アニマ pain killer 2



 有刺鉄線。
 それが第一印象だった。
 内に対して逃げることを許さず、
 外に対して触れることを許さず、
 鋭い棘で戒める。

 血を流す程に縛られてなお、その存在に気がつかない、惨めな姿にひどく苛ついた。
 くだらねェと吐き捨てた。
 奴は、小さく瞠目した。

 それが、全ての始まりだった。


* 2 *


 病室のドアは、気味が悪いくらいに重かった。
 見た目にはわからねェが、おそらく木製の化粧板の下には金属の補強が入っているのだろう。外からの不用意な進入を防ぐというよりは、内からの突破を懸念しているとしか思えねェ造作だ。
 まるで牢獄。
 つくづく、奴の周囲にはそういう戒めがついてまわる。
 どこへ逃げても。
「如月」
 明るく白い病室の中、如月は膝を抱えてベッドの上に座りこんでいた。前のめりに傾いた上体の、顎だけが昂然と上げられて宙を睨む。
 如月の正面に回りこみ、俺はゾッとした。
 強ェ。
 何処とも知れねェ遠くを見つめる如月の目には、背筋が寒くなるような強い光があった。
 例えるなら、刃。
 誰もが一目でその脅威を理解するような、力。だが、振るう者の手がなければ、何をも為さないそれだけの物。静かに凶器となる時を待つ、危うい印象がある。
「如月」
 俺はもう一度、呼びかけた。返事は無い。俺に焦点を合わせることもなく、如月はただひたすらに虚空を見ている。
 モノでしかねェと。
 俺はずっと、そう思っていた。
 そんな人間なら腐るほど見てきた。御門、秋月。格上の連中はともかくも、末端は皆、あきれるくらいに同じだった。教えこまれた使命や理想、上からの命令を疑うこともなく実行する歯車。磨かれた技も知識も人格も、都合の良いように造られたものでしかない。
「…………こっちを向けよ。俺を、見ろ」
 微動だにしない頬に手をそえて、俺は如月を引き寄せた。抵抗もなく、俺の胸にもたれた如月の瞳は、それでもなお遠くを凝視したままだった。
「なあ、使命がないと動けないか?」
 肩を抱きしめる。
「俺がお前に教えたことは、無駄だったのか?」
 人格も誇りも何もかもを剥ぎとって、身体を暴いた。ただ本能のままによがった、あの姿は嘘だったのか。
 俺の前にさらけだした魂までもが、造りものだったのか。
「如月………」
 抱く腕に力をこめて、深く口づけた。



 ダンッ!



「何をする!」
 跳躍のために激しく踏み鳴らされた床が、朦々と埃を舞い上げた。身をかわし振り返ったその先で、男は肩をすくめた。
「さあ?何だろうな。そいつは、されたアンタの方が良くわかってんじゃねェのかい」
 男は、ゆっくりと歩を進めた。木造の床が、靴底でギシリと軋む。
 僕は唇を強く拭った。舌に残るこの男の味が、ひどく心を乱した。
「近寄るな、何の真似だ」
 寄るなと牽制しても、男の接近を阻むものはない。旧校舎の地上階。空虚な教室の中には、乾いた黴の匂いが漂っていた。
 村雨祇孔。秋月家の護衛。秋月の参戦を、僕は今日この男に引き会わされるまで知らなかった。
「わからねェってんなら、もう一度確認させてやろうか?敵意ととって、斬っちまっても構わねェぜ。ただし」
 忍び刀を構えた僕に、村雨は口の端を歪めた。
「俺は、先生の味方だ。斬れるのか?」
「……………!」
 切っ先が知らず、揺らいで泳いだ。
「ヘッ、くだらねェ」
 村雨が呟いた。吐き捨てるような、短い言葉。
 それが何故か、鋭く胸を突いた。
「聞き方を、変える。……一体、何が理由だ」
「へェ?そうくるか。理由いかんによっては、今の行動は不問に付すってェことかよ。例えば、先生がらみの事由だったりすれば、か?」
「それが、正当な理由であるならば」
 僕に、他のどんな答えが返せたというのだろう。
「それが、気にいらねェんだよ。俺は、お前のようなヤツと組まされるのは御免だぜ。ヒスイ」
 村雨は、初めて僕の名を呼んだ。姓とも名とも言い難い、独特のイントネーション。
「そんな事を、僕に言っても始まらないだろう。戦闘で誰を組ませるか、指揮をとるのはタツマだ。今から追えば、100階ぐらいで落ちあえるだろう。彼にそう言えばいい」
「俺は、な」
 村雨は、さらに一歩を進めた。僕がかざした白刃に、紙一重の距離。
「お前のその論法が、すでに気にいらねェんだよ。お前の意志は何処にある?俺が嫌なら、自分でそう言ってみろよ」
「僕は、そう言ってはいない」
 村雨の言葉は、何処かねじれていた。僕を拒絶したがっているのは、むしろこの男の方ではないのか。
「ハッ!嫌じゃねェって言うのかよ。これでも?」
 嘲笑ったその一瞬に、村雨は眼前に迫っていた。
「んッ………や、め…………!」
 顎を捕らわれ、再度、口中を犯された。執拗に追ってくる舌に、次第に息があがる。強く抱かれた腕の中で溺れるように、僕は喘いだ。
「…っふ……ぁ」
 カタン、と音をたてて忍び刀が柄から落ちた。もう、拾えない。拾ったところで、振るうことはできない。
「ぁあ…ん、ぁ、……あぁぁぁぁ!」
 この男は、殺せない。
 僕が僕である限り、村雨がタツマの味方である限り、僕には抗う余地がない。

 泣き叫んで懇願することも、貫く痛みに拒むことも、許されず。

 埃と黴の匂いのなか、僕は身体を暴かれた。




「……ぁ、ぁぁあ………」
 繋いだ唇の、隙間からうめきが漏れた。
「如月?」
 腕の中で、如月が身じろぎをした。

 ダンッ!

 とっさに、何が起きたのか理解できなかった。
「如月!」
 俺は床に転がっていた。激しく軋んだパイプベッドが目の端で揺れる。
「あぁぁぁぁああああ!!」
 如月は叫んでいた。腕を押しのけ、転がる俺の身体に馬乗りになる。
 その手が俺の首へと伸びた、次の瞬間、視野がスッと暗くなった。
 オチる。
 効率的に失神させる急所を突かれた、と直感が告げた。冗談じゃねェ。
「ぐ……ッ、……!!」
 全身で闇雲にもがいた。暴れる俺の抵抗に、わずかに光が戻る。
 水面に浮上するように、ぽっかりと開けた視界のなかで、
「……き……さら、ぎ?」
「……………う、あぁぁ」
 如月は、泣いていた。
 ぼろぼろと涙をこぼしながら、真っ直ぐに俺を見ていた。駄々をこねる子供のように、泣きながら、叫びながら、渾身の力で俺の首を絞めていた。
「……ぐ、…くぅ………ッ」
 瞼の裏がチカチカとハレーションする。如月は、本気だ。
 本気で俺の首を絞めている。
 本気で………殺したい、のか。俺を?
 思えば、それも不思議はねェ。コイツがコイツでなければ、如月が尋常に育った普通の人間だったならば、そう、俺は殺したいとまで憎まれる、それだけのことをコイツにしている。
 使命だ宿星だと、コイツを幾重にも縛り上げるしがらみに、俺は命を救われてきたのだ。
 その戒めが消えた、今。
 有刺鉄線から解き放たれ、溢れだした魂の色は。

 憎悪。

 自分の意志が無いと、誰が言った?
 細い指が首を絞める、これほど鮮やかな意思表示はないだろう。
「……さ……ら、ぎ……」
 酸欠で脳がイカレたとしか思えねェが。
 殺されるのも悪くはないと、悦に入る気分で意識は途絶えた。



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