さっと座に緊張が走った。
居並ぶ女たちの視線の先で、半兵衛は静かに琵琶を置き平伏した。
「大臣のお許しを得て、姫君がたの無聊をおなぐさめに参上いたしました」
「ほう、半兵衛がか」
豪奢な刺繍の夜着をだらりと羽織り、王は気怠げに目をほそめた。
酔っている訳ではないようだが、まとう気配がひどく荒んでいる。
――これが、あの秀吉なのか……
炎に透ける紅い瞳には、何の感情も浮かんでいない。昼間、王宮で快活に政務を行い、その威厳と力で兵を率いる王とは別人のようだ。
「顔を上げよ。名は何という」
なぜか、背筋を冷たい汗が伝う。そろそろと面をあげ、半兵衛は用意した名を告げた。
「シャハラザードと申します」
「……ふん。『シャハラザード(都の解放者)』とは大層な名だ」
わずかに不快の色をにじませて、秀吉は呟いた。
「よかろう。今宵の伽はそなたに申しつける。―――来い」
「わたくしが、ですか」
半兵衛は焦った。市中に流れる噂の根源は、間違いなく人質として後宮に集められた諸族の姫たちの誰かだ。
楽士として近づき、情報を集めるつもりが、これでは逆効果でしかない。
事実、助けをもとめて見渡した女たちの視線は、おそろしく冷ややかだった。
「どうした」
広間の扉の前で、秀吉が振り返る。
「いいえ……」
琵琶を強く抱きしめ、半兵衛は立ち上がった。
「王の御心のままに。……今、参ります」
王が眠る支度の合間に、半兵衛は寝台の枕辺にはべり、琵琶の弦をととのえた。
ほろん、と哀愁をおびて響く音色に、王が口をひらく。
「そなたは、何の曲が得意だ」
「何でも……外つ国の珍らかな曲から、恋の詩、祭りの調べ、子守歌でも、お望みのままに」
「それはいい」
支度を終えて退がる侍女を横目に、王は笑った。寝台に身を横たえ、深く息をつく。
「そなたの弦で、我を眠らせてみよ」
手を止め、半兵衛は目をまばたかせた。
「子守歌?」
「そうだ」
それきり、瞼を閉ざしてしまった王に、とまどいながらも半兵衛は琵琶をつま弾いた。
一音、長く。次いで低く。ゆっくりと音を重ね、穏やかな旋律をつむぎだす。
――今夜は、これで終わるのだろうか。
伽を命じられた時には、これまでの乙女たちと同様の末路を迎えるかと、覚悟をしたが。
今のところ、秀吉がこちらに手をだす気配はない。
奏でる調べは何度も同じ旋律をたどる。単純で美しいメロディが、幼い子をあやすように、引いては寄せて流れてゆく。
やがて、円窓のむこうで月がかたむく頃。
最後の余韻をのこし、曲は終わった。
そっと王の寝息をうかがい、半兵衛は安堵した。王は眠ってしまったようだ。
静かに座をはらい退出しようとした、その時。
不意に背後から抱きすくめられ、視界が反転した。
「――いッ、た……」
「我はまだ眠ってはおらぬぞ」
強い力で寝台に放り投げられ、半兵衛は呻いた。重く身体にのしかかる、秀吉の紅い瞳に背筋が震える。
「やめて……」
「途中で止めた、そなたが悪い」
引きちぎるように衣装を剥ぎとられ、身がすくんだ。乱暴に広げられた胸元から、なめらかな下腹までがあらわになる。
そこにあるのは、まごうことなき女の身体だった。
まろやかな乳房はまだ若く、つん、と天を向いている。その頂点を、秀吉の唇が荒々しく食み、半兵衛は悪寒に身を震わせた。
「う…ぁっ……」
気味が悪い。自分の身体にもかかわらず、身に受ける未知の感触は、まるで他人事のようで目眩がした。
肌をむさぼる男の指が、ただただ怖ろしく、必死でもがく。
身をよじるたび、柔らかな胸の丸みが、下腹の淡い茂みが、固い男の肌と擦れあった。
「…………な、に?」
ふいに、秀吉が力をゆるめた。
足首を高く持ちあげられる。大きく開いた脚の間に、張りつめた塊を感じて半兵衛は息をのんだ。
「ゆるして、ゆるしてください……どうか」
懇願の声に耳をかさず、秀吉は腰をすすめた。かたくなに閉じた処女の門を、強引にこじあける。
「……いや、あっ、ああぁぁ!!」
突き込まれた灼熱の痛みに、悲鳴が喉をついて。
「――――――――――!」
覚えているのは、そこまでだ。
今宵も、雅やかな輿を先頭に、後宮の裏門がそっとひらく。
しずしずと無言の行列をなす宦官たちの表情は、月影に隠れて読みとれない。
輿の上に横たえられ、半兵衛はぼんやりと考えた。
これから、自分は人知れず裏庭に埋葬される。
あの四阿の下で、自分の遺骸は墓守に引き渡され、暗い土の下へと埋められるのだ。
墓標のない墓には、手向けに植えられたヘンルーダの花が、ほろほろと黄色い花房をこぼすだろう。
乙女の屍体は、美しい布で丁寧に巻かれていた。
それを、うやうやしく四阿のテーブルにのせて、宦官たちは帰って行った。
入れ替わり、墓守の足音が近づいてくる。
そこで、ふと、半兵衛は気がついた。
墓守たる自分が此処にいるのに、誰が自分を埋葬するのだろう。
近づいてくる足音。ざらざらとした砂のように暗い衣装。そのフードの影から、紫の仮面が―――
「―――……!」
半兵衛は跳ねおきた。心の臓が早鐘をうっている。
夜明けの四阿に、他の人影はなかった。まとわりつく屍衣を振りはらい、半兵衛は喉元を確かめた。
「首を……折られたはずだ。なのに生きている……?」
まるで夢をみているようだった。秀吉に貫かれ、なぐさみにされた後、首を絞められて絶命した、はずだった。
頸骨が折れる生々しい音が、まだ耳に残っている。
呆然と、半兵衛は周囲を見まわした。
地平のかなたから、新たに産まれた太陽が夜を駆逐して天へと翔昇る。
まばゆい曙光に照らされて、朝露に濡れた十六の墓標の最後の端で。
「……まさか」
ヘンルーダは無惨に首折れていた。