「やれやれ、卿は変わらぬな。一度、主の首をすげ替えただけでは飽きたらぬのかね」
顔を見るなり放たれた、含み笑いの一言に半兵衛は顔をしかめた。
古い寺院の朽ち果てた礼拝堂。異教の民のおとずれさえ途絶えた廃墟の薄闇に、魔術師はたたずんでいた。
「貴方の戯れ言につきあうつもりはない」
「そのつれなさも、相変わらずだ」
低く揶揄する魔術師の声は、どこか耳に心地よく、蠱惑的な響きを帯びている。
ゆえに、魔術師との取引は危険だった。心の隙に忍びこむ巧みな虚言に、これまで幾人が命を落としたことか。
けれども今は、この男の力が必要なのだ。
「―――これで、贖えるだけの呪いを買いたい」
ふちの欠けた祭壇に、革袋をのせて短く告げる。
「ほう、これはこれは……」
ずしりと重い革袋を取りあげ、魔術師は片眉をあげた。
「知っているかね?近頃、都では娘を召し上げられまいと、役人に賄賂を送るのが流行だそうだ。家財道具を売り払ってかき集めた金貨の重さが、そう、ちょうどこのくらいか」
「……戯れ言につきあうつもりはないと、言っているだろう」
にやりと嬲る笑みを浮かべ、魔術師はうそぶいた。
「金額の問題ではない。何事も、その価値を決めるのは誠意の有無だ。違うかね?」
「………………」
「来たまえ。卿の望みは分かっている」
魔術師は背を向け、礼拝堂の奥へと誘った。長い回廊を抜け、埋もれかけた階段から地下へと降りる。
地下の石室には、奇妙な甘い香りが漂っていた。
四隅にしつらえた香炉から、紫煙が細く床を這う。重く淀んだ香気に、痺れるような目眩をおぼえて半兵衛は額をおさえた。
「ここは……?」
「墓所だ。卿らが都を興すより遙かな昔、ここには別の都があった。炎とともに滅んだがね」
ひと息、吸うたびに膝から力が抜けてゆく。よろめいた身体を、魔術師の腕が捕らえた。
「おや、卿にはいささか刺激が強すぎたようだな。まあいい、卿の棺はすぐそこだ」
「……何を……」
問いかけは、ほとんど声にはならなかった。甘く気怠い痺れが身体を支配し、指ひとつ動かせない。
動かぬ身体を抱き上げた、魔術師の衣からは火薬の匂いがした。
半兵衛の知る限り、この魔術師は三度、主を裏切り爆炎に消えている。そのたび、何食わぬ顔で再び姿をあらわす不可思議に、かの魔術師は不死の香炉を持つのだと噂されていた。
過去に都を滅ぼしたという業火も、おそらく、この魔術師の仕業だろう。
石の玄室の中央には、三つの石棺が並んでいた。
その一つに半兵衛を横たえ、魔術師は愉しげに言った。
「右隣の棺を見るがいい。あれが、今夜、卿の力となる乙女だ」
言われるままに、冷たい石棺に頬をつけて横を向く。隣の石棺には少女が一人、横たえられていた。遊芸の民なのだろう、艶やかな衣装に身を包み、丸みを帯びた琵琶(ウード)を抱えた少女は、しかし、
―――死んでいる……
見開かれた瞳に光はなく、首がありえぬ角度に折れていた。
「卿はこれから、太陽が死に、あらたに産まれるまでの間、死者の力を身にまとう」
頬をなで、襟のあわせをほどいて、魔術師の手が肌にすべりこむ。
身を汚されると悟り、半兵衛は目を閉じた。その諦念を、魔術師が嘲笑う。
「卿の献身にはつくづく感心させられるな。それほどまでに、彼が大切かね?それとも……」
するりと帯を解き、露わになった肢体に唇が這う。
「守りたいのは都かね?卿らが求めた理想の都に、仇なす者は他ならぬ王自身だ。卿がどちらを選ぶのか、実に興味深い」
甘い瘴気が肺に満ちて、喉が詰まる。
ゆるやかに落ちてゆく意識のなかで。
最後にすべりこんだ魔術師の言葉が、重く耳の底に淀んだ。
「王と都、彼と卿。最後の棺に、納まるべきは誰なのか。せいぜい選び損ねぬことだ」