インナーロジック



 嫌になるほど、団体戦だった。
 1対複数を、団体戦と呼べるならば、だが。
「……ック!」
 ザッ、と風鳴りが耳をかすめた。鋭い蹴り。
「畜生…!」
 罵る間もなく、後へ退く。額の上をよぎる影。ひゅう、と息を飲む自分の喉。
 俺は、囲まれていた。
 圧倒的に不利だった。俺は術師で、肉弾戦は不得手だ。そこらのヤクザ相手ならともかくも、訓練された人間と渡りあえるほどではない。
 じり、と輪が狭まる。
「ちッ」
 汗が目に染みた。口の中で塩の味がする。一発入れられた左肩は、外れちまったようだった。鈍痛に肘まで痺れて動かない。
 何につけ、計算違いはあるものだ。こんな連中が相手なら、もうちっとマシな作戦を立てておくべきだった。
「……はッ、いいのかねェ。こんな所で時間くっちまって」
 返事はない。が、声のない動揺が連中の肩を僅かに揺らした。
「…クク、悪ィが逃がさねェよ」
 嘲笑う余裕なんざカケラも無ェ状況だったが、妙に笑いが止まらなかった。背筋がゾクゾクする。頭の奥が何処か醒める。指先まで白熱する、高揚感。
 悪くない。
「……さぁて、そろそろ散ってもらうぜ」
 構えた掌で、主に仇なす天魔の札が、皓、と輝いた。

 その後、俺の頭ン中には一日の空白がある。

 10月25日。


「……で?そちらは、一体どちらさんだ?」
 俺の言葉は間抜けに響いた。
 軒先の低い古い家屋は、朝なお暗い。光量の乏しい玄関は、疲れ切った俺の目をしょぼつかせた。
 自分の眼球が見たものに、俺はイマイチ自信が持てなかった。
 見慣れたものにも、一応、念を押してみたくなる。
「誰って、如月クンに決まってるでしょお~」
「見たまんまじゃない」
 両脇を固める看護婦と現役モデルが、馬鹿にしたように声を上げた。
 まあ、確かに如月だ。
 漆黒の髪、漆黒の瞳。綺麗に整った顔かたちに、華奢な細い体格。美形の種類は数あれど、如月の容姿は半ば人形めいていた。
 それを文字通り、人形扱いとは恐れ入る。
「何だか知らないけど、朝っぱらから盛りあがっちゃってさ」
 眠そうに欠伸をこらえた緋勇タツマが、奥から顔を出した。
「イヤだっていっても、女の子相手じゃ抵抗しにくかったんだろ」
「なによ、アタシたちが無理やりみたいに」
 睨まれて、首をすくめる。
 俺は正直、気が重かった。
 抑えた色味の銘仙に淡い紫の半襟、同色の紗綾形の帯に冴えた萌黄の帯留め。癖のない短い髪が、留めつけた銀杏の櫛からこぼれ落ち、婀娜っぽい艶が漂っている。
 おまけに化粧までされたのか、いつにもまして長い睫毛に目は潤み、薄く紅を引いた唇が拗ねたように結ばれていた。
 目に毒なくらい、完璧な女装だった。
 その上、絵に描いたような仏頂面だった。
「……よう。帰ったぜ」
 突っ立っていても、埒があかねェ。片手を上げた俺を、
「……………」
 気圧の低い顔で睨んで、如月は返事をしなかった。さもありなん、だ。


 仲間の誕生日を祝う習慣は、あの闘いから数年たった今でも続いていた。
 無論、海外に出ちまったり郷里に帰ったり、職について多忙を極めるようになったりで、全員が祝えるわけではなかったが、それでも結構な人数が祝いにかこつけ集まっていた。
 わけても如月骨董品店は、あの頃からの溜まり場だ。
 ついつい過ごすうち、終電を逃して帰れなくなった事が、そもそもの発端だったのだという。
「女だけで一部屋、離れに泊まらせてもらったのよね」
 藤崎は、茶請けの干し苹果を囓って言った。
 居間に腰を落ち着けて、茶をすする面々から事情を聞きだす。朝食の後らしく、卓には碗がいくつか残っていた。
 眠気の覚めきらねェ顔で、先生が後をうける。
「まあ、藤崎たちだけじゃなくって、オレや京一も泊まったし。如月としては、間違いのないようにしときたかったんだろうな」
 蓬莱寺がいたんじゃ、確かに気を回したくもなるだろう。あの頭には、懲りるという単語が無ェ。
「それでェ~、如月クンがお守り貸してくれたの」
 そのお守りとやらは、常滑焼の招き猫だったそうだ。
「この猫はメスだから、って」
「招き猫に性別なんてあんの?」
「なんか右手と左手、どっち挙げてるかで区別するみたい」
 確かにそんな蘊蓄を、昔、聞いたような気がする。他ならぬ如月からだ。
「結局、何にもなくて今朝、若旦那が片づけに来たんだけど、その時にねぇ」
「倒れちゃったの、如月クン」
 招き猫を手にした瞬間、よろめいた如月を助け起こした姐サンがたは、
「ピンときちゃったのよね。感触で」
 そのまま身ぐるみ剥いちまったのだそうだ。結果、如月の身体が女性に変化していることが判明し、
「そのまま、なしくずしに弄ばれて今にいたる、と」
「なるほどな。それで着せ替え人形かよ」
 尋常ならざる事態にも、動揺しない胆力はさすがというべきか。まったく、あの如月で着せ替えとは豪毅な遊びもあったものだ。
 高見沢が口をとがらせた。
「だって~、可愛かったでしょお~」
 それには俺とて異論がない。男に対して異論がないあたりが、間違っているとは思うが。
「………で?」
 俺が問うと、三人は首をかしげた。
「で?って」
「原因は何だ」
「さあ~」
「オレにはサッパリ」
「招き猫の呪いじゃない?」
 お気楽な返答に、俺は頭が痛くなってきた。肝心な所をさらりと素通りして、呑気に茶をすすっていられるたァ、どういう神経だ。
 おかげで話を聞いても、まるっきり実感が湧かなかった。
 男が女になっちまうのは、結構な一大事のはずなんだが。
「ちなみにね」
 俺を手招いて、藤崎が耳打ちした。
「Bカップと見たわよ。計る前に京一のバカが部屋をのぞいちゃって、龍遡刃でぶっ飛ばしたから、うやむやになったけど」
 道理で、蓬莱寺の姿が無ェはずだ。
 面白がって俺の反応をうかがう姐サンがたに、俺はため息をついて言った。
「その呪いの招き猫とやらは、どこにあるんだ?」
「それがさ……」
 ひしひしと背中に迫る、嫌な予感は的中した。
 顔を見合わせた三人が差し出した、古新聞の上で。
 招き猫は、見事に砕け散っていた。


 その時点で、進退窮まる事態であることは、確定だったワケだ。
 如月にとっても、俺にとっても。


 唖然と口を開けた俺の前に、スッと湯呑みが差し出された。
「如月……」
 台所で洗いものをしていた如月が、いつの間にか俺の隣で盆を提げていた。
 さすがに髪から櫛を引き抜き、袖をたくして、いつもの前掛けを身につけている。
 これが割烹着なんぞだったりした日には、俺はしばらく立ち直れなかったに違いない。
「口を閉じろ、村雨。みっともない」
 呆れたように言う、耳にこころよい低音は、だが完全に女の声だった。
「お前ェ……、大丈夫なのかよ。それ」
「技も放てるようだし、不便は無いよ。むしろ、この格好の方が動きづらくて困る」
「似合ってるのに~」
「それはどうも」
 如月は素っ気なく肩をすくめた。面には出さないが、あいかわらず機嫌はよろしくないようだった。
 まあ、当然といえば当然か。身体が女であろうとなかろうと、本人にとっては女装でしかねェ。
 残った皿と碗を下げ、手早く卓を清めた如月は、いささか乱暴に古新聞を丸めた。
「その招き猫、どうすんの?」
「捨てるんだよ」
 如月の答えは簡潔だった。
「来週の不燃ゴミの日に」
「ゴミ収集に出しちゃったら、祟られない?」
「もう充分に祟られてるだろう。これは、ただの破片。抜け殻だよ」
 きっぱりと断定した、その口調に多少の怒りを感じたか、先生が芝居がかった声を上げた。
「あ、いッけね。オレ今日はバイト早番なんだよな。もう行かないと」
「じゃあ、アタシたちも一緒に帰るわ」
「如月クン、ごちそうさまでした~」
 ちょっと待て。
 そそくさと帰り支度をする三人に、俺は内心あせっていた。
 この落とし前、つけずに帰る気か。
「ああ、お粗末さまでした。気をつけて」
 玄関まで見送りに立ち、如月は手を振った。お愛想なんだろうが、小さく笑みを浮かべた表情は、普段の如月にはない華があった。ギャップの激しさに、目眩がしそうだ。
「じゃあね~」
「またな」
 連中が脱兎のごとく去っていった、その後に。
 俺は一人、如月の隣にとり残された。


「……村雨、むらさめ?」
「あ、ああ?何だ」
 俺は少し、ぼんやりしてしまったらしい。
 如月の顔が、間近に俺をのぞきこんでいた。
「朝食は食べるのか、と聞いたんだ」
「いや、腹は減ってねェ」
 玄関に鍵をかけ直し、如月は矢継ぎばやに訊ねた。
「風呂は?沸かすなら少し時間がかかるけど」
「それもいい」
「なら、布団を敷くまで待っていてくれ。徹夜だったんだろう」
「ああ、頼む。………なあ、如月」
「何だい」
 さっきの笑みはどこへやら、元の仏頂面で如月は俺を見上げた。
「済まなかった。お前の誕生日だっていうのによ」
「…………別に」
 小さく吐息をついて、視線をそらされた。
「敵が事情を斟酌しないことぐらい、僕だって分かっている。本当に安全が確認されるまで、関係のない人間に連絡することが出来ないことも」
 如月の言うことは、おおむね間違ってはいない。
 実際、敵襲があったのは24日の夜だった。抗戦し、あらかた片づけた時点で夜が明けた。御門はすみやかに態勢を立て直したが、捕らえた連中から背後関係を洗いだした頃には昼をまわり、情報から対抗策をうちだして、ようやく外部との通信を許可した時には再び朝だった。
 気がつけば、丸二日の徹夜だった。
 肝心の25日は、いつのまにか過ぎ去っていた。
「関係がないってことはねェだろうが」
「無いね。僕は飛水で、秋月の関係者じゃない」
「おい、怒るなよ」
「怒ってなんかいないよ。だいたい、あれだけの人数が押しかけてきたんだ。君一人くらい居なくたって、寂しくなんか……」
 そこで、如月は失言に気づいて口を閉ざした。
「悪かったな。寂しい思いをさせちまってよ」
 抱き寄せて、腕の中に取りこめる。銘仙の粗い手触りには馴染みがなかったが、首筋から匂う肌は、確かにいつもの如月だった。
「誰も、そんな事は言ってな……っ!」
 じたばたと、暴れる身体に口づける。何度も繰りかえすうち、観念したように如月は力を抜いて大人しくなった。
「……ん………まったく、少しは気味が悪いとか、考えたりはしないのか。君は」
「何がだよ」
「何がって、だから、その」
 言いながら、首に血が上って頬が染まる。
「確かめてもいいなら、今すぐ脱がせてェのは山々だがな?」
 羞じらうように面を伏せた、その顎をすくいあげて唇を寄せた。
 舌を絡め、角度を変えて続く、長いキス。
「…ぁ、ん……ちょ、ちょっと待て。こんな所で……ぁッ」
 ゆっくりと膝が落ち、腰が砕けた如月を廊下の板張りに押し倒した、そこまでが限界だった。
「…………村雨?」
 強烈な睡魔が俺の目蓋を閉ざした。腕の中の温もりに、たまらない安らぎを覚えて意識が遠くなる。
「……しょうがないな」
 苦笑まじりに、優しく髪を撫でる如月の手を感じながら、俺は眠りについた。




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