アニマ pain killer 2
怒鳴り散らすことは簡単だった。
喚くことも、殴ることも。
しかしそれで何が変えられるかといえば、変えられるものなど何ひとつ無かった。
無力な、俺には。
小さな手が、俺の腕を軽くたたく。
「大丈夫だから、祇孔」
その柔らかな手のひらが、悲しかった。
「では、参りましょうか。マサキ殿」
御門が車椅子の背に手をかけた。
拒絶するような後ろ姿が、やるせなかった。
遠ざかる二人の姿を睨みつけ、俺はいつまでも拳を握り続けた。
家名だ使命だと、勝手なものの言い分に、唯々諾々と従う必要が何処にある?
何故その運命から逃れようと試みない?
親しい人々が黙然と頭を上げてゆく、その道を阻むことなど俺に出来るはずもなく。
振りあげた拳は、行き場を失ったまま。
二年の歳月を経た。
* 4 *
桜ヶ丘病院に着いたころには、すでに日付が変わっていた。
灯りの落ちた深夜の病院。薄青い闇の中、ナースセンターのほのかな明かりに照らされて、ロビーには幾つもの影が立ちつくしていた。
「よう、大将」
声を低めて呼びかける。
「……あ、ああ。村雨か」
俺に電話をよこした当の本人は、心ここに在らずという風体で俺を迎えた。
醍醐雄矢。四神の一角、白虎。
「すまないな。真夜中だというのに、突然の電話で」
「ヘッ、つまんねェこと言うのは無しにしようぜ。こっちこそ、役にも立たねェのに押し掛けたりして悪ィな。様子を見て、すぐに退散するからよ」
「すまん」
うなだれた大きな図体には、激しい戦闘の痕がいくつも残っていた。
「で、………容態は?」
「……傷が、深すぎる」
返答は、歯の奥から呻くように漏れた。
「斬られたのは皮一枚のはずなんだが、剣氣が呪詛のように肉に喰いこんでいるらしい。浄めるまでは傷を縫合できない。ふさげないまま血が流れ続けて………今は、予断を許さん状態だ」
「それで、血が足りねェってことか」
真神の総番が俺の携帯を鳴らした、危急の用件とはまさにこれだった。
輸血用血液の不足。
それが生死を分けるとなれば、なりふりなど構ってはいられねェだろう。
「心当たりは全て当たった。後は、この病院に用意のある分で保たせるしかない」
「……ふん」
状況は、電話口で聞くよりも悪かった。
浜離宮で待機している御門にこれを報告すれば、奴が次にどう動くのかが目に見えるようだった。
御門は早急に次の方針を固めるだろう。ロビーに立ちつくす連中のように、可愛いげのある理屈で参戦したワケじゃねェ。この一件に動かした人員と布石を、引き上げるか配置を変えるか。いずれにしろ、目の前の大将をはじめとする連中に、不利な展開であることには違いない。
そして、俺は。
「……………チッ」
俺は、ポケットを探ってセブンスターを取り出した。
御門の決定は、俺の行動の指針でもある。俺が秋月の駒のひとつである以上、これには従わざるを得ない。
「気に入らねェな」
さらにライターを探り当て、火を点ける。
ナースセンターの看護婦が、目ざとくこちらを向いた。
それを無視して、煙を吐き出す。
要は、生き延びればいいのだ。
先生が。黄龍の器である緋勇タツマが。
にも関わらず、事態は俺の手の届くところにはねェときた。手を尽くすのは医者で、祈るのは大将や蓬莱寺や姐さん方だ。この先どう転ぶのかは、もはや運でしかない。
クソッタレ、だ。
ここでも俺には、為す術がない。テメェの無力と情けなさは、二年前からいや増すばかりで腹が立つ。
俺はロビーに背を向けた。
「村雨?」
「帰るぜ。悪ィが何かあったら連絡をくれ。じゃぁな」
手を振って、病院を後にする。
逃げるワケじゃねェが、半端な自分に嫌気がさしていた。
玄関の外は、暗澹と重い闇を貫いて激しい雨が降りだしていた。傘を持たない俺の唇から、煙草の火が雨に打ち落とされる。
冴え冴えと冷たい、街灯の光。照らされて白く雨足を引く、冬の雨。
その男もまた、雨に打たれて病院の前に立ちつくしていた。
「……おい」
声をかけたが、微動だにしない。
「如月、何やってんだ。お前」
名を呼んでようやく、俺の存在に気がついたようだった。雨に乱れた髪の奥で、表情のない瞳が瞬く。
「……………」
色の失せた唇が、かすかに動いた。
「ああ?何だって」
「……タ、ツマ…が」
その言葉に、俺はため息をついた。コイツも大将からの電話に、ここまで来ずにはいられなかったクチか。
秋月、拳武館、客家封龍。それぞれ独自の勢力が、凶星の出現に足並みを揃えた理由はただひとつ、緋勇タツマという存在にある。本人の自覚はどうだか知らねェが、危篤の電話連絡一本で、はいそうですかと軽く扱えるような人間じゃねェ。
御門は俺を送り出した。
どの程度の事態なのか、実際の感触をつかむために。
「先生なら、まだ手術室だぜ」
「…………………」
「……お前、血液型は?」
「………A型」
先生はO型だった。俺はB型だ。
「ふん。じゃぁ、お前も用無しだな。行くぜ」
「……僕は」
「その格好で病院に入るつもりかよ?それとも何か?一晩中ここに立ってるつもりじゃねェだろうな」
「………」
如月は黙ってうつむいた。図星か。
「馬鹿か、お前」
俺は如月の腕を掴んだ。濡れたシャツの袖ごしに伝わる体温は、異様なほど温かい。
「来いよ」
強く腕を引くと、如月はよろめいた。
「……どこへ」
「俺の家」
「……家?」
如月の表情が、動いた。妙に舌足らずな、ぎこちない唇の動きで繰り返す。
「家?君に?」
「あっちゃ悪ィのかよ。ほとんど寝るためだけのヤサだけどな、ここからは近いぜ。急変があった時には大将から連絡が入る。駆けつけるにしても、お前の家から来るよりはマシだろ」
「……そうだけれど」
家、と如月は口の中で繰り返した。
「突っ立ってねェで、行くぞ」
肩を抱き、強引に歩き出す。病院を振り返って躊躇した如月は、少しつんのめって転ぶようについてきた。
「ったく、先生も何だってそんなややこしい血液型に生まれたんだか」
緋勇タツマはO型だった。ただし、Rhマイナス。O型の人間なんざ世にありふれているようにみえるが、実は二千人中にわずか三人しかいないという、まれな血液型だ。
如月は、不思議そうに俺を見上げた。
「それは……もって産まれた身体を恨んでみても仕方がないだろう?」
仕方がない、そう言って微かに笑う。
その笑みは、あの時の薫によく似ていた。
『仕方がないよ』
『もって産まれた星は、他に代えようがないのだから』
いや、マサキか。それとも、そう言ったのは柾希の方だったか。
ひどくカンに触る言葉だった。
その言葉は正しい。だが、すんなりとうなずくことが出来ない。
固く瞼を閉じて、身体を横たえた柾樹。
捻れ、無惨に潰れた両足をいとう暇もなく、危険な影武者に仕立てられた薫。
それを、
産まれた血筋の定めだと、宿星のひと言であきらめることなど、
「……………………………」
隣を歩く如月の存在が妙に腹ただしく、俺は言葉少なに雨の中を急いだ。
俺の不機嫌は、動作や言葉じりから察していただろうに。
反発するでもなく黙ってついてくる如月に、不思議だと思うようになったのは、遠目に俺のマンションが見える頃、雨に身体も頭も冷えた頃だった。
気に入らないのに手を出しちまったのは、何故だろう。
不愉快ならば、なにも関わりあいになどならなくったって、闘うことは出来たはずなのに。
何故、俺の感情は如月に向いてしまうのか。
この執着の正体は、何だ。
首の後ろがピリピリと苛立つ。
「村雨?」
道のド真ん中で足を止めた俺に、如月が困惑した声で呼んだ。
「どうかしたのか?」
「いや……」
濡れてはりついた髪をかきあげ、重く息を吐く。
「この奥のマンションが、俺の家だ」
ひとつ首をふって、俺は如月を案内した。
雨は、いつまでも降り止む気配を見せなかった。
「……ああ、今のところ、どう転ぶかは全くわからねェな。緋勇が死ぬにしろ生きるにしろ、問題はひとヤマ越えた、その直後だ」
俺はクローゼットをかき回しながら、受話器を肩で挟んだ。
「現場は相当、テンションが高いようですね」
「敵襲があるなら今のうちに願いたいぜ。現実逃避にしろ、今なら即座に戦闘へおツムを切り替えられるがな。一度、緊張が切れちまったら、あとは総崩れになるだろうよ」
「………ふむ」
電話の向こうで、御門は黙考した。その背後に流れる、静かなホワイトノイズ。現世に降る雨は、結界の内にまで及んでいるようだった。
「仕組むか?」
「気力が落ちる寸前に、敵をけしかけると?士気を立てなおすには悪くありませんが、今回は必要ありません」
俺は短く鼻を鳴らした。では、この一件から手を引く気か。
「……近いのですよ」
「あ?」
「普段は平行に重なりあうべきものが、引きよせられ捩れながら、この世界に落ち込み始めている…………」
「どういうことだ」
「わかりません。術をもってしか扉が通じぬ幽世が、ひどく近くなっているように感じます。これでは妄動する輩がいないはずもない」
憶測を嫌う御門にしては、えらく遠回しな物言いだった。
「我々は動くべきではないでしょう。お前も、今はもう休みなさい」
「おう、お前もな」
御門は苦笑したようだった。
「一件、報告を待ってから私も下がります。御前には、代わって芙蓉が詰めますから連絡先を間違えぬよう。では」
通話は切れた。
御門の態度は保留だ。形勢に新たな要素が加わるまでは、判断を控えている。
「チッ………俺も結構、入れこんじまってんのかね…」
クローゼットから掴みだしたタオルを手に、ぼやく。
今この時に、俺と御門がこんな会話を交わしているなんざ、大将たちは考えもしねェだろう。正直言って甘い、お人好しな連中だ。
だからこそ、俺は。
ふと、異臭が鼻をついた。
「……?如月」
シャワーを浴びると言ったきり、水音のしないバスルーム。
嫌な予感がした。
絡むように濃厚な ――――― こいつは、血の臭いだ。
「如月、開けるぞ」
何気なく、平静をよそおってドアを開ける。
直後、俺は後悔した。
後悔 ――――― とは、別種の感情だったかもしれないが、その衝動は後悔としか言いようがない、苦い後味をしていた。
洗面台の鏡の前。ぼんやりと振り向いた如月は、俺にどうしようと言った。
「………痛くないんだ」
その足下には、生々しく赤い血溜まりが出来ていた。