはずの指が何処にあるのかも、わからなくなっていた。
 声が、漏れる。
―――あさましい
―――いとわしい
 それでも、この身体は歓んでいる。
―――秀吉、君は
「ああっ、んっ……っぁ」
―――責め問いに屈した者が語る言葉は、真実だと思うかい?
 激しく突き入れられ、ぐらぐらと世界が揺れる。
 もう、抑えきれない。
「あ、あああ―――――…………!!」
 堰をきってほとばしる真実に、甲高く啼きながら半兵衛は果てた。



 心ゆくまで友の身体を愉しんで、秀吉は身を起こした。
 傍らに寄り添う白い肢体は、絶え入るように瞼を閉じている。
 汗と体液にどろどろに汚れて褥に横たわる様は、凄艶の一語につきた。
 さんざん舐めては弄ばれ、紅く腫れあがった情痕が痛々しい。
「………すまぬ。やりすぎた」
 この夜、半兵衛はひどく乱れた。狂おしく何度も善がり声をあげて尽き果てた。
 その箍の外れた淫らさに、歯止めがきかなくなった感は否めない。
「大丈夫か?」
 軽く身体を拭き清め、脱ぎ散らかしたままの肌衣を着せかける。
 くるむように抱き上げると、腕の中で半兵衛がうっすらと目を開いた。
「………ん………」
 二度、三度、まばたいて身じろぐ。
 秀吉を求めて、指先が宙をさまよった。ほっそりとした人差し指に、乾いた血がこびりついている。
「噛むなと言うておろうに」
 皮膚を食い破った小さな傷に、秀吉は顔をしかめた。
 半兵衛は、掠れた声でくすりと笑った。
「……そうだね、こんな事をしたって意味がない………僕は」
 力無く、差しのべられた手が落ちる。
「半兵衛?」
 半兵衛の視線は、何処とも知れない虚空を見ていた。
 目の焦点が合っていない。
 やがて、くつくつと喉を震わせ、半兵衛は笑い出した。
「半兵衛、どうした。――半兵衛?」
 どこか異様な笑い方に、不安がよぎる。
「……ふふふふふ………あは、はは……」
 身をよじって、半兵衛は笑い続けた。
 何が可笑しいのか、涙を流しながらけたけたと喉を鳴らす。
「半兵衛!」
 虚ろに笑い続ける半兵衛を抱きしめて、秀吉は驚いた。
 情事の最中には気がつかなかったが、額や首筋が燃えるように熱い。
「しっかりしろ、半兵衛!半兵衛!」
 頬をたたくが、まるで反応がない。
 息が尽きるまで笑い続けて痙攣をおこし、半兵衛は意識を失った。




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