アニマ pain killer 2



 最古の記憶は、水の光景。
 一族の祭神を身に宿した、その証が顕現した時の記憶だ。
 それより以前の記憶は、僕には無い。
 神が降りた、その圧倒的な意志の前に、脆弱な人の子の意識など保つはずがない。身体の中に強大な力が湧きあがり、膨れ渦を巻いたその瞬間、僕の記憶は消し飛んだ。
 何が消えてしまったのか、もう、思い出すことは出来ないけれど、この時の感覚だけは今もよく覚えている。
 身体ではない何処かを、ごっそり抉りとられてしまった。
 僕のなかに、何もない空虚なウロが出来ていた。
 怖かった。
 誰も助けてはくれなかった。
 玄武の顕現、祭神の現身よと、誰もが僕の中のその空洞を尊んだ。
 削りとられた自我のふち、意識の断崖絶壁に踏みとどまり。
 僕はいつでも、縋るものを求めていた。
 宿星。使命。どんな苦行も拘束も、自ら望んで身に受けた。
 あの虚無に意味を与え、制してくれるものなら何でもよかったのだ。

 僕が僕であるために。



* 6 *


 熱い息が重なる。
 口腔の奥まで貪られ、のけぞる首に甘噛みされる。
 逆転した関係に、眩暈がしそうだった。

 熱い。

 如月は、あきらかに様子がおかしい。立たない足腰でなお、もどかしげに、俺にのしかかろうとする。
 それを押さえて、ゆっくりと服を脱がせた。
 シャツを取りはらい、濡れた身体にタオルをかける。
「ん……」
 キスをしながら、髪を拭く。首筋を、肩を、順にぬぐうと、如月は身体を震わせた。
 脇の下を丹念にぬぐい、胸の先端をかすめる。
「…ッふ……」
 素肌をすべる布地に、微かに苦しげな顔をする。その頬が、紅潮していた。
 潤んだ瞳で俺を見下ろす、漆黒の双眸。
 ゾクゾクした。

 熱い。

 縋りつく如月の指先は、熱を帯びていた。
 普段、俺よりも体温の低い、冷たい身体が燃えるようだった。
 ねだるように服を引く如月に、俺は上衣を脱ぎ捨てた。裸の胸に、如月が舌を這わせる。
 それだけで、身体の芯が痛いほど疼いた。
 シャワーの水音が、耳の奥でザアザアと響いた。

 熱い。
 いやに喉が乾く。

 胸から腹へ、舌でたどった如月は、腰まで降りてベルトを噛んだ。
 器用に歯で留め具をはずし、ジッパーを下げる。
 そのまま何のためらいもなく、半勃ちの俺自身へと顔を埋めた。
「……ッ」
 唇ですくい上げ、先端を含む。
 形を確かめるように、少しずつねぶられ息が詰まった。
「ん…ふぅ…ッ」
 如月の舌が触れる、その一点に身体中の血液が集中する。
 脳が沸騰するような快感が、背筋を駆け登った。
「ん…ん……ふ」
 怒張する俺を口内に納めて、軽く歯をたて、舌を絡め、筋をなぞり、深々と喉の奥へ。
「…クッ」
「んん……っ…」
 思わず腰が揺れた。喉を突かれた如月の頭が跳ねあがる。ぬるり、と抜き出された俺自身を目にして、異様な昂ぶりを覚えた。
 何かがおかしい。
「ぅ……ック」
 如月は口を窄めて俺を引き留めた。先端を吸い上げる、生々しい感触。
 思考が真っ白になる。
 考えろ。何がおかしい?
 ぴちゃりぴちゃりと濡れた音をたてる舌。止まぬ水音。
 掻き乱される。
 胸を締めつける焦燥に、喉が干上がる。
「………ッ!」
 張りつめ、追い上げられた俺自身が限界を迎える、その直前。


 如月の動きが止まった。

「……ッ、ハ」
 荒い息をつく俺から、何事も無かったかのように身体を離す。
 唾液か先走りか、ぬめりを帯びて天を突く形のまま、俺は外気にさらされた。
 何だ?
 絶頂を求めて、身体が暴発しそうだった。
 焦らしているのか、それとも。
 寸前で止める行為は、俺のやり方だった。快楽に身も世もなく狂うまで、何度でも追い上げる。それを、如月はやろうとしているのか。
 俺が如月に強いてきた行為を、今度は俺が強いられるのか。
 ヒヤリと危うい感覚がよぎる。

 頭が妙に冴えた。

 俺の視線の先で、脱がし損ねた残りの衣服を如月は自ら脱いだ。露わな白い下肢が、いやに艶めかしい。
「如月……?」
 如月は答えない。
 たじろぐ俺の胸に手をつき跨ると、その双丘の後ろ、閉ざされた秘所が、まだ硬い俺自身に当てられる。

 みしり、と音がした。

「ぅ…あっ、あぁぁぁ」
 苦鳴がほとばしる。呻きながら、如月はさらに身体を沈めた。
「…ぃ、ああああああああああ」
 めき、と嫌な音が身体に響いた。肉が裂ける。凶器は、俺自身だ。
「ぁああああ!」
「待っ、……無理だ!止めろ、如月。如月!」
 腕を引き、位置をずらす。如月は首を振った。その頬を涙が伝う。
「い……やぁ、嫌だ嫌だ、もっと」
「無理だ。慣らさねェと、入らねェ」
「いぃ…か、ら、もっと。もっ……ぁああ!」
 泣き喚く姿に、慄然とした。
 場の主導を握っていたのは如月だった。それが何故、苦痛を求める結果になる。
「嫌…ぁ……」
 力無く、くずおれた身体を引き離す。
 ぼたぼたと落ちる赤い血が、俺の腹を汚した。

 痛くない。

 如月はそう言った。血塗れの腕で。
 あの時のカミソリが、今は俺なのか。
 確かに、この行為を最初に凶器としたのは、俺だ。
 苦痛とイコールの行為。
 それが、如月の知る唯一のセックス。
 本当はそうじゃねェんだと、言いたかった。
 それが全てじゃねェんだと、教えてやりたかった。
 セックスが身も心も傷つける急所であるという、ただそれだけならば、世界中で人が人を求めあう理由になぞなるはずがない。
 情愛。
 今更そんな世迷い言をぬかしたところで、如月は信じるまい。
 悪いのは、俺だ。

 ならば、真実は嘘で塗り固めたまま。


「む…さめ……むらさめ、はなせ。はな、し……ッ」
 もがく如月を、俺は腕に抱き続けた。
 俺の名を呼ぶ声が、掠れ、すすり泣きに変わるまで。
 そのまま、どのくらい時間が過ぎたのか。
「落ち着いたか?」
「……ん……」
 如月は涙に赤く腫れた目蓋を伏せ、うなづいた。
「少し、我慢しろよ」
「……なに…を」
 後ろを向けて、丸くうずくまらせる。背骨にそって軽く撫ぜ、血に汚れた秘所に舌を差しいれた。
 固くこびりついた血糊を溶かし舐めとって、丁寧にほぐす。
「……ぁ」
 身をよじる如月をなだめ、前に手を回した。如月のモノに手を添え、弄る。
「ッ……あ、むらさ、め」
 みるみる滾り、硬く張りつめた中心を強弱をつけて握った。
「ぅ、あっ……」
 嗚咽の声をあげ、抗うように頭を振る。乱れた黒髪に、囁いた。
「いいぜ。イッちまいな」
「ぁっ、あぁ……や……!」
 ふる、と身体を震わせ、如月は白濁を放った。
 何度も、何度も。身体を支配する本能のままに。


 その夜、悦びに意識が果てるまで。



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