アニマ pain killer 2
生きること。死ぬこと。闘うこと。願うこと。
想いは深くもつれて暗示に変わる。
生き延びること。終わること。果たすこと。願い事は、ただひとつ。
決して相容れないたくさんの想いは、絡まるようにひとつの小さな塊に集約した。
こつり、と指先にあたる白い粒。
クスリ。
思わず、笑みが零れた。
願いを叶える為に飲み続け、それが故に願いは叶わず。
とうとう最後の一錠を飲んでしまった。
言えなかった言葉。約束。願い事。叶わなかった様々な想いと一緒に、喉の奥へ。
滑り、落ちて。
* 1 *
病院ってのに、あんまりいい思い出はない。
と、院長の前で言ったらスゴまれた。
「医者の前で、いい度胸じゃないかい。エェ?」
でも大概はそうじゃないか?ここは産婦人科だけど、オレがここに来るときはたいてい産まれる方じゃなくて、死ぬ方で来るしさ。
オレが柳生に斬られた時。仲間が倒れた時。今だってそうだ。
「スミマセン。で、如月の様子は?」
院長はフンと鼻を鳴らして、オレに詰め寄った。院長室というわりには、そこは狭い部屋だった。縦も横幅もあるオバサンに阻まれて、視界の三分の二が埋まる。
「良くない、非常に良くない状態じゃな。原因は薬物による中毒症状。他に癒えきらずに放置された傷がいくつもある。内臓が弱りきったあの状態で、よくもまぁ普通に生活できたもんだね。………緋勇」
「はい?」
どアップで迫るのは勘弁してほしいな。迫力がありすぎだよ。
「お前が飲ませたんじゃないだろうね」
「まさか、何でオレが」
「ざっとだが、服んだ薬の成分を調べた。強力な覚醒作用で恐怖や痛みの感覚が薄くなるようだね。一時的に身体能力が向上するから、相当な重症になるまでは普通に行動できる。いや、むしろ普通以上に強いだろう。あの子は、そうじゃなかったかい?」
「確かに、如月はかなり強いけど」
見た目は、確かに。こと戦闘に関しては、紅葉と肩を並べるスペシャリストではあった。
「儂は昔、似たような薬を見たことがある。………戦場で、使い捨ての兵士が飲む薬じゃ」
「………………」
オレはつい、溜め息をついてしまった。そうじゃないかとは思っていたけど、本当にそうだったとはね。
「知っていたね。そうだろう」
「……薬を飲んでることは。一応」
「馬鹿者!何故止めんのじゃ」
ギッとにらみつけられ、直後にぶ厚い手のひらが飛んできた。ひょい、と首でかわすと次は拳骨が来た。
「オレはどうしたら良かったんだと思います?」
「何がじゃ!」
ローキックを避けきれずに、受ける。うーん、院長先生、重くていい蹴りしてるな。体重のせいか。
「闘えば、弱いヤツから順に死んでくんですよ。オレは、如月に弱くなれとは言えなかった」
院長は動きを止めた。
握った拳が震えていた。本気で怒ってるよ、これは。
ごめんなさい。
言っちゃマズイとわかってるけど、心の中ではそう思う。
弱肉強食だとか獣の王国だとか、アホウなことほざいて殺しまくってた連中を倒したのはオレ。その行動がすでに同じ論理でしかないと、わかっていてもやるしかなかった。
この世から争いごとが無くなる日なんてこないよ。
だから、そうやって理屈抜きの本気で怒ってくれる人だけが、オレには救いなんだろうと思う。
「馬鹿者が!」
院長はカルテを机に叩きつけた。
直接殴られるより、オレには数倍痛かった。
強いってのは何だろうな?
格闘技が出来ることか?金持ちだってことか?人をアゴで使うことか?
何かを大声で主張できることか?博識なことか?
クソ度胸があるってことか?
友人がたくさんいるってことか?
独りで生きていけるってことか?
弱肉強食っていうけれど、強いってのは何だろうな。
さっぱり分かんないよ。
結局、必要な時に必要なことをするヤツが、一番強いんじゃないのか?
それ以外の時にソイツが何をやってようが、そんなのは関係ないだろ。
どんなに非力でも。
どんなにちっぽけでも。くだらなくても。
シンプルにいこう。必要なときに必要なだけの、ささやかな強さ。
結果を目で見ることはできないけど、その強さをあの男に期待しちゃダメってことはないだろう。
今、必要なのはオレじゃないんだから。
「なぁ?村雨」
院内禁煙の廊下で煙草をふかしながら、村雨は顔を上げた。
「……先生か」
コイツはいつもふてぶてしいし、今だってそうだけど、それでも病室に踏みこもうとしないのは、ちょっとは弱気になってる証拠かな。
「如月は?」
村雨はアゴで病室を示した。
「まだだ。看護婦の姐さんが入ってったきり、締め出しくっちまってる」
「あ、そう」
オレは村雨の隣でしゃがみこんだ。煙草のケムリが頭上を漂う。
「医者は、何だって」
「薬物中毒」
「だろうな」
村雨はフッと煙を吐き出した。その時。
ガタン!
大きな物音が病室から聞こえた。ガラスが割れる高い音が響きわたる。動き出そうとした村雨の腕を、オレは掴んで引き止めた。
「放せよ、先生」
「依存症。………治療のために鎮痛剤は必要だけど、薬自体の量は減らす。そういうこと」
ヤク中の患者の行動がどんなのだか、村雨が知らないってことはないだろう。実際、オレの言葉の意を悟り、村雨はがっくりと膝をついた。オレと同じように座りこんで、力なく髪をかき回す。
「ちッ、何だってヤクなんぞに手ェ出しちまったんだ」
ん?ちょっと待てよ、村雨。
「わかってたんだろ?如月がそういうヤツだって。違うのか?」
「は?」
わかってなかったのか、コイツ。何処をみて、如月に手を出したんだろ。
「先生、アンタ知ってて止めなかったのか?」
村雨の声は怒りを含んでいた。ああ、もう、どいつもこいつも何でオレにそう聞くんだよ。
「知ってたよ。如月が、何かに依存しなきゃ生きていけないような弱いヤツなんだって」
「先生!」
胸ぐら掴みあげて怒鳴るのはやめてくれって。
「あのな、村雨!オレが如月に死んで欲しいと思ってたりするわけないだろ。だいたい、お前、あれだけ一緒に居て、如月が強いヤツだとホントに思ってたのか」
「…………」
「九角家って、知ってる?」
「……下法を使う家筋だな。いくら俺が秋月のイレギュラーでも、それくらいは知ってるぜ」
「目の敵にしてた。主の眠りを護るっていう使命のなかに、その殲滅も含まれてたんだと思う。秋に九角の当主を倒したとき、一族の祖に顔向けができるって喜んでたよ。でも、次の日には動かなくなってた」
あの時の如月の姿は、今思い返しても惨かった。
「からっぽなんだ。すがりつくものがなければ、刀を握ることもできないくらいに弱いんだ。黄龍を護るっていう玄武の宿星で、何とか戻ってきたけれど、それも、闘いが終わった今じゃ、無効だ」
だから寛永寺の決戦の後、オレが真っ先に心配したのは如月のことだった。
「けど、如月は壊れなかった。オレは嬉しかったよ。やっと、使命とか宿星とかじゃなくて、自分で何かを見つけたんだと思って。その何かってのは、きっと………」
きっと、……だと思ったんだけどさ。
どうだ?
どうなんだ?
上目使いでうかがった村雨は、何かに思い当たったようで激しく動揺した顔をしていた。
「先生、如月を壊しちまったのは、もしかすると……」
村雨の言葉は、らしくもなく歯切れが悪い。
ガチャリ。
ドアノブがゆっくりと回って、オレたちの前に銀のトレイを載せたワゴンが押しだされた。
「村雨クン。ダーリンも」
病室から出てきたのは、良く見知った看護婦だった。
「舞子ちゃん、その頬」
オレは村雨の手を払って立ち上がった。ナースキャップが斜めに歪んでる。頬には引っ掻いたとしか思えない、赤い筋が流れていた。
「へへ、心配しなくてもォ~~大丈夫だよ~。看護婦サンは、強いんだからァ~」
言いながら、じわりと涙が目に浮かぶ。ああ、ホントに看護婦さんは強いよな。仲間のあんな姿を目の当たりにして、それでも治療をするんだから。
でも如月はこれで二度目だ。泣きたくなるのもしょうがない。オレだって自分の無力が情けなくて泣きたいよ。畜生。
「如月は?」
「今はァ~鎮痛剤を打ったからァ、少~し静かになってるよォ。でも」
言葉に詰まった舞子ちゃんの肩を叩いてなぐさめながら、オレは村雨を振り返った。
「行けよ」
博打はお前だけの専売特許じゃないさ。オレは、賭けたからな。
「自分の目で確かめろ」
睨むようにチラリと視線を投げて。
村雨は、静かに病室のドアを開いた。