アニマ pain killer 2



 匂う紅梅。華やぐ桃花。軽やかに咲き初める、白桜。
 ひとり悔悟に沈む俺を置いて季節は移ろう。

 巡る春。 



* 8 *

「少し、昔の話をしようか」
 俺を誘って、緋勇タツマは言った。
 桜ヶ丘病院の中庭は、院長が生薬を育てる温室だった。ガラスを通した日差しは淡く、柔らかに頭上へ降りそそぐ。
 患者へ解放された緑の中には、小さなベンチがしつらえてあった。
 うながされて、先生の隣に腰を下ろす。
 正直、誰かと話したい気分じゃなかった。たとえ話す気があっても、声が出せる喉でもなかったが。
「痛むか?」
 先生の問いに、俺は無言で首を振った。
 喉に当てられた湿布が引きつって縒れた。先生は、そうかとだけ呟いた。うっとおしい貼り薬の、その下に隠された跡を、緋勇は知っている。
「……どこから話せばいいのかな。オレは黄龍で、如月は玄武だ。俺と如月との関係は、たぶん、その一語に尽きる」
 四神。
 その央にして主たる、土性の龍。
 言わずもがなの事柄だった。俺は相づちを打つ必要を認めなかった。
「如月にとって、その星の巡りは至上のものだった。そういう風に仕向けたのは、オレだ。それは、話したよな」
 生きるために、そうしたのだと先生は言った。如月の病室の前で。
 まさに、その通りに如月は生きた。先生の存在を己の根底として、何よりもその喪失に怯えた。
 俺は肯定も否定もしなかった。
 ゆるく円を描く歩道を、ゆっくりと人が通り過ぎてゆく。
 リハビリか、胎教か。
 緑に満ちる優しい気配は、場違いな人間を浮きぼりにするようで、俺を居たたまれなくする。
 先生は、独り言のように語り続けた。
「村雨は、知ってるだろ?オレが天涯孤独の身の上だってこと」
 当然のように言うが、本人の口から聞くのは初めてだった。無論、秋月が参戦か否かを批准した際、先生のプロフィールは徹底的に洗われていた。
 どこまで見抜いているのか知らねェが、俺と御門は先生の幼少時の交友関係から現在の学業成績に至るまで、全てを知っていた。それが、俺達の所属する世界というものだった。
 オー・アールエイチマイナス。
 稀な血液型の部下の所在を、御門が把握していたのは偶然じゃない。
「オレは、さ。ずっと羨ましかったんだ。家族のある、普通のクラスメイト。兄貴とケンカしてとか、親がうるさくて、なんて話が盛りあがると、いつも喉の奥に何かつっかえて、上手くしゃべれなくなった」
 シニカルな笑みを浮かべて、続ける。
「友達とは、ケンカしたらそれきりだった。家族だという人は、逆らえば即座に他人になってしまう。どの繋がりも、いつ消えてしまうのか不確かで、ずっと不安で怯えていたんだ」
 先生が《力》に覚醒して切り捨てた、その家庭環境は酷いものだった。
 抑揚の乏しい穏やかな口調で語られる過去を、先生はおそらく、真神の連中には話してはいないのだろう。
 それを何故、言わずとも知る俺に話すのか。
「憎んでも恨んでも宿星は替えられない。それが、どんなに嬉しかったか―――わからないだろうな。醍醐、如月、マリィ、アラン―――ようやく見つけたんだ、本当の家族のように、否応無しに結ばれた強い絆。死なせたくはなかった。失いたくなかったんだ。だから」
 先生の声は、静かな温室の空気に融けそうなほど低かった。
「オレは、如月を縛りつけた」

 それは、懺悔だったのだろう。
 他人を煙に巻くのが何より得意な、先生にとって精一杯の。

 人を癒やす温室いっぱいの緑は、何の慰めにもならなかった。


「もし時間が戻って、もう一度やり直せたとしても、オレは同じ事をしたと思う。でも、今回は違う」
 先生は俺を見た。
「今は、お前がいる」
 俺は目線を下に落とした。その言葉は、聞きたくなかった。
「村雨、お前はどうしたい?」
「……………」
 答えられるワケがねェ。
 殺されてやるしか、出来ることは無いと腹を括ったはずだった。だが、俺は生き延びた。廊下にいた先生と看護婦が、異常を察して病室に踏みこんだのだ。俺の喉に拇指の圧痕を残し、声を奪って、如月は仕損じた。
 俺の喉に絡みつく、如月の指の跡。
 治療は可能な限り拒否したが、ただの膏薬でも、二週間後には回復してしまうだろう。
 何事もなかったかのように、跡形もなく。
「………………」
「………………」
 沈黙の間、先生は忍耐強く待ち続けた。
「…………俺に」
 堪えきれず、無理やり押し出した声は喉で罅割れた。情けねェほど弱々しく掠れ、聞くに耐えない。
「どうしろっていうんだ」
「さあ?」
 俺の返答をはぐらかして、先生は淡々と言った。
「村雨は村雨の、如月は如月の、したいようにすればいいさ」
「……俺は、死んでやることしか出来ねェ。わかってるだろ」
「うん、その必要がないこともね。それが答えなら、如月の前から消えるだけで充分だ」
 容赦のない言葉に、責める響きは無かった。
 罵ってくれたほうが、いっそマシだったのだろうと思う。
 何故こんな事になったのかと、厳しく追究されたなら。
「まあ、何だね」
 よっ、と軽く弾みをつけて立ち上がり、先生は大きく伸びをした。
「生かしちゃったからには、オレにも責任はあるワケだし」
 俺を見下ろした、その瞳は底が読めなかった。
 どこまでも光を吸いこむような、透徹した瞳の色。
「何とかするさ。村雨も、拒否してないで院長の治療を受けろよ。声が戻らなかったら大変だろ」
 気負いのない軽い口調は、明るいだけに不穏だった。
「………。センセ…」
「じゃあね」
 ひらひらと手を振り、緋勇は温室を出て行った。
 あふれる日溜まりの輪から、病棟の影に入る一瞬、見えた緋勇の後ろ姿。
 その背を、俺は知っていた。
 力をもって蹂躙する者を、力をもって拉ぐ。
 それが決して正道ではないと知りながら踏破した時に見せた、あの揺るぎない背中。
 悟らざるをえなかった。

 緋勇は、やる気だ。


 如月の下から俺を引きずり出し、生かしてしまった事への。
 抜け殻の如月に使命を吹きこみ、生かしてしまった事への。
 答えとして。

 如月を、再び呪縛するつもりなのだ。


 一度生かした命を、二度生かす為に。




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